No.11 真と贋
『菜の花の絵画』と聞くと、カノラはのどかな風景を思い浮かべる。
しかし、アゼイの【菜の花】は違う。
真俯瞰の構図で、土に根付く黄色の花だけを描いている。青い空は見えない。
物事は見る角度が大事。可憐な花が持つ泥臭い力強さや、一生懸命に伸びようとする健気さが伝わるように描くのだと、祖父アゼイは語っていた。
「なんで、菜の花があるの……?」
それと全く同じ構図、同じ色彩だった。
ヴィントは絵を間近で見て、一言呟く。
「……欠けてる」
さらに、ルーペを構えて確認していく。五分くらいだろうか。長く感じた沈黙のあと、カノラは腕を掴まれる。
「俺たちはここで失礼する。カノラ、帰るよ」
「は、はい!」
フォルとリエータを残し、スプリング子爵家に帰宅。
サンドイッチは誰の口に入ることもなくダイニングに戻ってきてしまった。そもそも男爵家に行くのに、ピクニック気分で手作りサンドイッチ持参って。
テーブルにランチボックスを置き、壁を見る。そこには確かに【菜の花】がある。
ヴィントは脚立にのぼって、至近距離で確認しはじめた。次に、壁から外して裏返す。
「No.001」
作品ナンバーだ。
「あぁ、よかった。サンライト家にあった方が偽物ってことですよね」
「うん……っていうか、あの絵は構図と色彩が同じなだけで、描き方はアゼイと全然違うよ。そこは疑いようもないんだけど」
「そうでしたっけ?」
「そうでした」
問題は贋作が描かれた経緯にある、と彼は言う。いつ、誰が描いたものなのか。
「ここ数年、ダイニングに入った人物はわかる?」
「もちろん」カノラは腰に手をあてる。
父、母、兄、カノラ、ヴィント、そして使用人の二人。この七人だけだ。
使用人の二人は親子で、昔からずっと一緒に住んでいる。
「お兄ちゃんがやらかすたびに、猫とネズミもびっくりの追いかけっこを繰り広げてるもの。家族同然の人たちよ」
「猫と鼠ねぇ――ネズミがここに忍び込んだってことか……?」
スプリング家は、まるで美術館だ。本館の屋敷、別館の画廊、どこもキャンバスだらけ。
本館にはアゼイの絵画の多くが保管され、家族以外の立ち入りを固く禁じている。親戚も友人も、通されるのは別館の画廊だけだ。
このダイニングは家族専用。
一体、どこのネズミが入り込んだのか。
ヴィントは脚立に登ったまま、両手を壁につけて菜の花を囲む。絵と見つめ合うこと五秒。脚立から飛び降りて、チッと不機嫌そうな音を響かせた。
―― え! ヴィンくんが舌打ちした!
かすかに胸がざわつく。荒々しい彼を見るのは初めてだった。
「あの馬鹿……!」
もう何がなんだか。またもや手を引かれて連れて行かれた先は、兄の部屋。ノックもなしに乱暴に扉を開ける。
のんきにも、ダンテはソファで昼寝をしている。
「ダン、起きろ」
「んあ? おー、ヴィン。もうひるめし?」
赤髪をぐしゃぐしゃとかき上げ、ふぁーと大あくび。まぶたをぱちりと開ければ、紺碧の瞳が輝く。
彼の名前は、ダンテ・スプリング。大きく伸びをして目を覚ます。
「ダンの馬鹿。菜の花の偽物が他家に流れてる」
「んー? なのはなぁ?」
「ちょっと前に四連作を売ろうとしただろ? そのとき、誰かに見せた?」
寝起き頭でぼんやりしていたようだが、次第に頬が引きつりだす。
「……酒場で会った画家の男に、ほんのちょっとだけ」
カノラは震え上がる。ダンテと酒。十八歳だから問題ないが、組み合わせが悪すぎる。
ダンテはソファの背もたれに頭を預け、天井を見る。記憶を漁っているのか、口を開くまで少し間があった。
「えーっと……先々月だったかなー。そいつに『良い絵があれば絵画市場で売ってきてやる』って言われてさ。酔った勢いで菜の花を持ち出したんだよ。しくったー!」
「大馬鹿者だね」
冷ややかな声。ヴィントの鋭い瞳がダンテに向けられる。
「そのとき、スプリングの名前は出した?」
「さすがにそこまで落ちぶれちゃいねーよ。無名の画家の作品ってことにした。アゼイの絵に似てるとは言われたけど、まさか本物だとは思わねーだろ」
