No.03 アイスキャンディをこめかみに突き刺す
王立学園には厳しいルールがある。門をくぐる者は、何人たりとも剣を持ち込んではならない。
ただし、騎士科だけは例外だ。帯刀に慣れる必要があるため、常に木剣を携える。
もし紛失したら、それはもう厳しい処罰を受ける。騎士が剣を奪われることと同義だからだ。
当然、騎士科の生徒なら誰でも知っている。
フォルも、知っている。
そのはずなのに。
「ここにもない。どこへいった!?」
王立学園の中庭に、血眼で木剣を探す黒髪眼鏡男子がいる。彼の名前は、フォル・ハーベス。カノラの想い人だ。
一体どこで木剣をなくしたのか。フォルは記憶を巻き戻す。
放課後に中庭で素振りをし、百回目を振り終えて少し休もうと思い、ベンチで水分補給をしたところまでは良かった。
そこで、一目惚れの相手・リエータが渡り廊下を歩いていたのだ。駆け寄って話しかけるも、彼女は足早に講堂へ行ってしまった。
残念に思って振り返る。おやおや、ベンチに置いたはずの木剣がないではないか。渡り廊下までの距離は、わずか三メートル。なんという大失態。
いつもなら、ご令嬢方がそこかしこでお喋りをしているはず。尋ねようと見渡したが、今日は誰もいない。
普通科のご令嬢方にとって必修であるマナー講義が開かれているのだ。リエータも含めて、全員出席しているのだろう。
誰もいないし、どこにもない。眼鏡のレンズを何度も拭って探した七分間。教師からの怒号、親への謝罪、同級生からの嘲笑。それらが重くのしかかる。先ほどまでの秋晴れも、もう曇天。
窮地を救う恩人と出会っちゃったのは、そんなときだった。
「ものを探すのに下ばかり向くなんて、きっとキミは良い人なのだろうね」
振り返ると、制服を着た男が立っている。タイの色から察するに一つ上の三学年だ。
どんなにだらしない着方でも碧眼だと様になるし、銀髪は曇天でも輝くのだと初めて知った。
「えっと……あなたは?」
「目撃者。木剣を盗んだ犯人を知ってる」
「は、犯人!? 誰かに盗まれたなんて思いもしなかった……」
「長い茶髪で黄色の瞳をしていたよ。可愛い女の子」
「令嬢が犯人!?」
「あはは! 隠し場所を知っているから付いてきて?」
くいっと上げられた顎は、校舎の裏側を指している。
スタスタと行ってしまう背中に、フォルはお礼を伝えて追いかける。あぁ、助かった。一歩進むたびに心が軽くなる。
「あれは、二年前だったかなぁ。同じように木剣窃盗事件が起きたんだ。その生徒は夜通し死に物狂いで探して、翌朝にやっと見つけた」
「そんなことがあったんですか」
なんて親切な先輩なのだろうか。歩きながらも、当時のことを細かく教えてくれる。先ほどの七分間を思えば、フォルとて身にしみる話だ。
「で、その生徒はここで木剣を見つけた。見てごらん」
「は、はぁ……」
茂みを覗くと、ゴミに紛れて確かにフォルの木剣があった。
「あった! ありましたよ! あぁ、良かった……。でも犯人の姿はありませんね」
「そこらへんの茂みにいるかもね」
少し離れたところからガサッと音がする。フォルがそちらを注視すると、恩人はクスクスと笑い出す。
「ははっ、実はね、犯人は犬なんだよ」
「犬?」
眼鏡をくいっとかけ直す。ゴミだと思われたものは形の良い枝、色柄の綺麗なスカーフ、小説本、そういった落とし物ばかりだ。
「毛足の長い茶色の雌犬がいて、時々悪さをするんだ。手口がプロ並みで俺も驚いたよ。常日頃から気をつけよーっと」
茂みが不満そうに揺れているが気のせいだろう。ガッサガサ。
「本当に助かりました。ぜひお礼をさせてください」
「お礼はいらないよ、クマノミ二号くん」
「は、はぁ……クマ? あぁ、申し遅れました。僕は騎士科二学年のフォル・ハーベスです」
彼は青い瞳を細めて笑った。
「ヴィント・スノライン。よろしく」
す、の、ら、い、ん……口の中で復唱する。そうだ、銀髪碧眼と言えばそうだった。なぜ会った瞬間に気づかなかったのか。
フォルの頬はひきつり、通った唾の道筋でごくりと音が鳴った。
スノライン伯爵家といえば、不作である北の領地を持っていながらも、交渉術と掌握術でそれをカバーしてきた切れ者一家だ。北の隣国との折衝は、国王ですらスノライン伯爵家を頼りきり。
今では昇爵の噂もあるほどの名家。フォルの生家であるハーベス伯爵家を含め、他の伯爵家とは一線を画す。
こうして向き合ってみると、確かに彼はスノラインの生まれだと納得させられる。
