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No.07 夢みる永遠



 珈琲、紅茶、とろとろのハチミツシロップ。香り豊かなカフェテリアで、一組の男女が言葉を交わす。女子生徒の瞳は、男の銀髪碧眼に釘付けだった。


 それを真横で見てしまい、心も眼鏡もかち割れているのがフォル・ハーベスだ。


 ―― 恋が、はじまっている!?


 フォルには向けられたことのない笑顔。喉の奥が、ひゅっと音を立てる。


 瞬間、視界が暗転する。どんなに冷ややかな態度を取られても全くへこたれなかったメンタルが、今は暗闇に潰されてボコリと音を立てている。


 失恋という言葉が脳裏をよぎる。

 ここでオールオーバー(完全な終わり)なのだろうか。


 しかし、彼は騎士のたまご。暗闇があれば火を灯し、道が塞がれたならば敵をなぎ倒して進む。それが信条だ。


「……ヴィント先輩、ちょぉおおっとだけ、お時間いただけますか?」

「眉間のしわがすごいよ。カルシウム足りてる? 牛乳どう?」


 ヴィントの手から牛乳瓶を取り上げ、テーブルにダンダンダンと叩き置く。女性二人を残して、彼を連れ出した。



「どういうことですか!? リエータ嬢の反応! 完全にヴィント先輩に惚れてましたよね!? なぜ、こんなことに?」

「またその質問? 人が理由を求めるのは、どうして悪いことが起きたときだけなんだろうね」

「まじめに答えてください!」フォルは目をつり上げる。

「彼女との接点を用意してくれる約束でしたよね? だから、カノラ嬢の護衛を勤めていたというのに……」


 不満を叩きつけると、ヴィントは無言になった。表情が陰ったのを見て、フォルは額に汗をかく。敬意を欠いてしまったのだ。銀髪碧眼の圧迫感に蹴落とされそうだった。


「ふーん、そんな邪な気持ちでカノを護衛してたんだ? 女性を助けるのは紳士として当然のふるまいでしょうに」ヴィントは眉をひそめる。

「フォルくんにはガッカリした。騎士科の真面目男子は仮の姿。真実は損得勘定で動くむっつりすけべなんだね」

「うっ……それは……」


 フォルは自分を恥じる。むっつりはともかく、損得勘定で恋を成就させようだなんて、なんと愚かなことを。そんな人間はきっと自分だけだと思い、頭をかきむしる。実際みんなどっこいどっこいだ。


 そこで、指の隙間からヴィントの表情を見てしまう。彼はなにかに耐えるように口の端を噛んでいた。だが――すぐに手をどけてみると、いつものゆるい微笑みを浮かべているだけだ。

 

「ヴィント先輩……?」

「まあ、落ち着いてよ。サンライト男爵令嬢のことは、完全に誤算。一方通行の片思いが止まらなくて、さすがに引いてる」

「……それ本当ですか?」


 フォルは目を細める。目の前の銀髪令息は、あのスノライン家の人間だ。


「本当だよ。あの子、フォルくんを警戒してるみたいだったからさ。フォル濃度を薄めるために希釈剤が必要だったんだよ」


 フォル濃度とはなんだろうか、と首を傾げる。しつこそうな響きだ。


「その希釈剤こそが、俺とカノラだった。いわゆるグループ交際ってやつだね」

「なるほど……! 確かに、いつもより会話も弾んでいました。そういうことだったんですね」


 あの会話を弾んでると言い切る男。


「彼女がカフェテリアに来るタイミングだって予測したし、俺はやることはやってるよ。フォルくんも、底なし沼みたいにもっと懐を深くした方がいいと思う」

「底なし沼」


 例えが激烈に分かりにくい。

 意味はわからないが、不思議と気持ちが上向きになる。ヴィントに背中をぽんっと叩かれると、背筋も伸びる。


「一喜一憂せずに、先を見据えて努力する。恋は我慢だよ」

「狭量は醜いということですね。……ですが、実際は失恋間近ですよね? 僕はどうすれば?」


 焦燥を前に、ヴィントはけらけらと笑う。きっと彼は失恋などしたこともないのだろう。フォルは少し苛立った。目の前の男に負けたくない、と。


「気にしない気にしない。俺、あの子のこと好きじゃないし」

「あんなに魅力的なのに? アプローチされたらどうするんですか」

「全く魅力を感じない。こう言っちゃなんだけど、俺は胸的な色気には相当強いよ」

「強靭ですね」


 胸的な色気とはなんだろうか。銀髪をなびかせながら決め顔で言うことではない。


 しかし、そんな強靭なヴィント・スノラインに想い人がいれば、リエータと恋仲になる可能性はゼロのはず――と、フォルは考えはじめる。恋は人を性悪にする。


「失礼を承知でお伺いします。ヴィント先輩に意中の女性はいないのですか?」

「んー? そうだね」彼は少し俯いた。

「あと半年で卒業。婚約者を立てるかもしれないし、今から恋人を作っても半年だけの関係だよ。第二夫人に置くなんて絶対に嫌だし、あんまり興味ないかな」


 政略結婚が主流だった時代は少し鳴りを潜め、昨今では貴族といえども氏より心。恋愛結婚も増えているというのに、ヴィントにはその気はなさそう。

 スノライン伯爵家は昇爵の噂もあるし、きっと政略結婚が基本なのだろう。フォルは少し胸を撫で下ろす。


「ははっ、わかりやすいね」ヴィントは口の端を上げる。

「教えてあげるよ。父親から言われている婚約条件があるんだ」


 相当、厳しく言われているのだろう。それが自分の運命だとでも言うように、彼は肩をすくめる。


「こう見えて背負ってるんだよね。家格は伯爵位以上、後ろ盾になるような権力のある家柄」

「なるほど。隣国のご令嬢を妻に、ということもありえますよね」


 嫡男トーク。フォルは自身のハーベス伯爵家を思い浮かべてみるが、家格なんてどうでもいいから慎ましく真面目な女性と結婚しろと言われているだけだ。


「というわけで、俺はサンライトの子に興味もなければ、結婚相手も選べないってわけ」


 ヴィントは落ちていた黄色の葉っぱを拾い上げ、くるくると回す。


「で、フォルくんはどうなの? そもそも、彼女と結婚したいのか、学生時代の思い出として恋人になりたいだけなのか」

「絶対に結婚したいです」


 即答だ。迷いはない。婚姻なくして恋愛なし。


「へー! 意外と誠意あるね」

「当然ですよ。結婚せずに関係を持つなんて不誠実です。堂々と触れることすらできません」


 一体、何に触れる気だろうか。法かな。


「……そっかぁ、下心と誠意は両立するものなんだね。俺も応援するよ、たぶんきっと」

「はい、絶対に負けませんよ」


 好きな人が恋に落ちる瞬間を見ても諦められない。だから、フォル・ハーベスの恋は終われないのだ。


 



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