No.14 手を繋ぐ
【ニセ菜の花】を描いた画家の特徴を聞き込み、カノラたちはサンライト男爵家を後にした。
消えかけたニセ菜の花は、責任を感じたからと言ってヴィントが買い取ったらしい。お土産みたいに抱えて、馬車までの道のりを歩いている。
ひとまずの安堵。だが、カノラの心は荒れていた。
―― ボディタッチ、近付く、距離!
リエータとフォルのやり取りは衝撃的だった。
あのボディタッチ術は、カノラからすれば神業レベルだ。ボディタッチを通り越して本当にボディにタッチしていたのだが、あれを目標だと見定めた。
ヴィントの無言の圧を背中に受けながら、葛藤すること三分ほど。ぎゅっと結んでいた口を開いた。
「フォル様……あの……」
「どうしました?」
「て、手を……繋いでもいいですか?」
唐突に、手。自然にナチュラルを作ることの難しさ。素直に直球だ。
「手を?」
フォルは片眉をあげる。なぜ手を繋ぐんですかと、直球で返してくる。
―― 好きだから繋ぎたいんです……
言えない。また口は結ばれてしまう。思わず俯きそうになると、後ろから咳払いが聞こえてくる。
「カノちゃん、足を痛がっていたよね。俺が支えてあげるよ……と思ったけど、大きな絵画を持っているから難しいか」
「僕が持ちましょうか?」
「惜しい。そっちじゃない。カノラの手を繋いで支えてあげてほしいってこと」
「なるほど、お安い御用です。それなら腕に掴まった方が――」
「いいから、本人の希望に沿ってあげてよ」
「はぁ、構いませんが……。カノラ嬢、どうぞ」
―― ヴィンくん、やさしい!
結んでいた口元が緩む。そのままカノラがうしろを振り返ると、ヴィントは小さく笑みをこぼす。『顔に出すぎ』というメッセージなのか、頬を指差している。
カノラは慌てて笑顔を隠し、フォルから差し出された手をそっと握る。触れた瞬間、心臓が跳ねた。
「……フォル様の手、大きいですね」
「ボロボロの手でお恥ずかしいです。手袋をしておけばよかった」
「いえ、そんな! わたしもヴァイオリンを弾くから指が固いんです。お恥ずかしいです」
「努力の賜物ですよ。去年の音楽科のコンクールでは二位だったそうですね。今度、聴かせてください」
「ぜひ! 今年は一位になれるように、がんばります」
顔に熱が集まる。恥ずかしくてたまらない。
それでも、恋はファイトだ。心の中でえいっとかけ声をして、彼の手をキュッと握る。
すると、フォルの手がわずかに固くなった。彼の表情を見てみると、頬が少しだけ染まっているような。リエータだったら、簡単な野郎だと悪態をついているところだろう。
でも、そのわずかな赤色はカノラの勇気に火をつける。
「フォル様の手、わたしは好きです」
「はは、ありがとうございます。……いや、なんか照れますね」
馬車までの短い間だけど、手を繋いでいる時間はまるで恋人のようだった。
片思いをしていた一年間。中庭を眺めながら思い描いていた夢が、ここで叶った。
幸せに浸りながら、スプリング家に帰宅。ヴィントにお礼を伝えると、ダイニングには深ーいため息が落とされる。
「はーーあ。手を繋いだだけで満足? 目標が低い。フォルくんと結婚、それが我らのアンビションでしょ」
「今は幸せで満杯なの。人生三周目のヴィンくんと違って、心が老いてない証拠ね」
「心の老けは人格の深さだよ」
彼は興味なさそうに、目の前のグラスに水を注ぐ。
「浅くて結構です! 結婚って言われても、どうにもピンとこないもの。逆に聞きますけど、ピンときます?」
「十五歳のときにはね。前途多難なカノの人生に乾杯」
ヴィントのグラスと合わさって、カチンと音が響く。
カノラの頬が膨れたところで、外出していた兄ダンテが帰宅。頬の空気を萎ませて、おかえりと言う。
「ダン。収穫はあった?」
「あったぜー。そっちは?」
「ちゃんと収穫してきたよ」
ヴィントはにんまりと笑って、ニセ菜の花を指差す。ダンテはテーブルに寝かされていたそれを乱暴に手に取った。
そのとき、ぽつんと音がした。
「あら? お兄ちゃん、なにか落とさなかった?」
「なんも落としてねーけど」
床を見ずに落としてないと言い切るのが、この兄だ。代わりに下を見ると、枯れ葉が落ちていた。服に付いていたのだろう。拾うとカサッと鳴った。
「これが、ニセ菜の花か」
ダンテは消えていない部分を見て、口角をあげた。
「へー、めっちゃ上手いじゃん。ドワルコフの筆使いにアゼイの構図の神コラボってか。ははっ、おもしろ」
そのまま絵画をガタンと椅子に立てかける。乱暴だ。
「マジでサンキューな! サンライト男爵はどんな感じだった?」
軽い調子、無邪気な笑顔。廃嫡がかかっているとは思えないほど朗らかだ。慣れた様子で、ヴィントも軽い調子で答える。
「絵を消去するついでに、全部なかったことにしてあげたからね。正義の騎士くんも許しを与えてくれたし、男爵の罪は帳消し。泣いて感謝されちゃった」
貴族たるもの一日一善、なんて言いながらヴィントは笑う。
ついで、という発言で、カノラはようやく腑に落ちた。サンライト家での一連の流れは、あくまで絵を消去するためにやったことだ。
―― どうりで、なんか変な方向に話がいくと思ったら!