基本的にゆる~い空気を漂わせているが、時折見せる表情は冷ややかで甘く厳しい。まるでアイスキャンディをこめかみに突き刺してくるような人間だ。
「スノライン家の方でしたか! お手をわずらわせてしまったこと、深くお詫びいたします」
「気にしなくていいよ。木剣が見つかって良かった。ずいぶんと使い込んでるね。素振りは毎日してるの?」
そこから自然と剣術の話になり、剣技のコツまで気持ち良く語ってしまう。気づけば「実際に剣術を教えてほしい」と頼まれてしまった。
ド素人の高位貴族に剣術を教えるだなんて、本来なら丁重にお断りするべきだ。フォルの父親が知ったら卒倒しそうだが、同時に木剣の恩が胸につかえてしまった。気づけば、首は縦に振られていた。
そのままどんぶらこと流されて、翌日から稽古をつける約束までしてしまう。スノラインって本当に怖い。
しかし――なぜスノライン家の御令息が剣など覚えたいのだろう。とても興味があるとは思えないし、必要もなさそうだ。
こうやって中庭でヴィントが木剣を振るう姿を見ていても、筋力がなさすぎて話にならない。
それなのに動作だけは見惚れるほど美しい。ゆっくりで弱々しいのに、あるべき場所にあるべきタイミングで剣先がピタリと止まる様は芸術的だ。
稽古をつけ始めて三日目には、その型を盗もうと注視していることにフォル自身も気付いていた。
そして、何かを問われたわけでもないのに、いつの間にか心の内側を垂れ流していることに気付いたのは、さらに一週間が経った頃だった。
「へー? それでフォルくんは悩んでるんだね」
「情けないことに。初恋なものでどうしていいか」
「へー、大変だねー。相手はサンライト男爵家のご令嬢だっけ?」
「はい、二学年のリエータ嬢です」
「その子のなにが良かったの?」
「ぇえ!? ヴィント先輩には彼女の魅力がわからないんですか?」
「まったく。欠片ほども」
「そうですか……? あんなに美しく、お淑やかな女性を見るのは初めてです」
ローズブロンドの髪が美しいだの、少しつり目なところが聡明さを引き立てるだの、それはもう垂れ流しまくるフォル。
聞いているのかいないのか、ヴィントは中庭のベンチに腰掛けて絵を描いている。
「へー。まとめると、彼女の外見が好きってことかな?」
「それだけではありません!」
フォルは少し声を張り上げた。真っ直ぐとヴィントを見る。
「僕は……忘れられないんです。彼女を抱きとめたときの、あの柔らかさが」
「へー。……ん? ……やわらか? なんか急に話の流れが変わったね」
フォルは胸に手を当て、彼女のことを思い出す。
「あの日、中庭でぶつかったときに僕の身体を跳ね返してきた感触……神様が与えた奇跡だと思いました」
「えっと? ごめんね、確認なんだけど、それはおっ――いや、胸の話?」
「ええ、まあ。胸の話ですね」
「あー……うん、そっかぁ。そっちかぁ」
唐突に流れが変わったせいか、ヴィントの筆も止まっていた。
そう。フォル・ハーベスは、むっつりすけべのピュア眼鏡男だった。健やかだ。
『彼の剣を振るう姿は曇りなき晴天のよう。誠実で浮ついたところが一つもない』なんて言っていたカノラの方こそ目が曇っているし、浮ついている。
下心を指摘され、フォルは少し顔が暑くなる。
一方で、ヴィントは何かを思い出すように頭を抱え、小さくあちゃーと呟いていた。
「あー、カノにどうお伝えしていいか。さすがの俺も悩ましいなぁ」
「カノ?」
「こっちの話。フォルくんはこんな感じの肉っぽい子が好きなんだね」
スケッチブックを覗き込むと、スカートを履いたリアルな骨付き肉が描かれていた。したたる肉汁が生々しい。
「絵がお上手ですね。肉っぽいというか、色気に弱い自覚はあります。年頃ですし」
「どこもかしこもお年頃だなぁ。得てして恋愛が上手くいかないのは、求めてもらえない人から求められる快楽を知りたいのかもね」
「は、はぁ……」
よくわからないことばかりを言うヴィント。とても一歳違いだとは思えないし、頼りになりそうな雰囲気が醸し出ている。
そこでフォルは思いつく。なぜもっと早くこの人を頼ろうと思わなかったのか。
「ヴィント先輩! ぜひ恋愛のアドバイスをいただけませんか? 先輩は人生三周目くらいの落ち着きがありますし、恋愛もお得意でしょう?」
「なにこのデジャヴ」
フォルがお願いしますと頭を下げると、ヴィントは何やら楽しげに校舎を見ていた。腕を上げて大きい丸を作りながら、彼はこう言うのだ。
「フォルくんはクマノミとイソギンチャクって知ってる? アドバイスの代わりに、お願いがあるんだけど――」




