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No.06 勉強をみて、君を見る



 さすがというか、やはりというか。ヴィントの作戦は効果覿面(てきめん)だった。確かに壁が薄くなっていることを、カノラは実感する。ちょっと悔しいくらい。


 見返りとして差し出したアゼイの四連作【海水】がよほど効いているのか、ヴィントは次から次へと機会を与えてくれる。


 数日後のカフェテリア。目の前にあるのは、剣ダコだらけの猛々しい指。その指は教本をいったりきたり、さまよっている。


「えっと、二百年前の画家ドワルコフが好んで描いていたテーマは……うーん……?」

「あ、フォル様。そのページの真ん中です」カノラは指を差す。

「ドワルコフが描くテーマは心の一部。要するに、彼の心情を絵の中に描き込んでいたんです」

「なるほど。でも、それが分かったのはドワルコフの死後、ずいぶん経ってからだった。だから、二百年後に脚光を浴びるのか」


 カノラは指で丸を作る。正解だ。


「ははっ、ありがとうございます。一学年の頃から芸術学の講義を取り続けているのですが、実は……性に合わなくて」

「騎士様も芸術の知識が必要になるのですか?」

「家督を継ぐ上で必要なんです」フォルは黒髪をかいた。

「ですが、騎士科で選択しているのは僕だけで。教えてもらおうにも当てがなくて困っていました。助かります」

「いえ! こちらこそ、護衛ありがとうございます」


 こんな風に勉強デートができるのも、ヴィントの『芸術学が苦手ならカノラに教えてもらえばいいんじゃない?』というナイスアシストがあったからだ。


 実は、カノラも芸術学が得意ではない。祖父は画家であっても、カノラの所属は音楽科。ヴィントに解答を叩き込まれただけだ。


 今も心臓はバクバクと鳴っているが、カノラは進歩していた。

 初デートの沈黙は重すぎた。もう同じ轍は踏まない。夜寝る前も、朝起きてからも、フォルと交わせる会話を考え続けた。その努力が実って、今日は自然と談笑ができている。

 不器用で失敗も多いけれど、一生懸命に頑張ることならできる。


「そう言えば、ヴィント先輩はどこに行ってしまったんでしょうね」


 フォルは眼鏡をあげながら周囲を見回す。

 カノラたちは三人でカフェテリアに着席したが、途中、発案者のヴィントが席を外してしまった。たぶん二人きりにしてくれたのだと思う。


「えーっと、用事が長引いてるのかしら?」

「そうですかね、うーん」


 はぐらかされるのが得意なフォルであるが、今日は半信半疑な様子。なにやらソワソワと落ち着きがないし、先ほどから課題をやりながらも視線は散らかっている。

 不思議に思って彼の視線を追いかけ、すぐに理由が分かってしまった。


 ―― 彼女を探していたの……?


 カフェテリアの入口に、ローズブロンドの美女が立っていた。勉強道具を抱え、席を探しているようだ。


 彼女の名前は、リエータ・サンライト。フォルの想い人だ。


 カノラは入口に一番近い席に座っていたため、臨戦態勢を取るヒマもなければ、敵前逃亡をする時間もなかった。

 たぶんカノラよりも先に、フォルは彼女を見つけていたのだろう。あ、と思ったときには、彼は声をかけていた。


「リエータ嬢! 奇遇ですね」


 彼の声色で心が壊される。


 聞いたこともない弾む声。

 眩しいほどの笑顔。

 こんな熱、カノラに向けられたことはない。


 もしかしたら心のどこかで期待していたのかもしれない。思わず逃げ出したくなった。


「……ハーベス伯爵令息、ご機嫌麗しゅうございます」


 だが、口上を述べるリエータの声はひどく冷たく、海よりも塩気が強い。カノラは三センチほど浮いてしまった逃げ腰を正して座り直し、二人のやりとりをうかがう。


「リエータ嬢も芸術学の課題ですか? 先週から同じ講義を取っていますよね」

「ええ、まあ……」

「ご一緒にどうですか? こちらは二学年のスプリング子爵令嬢。芸術学にお詳しいんです」

「え? スプリング子爵家の……?」リエータの目が丸くなる。

「ご令妹にお会いできるとは思いませんでした。光栄です」


 リエータの声色が大きく和らぐ。丁寧な挨拶まで頂戴し、カノラも慌てて自己紹介を済ませる。かなり友好的だ。

 こうもあからさまだと、どんなに鈍くても確信してしまう。これ、フォルは盛大に嫌われてるな……って。


「ぜひ同席させてくださいませ。ハーベス伯爵令息とスプリング子爵令嬢のお二人は、仲の良いご友人関係でいらっしゃるのですね」

「あの、リエータ嬢」フォルは頬をかく。

「誤解のないように申し上げますが、勉強会は二人だけでなく、もう一人います。今は席を外してますが……あ、戻ってきましたね」


 フォルが手を振る方向には、ヴィントの姿があった。牛乳を三瓶も抱えているし、勉強道具なんて一つも持っていない。天才画家である彼にとって、芸術学の教科書など不要なのだろう。


 カノラは必死の形相でリエータの存在をアピールする。


 ―― 敵襲、敵襲、ヘルプです!


 アイコンタクトがド下手だが伝わってはいるらしい。ヴィントはヒラヒラと手を振り返してくるだけだったが。不安だ。


「お待たせ。どう? 課題は終わりそう?」

「先輩!」


 ヴィントを呼びながら、眼力を強くするフォル。こちらもアイコンタクトらしきものを放っている様子。ヴィントはにこりと笑うだけ。


 普通なら板挟みと呼ぶべき状況だが、ヴィント・スノラインにとっては一石二鳥とか漁夫の利みたいな言葉に取って代わるのだろう。メンタルは無重力だ。

 ダブルブッキング上等。敏腕キューピッドのヴィントは、二人分の期待を背負う。さも、今気付きました~みたいな軽いノリでリエータに話しかける。


「こんにちは、勉強会に参加する子かな?」

「あ、あの……その、わたくし、リエータ・サンライトと申します……!」


 カノラはすぐに気づいた。先ほどまで冷淡だったリエータの目は潤み、頬は桃色に染まっている。こんな熱、どんなに鈍感だって確信してしまうはずだ。


 ―― え……まさか、こんなことって……


 ゆっくりと視線を向ければ、真っ青な顔をしているフォルがいた。






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