彼は『詐欺なんてどうでもいい』と言っていた。確かに、サンライト男爵の罪なんてヴィントには無関係だ。絵にアルコールをぶっかけた時点で、彼の目的は果たされている。
どのみち絵は消さなければならない。あえて男爵の目の前で実行することで、ついでに罪の証拠を消して許しを与え、恩を売っただけ。
いや――言い換えれば、ヴィントはニセ菜の花を捨てさせたのだ。寝室に飾ること自体が罰になっていたのだから、許しを与えなければ手放せない。
その役割を担える人物として、フォル・ハーベスを連れ出した。正義の騎士として男爵を責めさせ、許させる。まさに一石二鳥以上のやり方だ。
―― ヴィンくんって、普段なにを考えてるのかしら……いまいちわからないのよね
カノラが探るようにじっと見ても、彼は口の端をあげるだけ。底の見えない男だ。
「で、ダンの方の収穫は?」
ダンテはコップに紫色の液体をどばどばと注ぐ。マズそうだ。
「画家野郎の出没スポットがわかった」
先々月、ダンテが菜の花を見せてしまった画家の男。彼の行方を聞き回ったところ、最近も街に出没しているらしい。
だが、目撃証言は少なく、決まった酒場に通うわけでもない。うかうかしていると、カノラの父親が帰国してしまう。バレたら廃嫡だ。
「オレがピンときた店に『黒髪長髪の背がでかい男』が来たら早馬を飛ばして教えてくれって頼んどいた。ひっかかるかわかんねーけど」
「男爵が絵を買った男と特徴が同じだね」
ヴィントは銀髪のえりあしに軽く触れる。
「肩までの黒髪を一本に束ねている長身の男。無名の画家で、フークリンと名乗られたそうだよ。連絡先はわからないってさ。ダンはなにか覚えてる?」
「そういやそんな名前だったかも? おぼえてねーなー」
「だよね。知ってた」
覚えてないのではなく、はじめから覚える気がないだけ。忘れたじゃ済まされないわよ、とカノラは怒る。
「フークリンさんとはどんな会話をしたの? 好きな食べ物とか、ヒントになりそうな内容はないの?」
「えー? 好きな食い物? あー……そういや女好きだったな。美人の客を探しに来たとかなんとか言ってたような」
好きな食べ物の話で女を出してくる兄。クズの匂いがする。カノラは引いた。
恋多きダンテの遍歴を把握しているだろう親友のヴィントは、それをスルー。壁に飾られた四連作を見つめながら言う。
「女好きかぁ。やっぱり一日一善ってやっておくものだね」
「どういう意味ですか? ……あ、ちょっと待って。ヴィンくんのやりそうなことが分かってきた」
「俺のことなんて、理解してもらわなくていいんだけどな。売った恩で、味方を買う。それだけだよ」
彼にとって、一日一善と恩を売るは同義なのだろう。この流れ、白羽の矢が立つのはリエータ・サンライトに違いない。
「ちょ、ちょっと待って」
カノラはヴィントの袖を掴む。
「リエータさんを酒場に連れ出すってことですよね?」
「だとしたら?」
「却下です! そんなの良くないと思う」
勢い良く出た言葉は、ヴィントの何かに触れたらしい。彼の瞳がわずかに揺れた。
「……カノラは優しいね」
彼は自嘲気味に笑って、俺のことは理解しなくていいのになぁ――と、もう一度呟いた。
「ごめん。このあと予定があるから帰る」
「あ、ヴィンくん!」
そう言って、彼はダイニングを出て行ってしまった。