「無名の画家って……じゃあ、国に未登録の絵画だって知られたわけか」
「へ? あ、そうなるのか」
二人は同時にあちゃーと額に手をやる。
贋作防止のため、この国では絵画の詳しい情報を国に登録することができる。だが、登録情報を辿って、売ってほしいと迫られることもあるそうだ。
四連作が描かれたのは十数年前だが、アゼイの希望で、今も未登録、未発表を貫いている。それなのに、流出してしまった。
ニセ菜の花が国に登録されてしまったら、最悪だ。
ダイニングに飾られている菜の花と瓜二つの構図。どちらが先に描かれたものか――すなわちオリジナルの真作か、争うことになりかねない。
「これ親父に知られたらやべぇな。廃嫡決定だ」
「廃嫡?」カノラのこめかみがピクリと動く。
「菜の花を売ろうとしたときに最後通告されてんだよ」
「初耳で驚いてる」
「そうだっけ? まあいいじゃん! 家督はカノラの婿に継いでもらおーぜ。オレは世界を旅する吟遊詩人になる。よーし、万事解決っと」
なにいってんだこの兄は。
「はい、ストップ」
ヴィントは手を叩いてダンテの暴走を止める。
「ダン、よく覚えておいて。カノラの好きな人は、一人息子の嫡男なんだよ。嫁入り一択」
「……え? わたしが嫁入り?」
「……え? ちがうの?」
ヴィントと目を合わせて首を傾げ合う。
カノラはフォルと結婚したいなんて大それたことは考えていなかった。彼に熱っぽく見つめられてみたいと思っただけだ。
「まったく、スプリング兄妹はクレイジーファンタジーだよね」
ヴィントはため息を吐いて、呆れた目でダンテを見る。
「一つだけアドバイスしておく。嫡男はモテる。非嫡男はモテない。俺が言うんだから間違いない」
ダンテの目の色が変わる。恋多き彼にとっては死活問題なのだろう。
「オレはモテたい! よーし、親父とおふくろが出張でいない間に解決すっぞ。カノラ、隠蔽に協力しろ」
「仕方ないわね。兄が音痴の吟遊詩人なんて恥ずかしいし」
そうと決まれば、作戦会議だ。ダイニングに場所を移し、サンドイッチを食べながら、あーだこーだと話し合う。
「やらなきゃならんことはー、まず【ニセ菜の花】が国に登録されてるか確認しよーぜ。このあと、王城に行くぞ」
ダンテがハムサンドをくわえている隣で、カノラはメモを取る。
「あと、酒場の画家さんと会いたいわよね」
「連絡先すら知らねーけどな。騎士団に探してもらうか?」
「お父さんにバレるわよ」
「あーもーどうすんだよー」
トイレに行ってくるとか言いながらダンテが逃げたところで、カノラは銀髪碧眼男をじっと見る。
さきほどからダイニングにはスプリング兄妹の声だけが響いている。ヴィントは四連作を眺めながらサンドイッチをぱくぱく食べているだけだ。
ズルいカノラは、壁にかかっている四枚の絵を見て頷く。ここで手札を一枚切るべきだ。
「……ねぇ、ヴィンくん」
「いいよ。次はどれを差し出す?」
とても話が早い。彼は勝利のピースサインをくるくると回す。絵の権利書と交換、という意味のハンドサインだ。
いただく気満々で我関せずを貫いていたのだと、彼の瞳が語っている。愉悦まじりのアイスブルー。
冷たくて甘い――とんでもない悪い男と向き合っているのではないかと、鳥肌が立った。
「次は【満月】を差し上げます」夜空を描いたそれを指差す。
【満月】に、満月は描かれていない。
暗闇には淡い金色の雲だけが浮かんでいる。その雲の向こう側には、きっと眩い月があるのだろう。
奥ゆかしく清廉潔白、地上の人々が恋焦がれるような丸い月。それを想像させるのがアゼイの描き方だ。
「交渉成立」
黄色の卵サンドをぱくりと食べて、ごちそうさまです、と彼は言う。
「さーて。まずは敵を調べるか」
「またそれですか。酒場の画家さんは行方知れずですよ」
まるで行く末を知っているかのように、彼は笑って首を振った。
「あの絵には違和感があった。敵は、リエータ・サンライトの父親――男爵当主だよ」




