18:お城の不思議な侵入者
魔法を発動させ、シンシアは王子の部屋のバルコニーへと移動した。
王子の部屋は城の最上階にあり、そのバルコニーには部屋を通らないと辿り着けない。王子が部屋にいる今、彼に知られずにバルコニーに居るのは不可能だ。これだけでも姿を現わせばインパクトを与えられるだろう。
そのうえ今のシンシアの姿は黒いローブで身を包んでいるのだ、満月を背に立つ姿は神秘性さえ感じさせるだろう。
もちろん纏っているローブもただのローブではない。魔法で作り出した特殊な代物だ。布は夜の闇よりも濃く、銀色の刺繍は月の光を受けて輝く。黒でありながらも眩く、それがまた神秘さを増させる。
イメージしたのは人間の本に出てきた魔法使いだ。絶対的な力を持つ未知の存在、知識と魔法で登場人物達を導いてくれる。
「私や師匠以上に魔法使いでしょ? そのうえ顔は絶妙に見せないようにして、素性は分からなくするの。声も魔法を使って男女どちらの声にも聞こえるようにしてある。これなら王子様も話を聞いてくれるはず」
『確かに、いかにも助言をくれそうだね。でもシンシア、どうして僕達まで白毛の鼠にしたの?』
「ちょっとテンションが上がって魔法が鞄の中まで届いちゃった。でも本の中の魔法使いは動物を連れていたし、ちょうど良いんじゃない?」
神秘的な魔法使いが連れているのは純白の動物。この神秘さで話せばアドバイスも聞いてくれるはず。
そう話せばネズミ達も納得し、そのうえ白毛を気に入ったのか触り合っている。
実を言うと本の中の魔法使いに合わせて黒猫か白蛇に変身させようと思ったのだが、『捕食者』という単語が脳裏をよぎって止めたのは言わないでおく。
そうしてさっそく王子に声を掛けるべく、室内に続くガラス扉に手を掛けた。
キィと微かな音がする。平時ならば聞き逃してしまいそうな小さな音だが静かな室内にはよく響いたようで、椅子に座り本を読んでいた王子様が跳ねるように顔を上げてこちらを見た。
その表情が驚愕で歪むが、それでも美しさは損なわれないのだから流石だ。
「だ、誰だ……」
王子の声には驚愕と警戒の色がある。
それも当然だ。突如バルコニーに見知らぬ人物が現れれば誰だって驚愕するというもの。
とりわけ彼は王族なのだから己の命を狙った奇襲の可能性を強く考えただろう。ガタと立ち上がりはするもそれ以上の動きをしないのは、警戒しつつも状況を把握しようとしているのか、もしくは不用意に刺激するまいと考えてのことか。
そんな王子の反応を見て、シンシアはひとまず「落ち着いて」と彼を宥めた。
「貴方に危害を加えることはしないから、大丈夫だよ」
「どうしてバルコニーに……、ここは部屋を通らないと行けないのに。僕は夢でも見てるのか……?」
「夢……、そうか夢の線も有りか。そっち路線にしよう。そう、夢だよ!」
「その言い方からすると夢じゃ無いのか」
途端に現実だと受け入れる王子に、シンシアは思わず「そんなぁ」と情けない声をあげてしまった。
だがすぐさま本題に戻るべく、改めるように王子に向き直った。
「危害を加える気は無いよ。ただ、貴方にアドバイスをしに来たの」
「アドバイス?」
「そう。この前の舞踏会で一緒に踊った女性を探してるんでしょう? それのアドバイス。カボチャじゃ探し人は見つからないよ」
「……どうして分かるんだ?」
真意を探るような怪訝な問いかけ。
だが眉根を寄せて凝視こそしてくるものの、王子はこちらに歩み寄ることも声をあげて警備を呼ぶこともしない。
警戒心はあれども話の続きが気になっているのだろう。それを察し、シンシアは「だって」と話を続けた。
「カボチャはカボチャだもん。そりゃあ確かにお化けカボチャは珍しいかもしれないけど、世界に一つだけじゃない」
「確かにそうだが、それなら他にどんな方法が?」
「もう一個手掛かりがあるはずだよ。階段で、彼女がうっかり落としていったものが」
ほら、とシンシアが王子の記憶を促すように告げる。
それに当てられたのか、真っすぐに向かってきていた王子の視線がふいと逸れて他所に向けられた。何もない空間に見つめるでもなく視線を向けるのは記憶を辿る時の癖だろうか。僅かに開かれた唇から「靴」と小さな声が漏れた。
「彼女は階段を降りる途中、履いていた靴を階段に叩きつけて吹っ飛ばしていったんだ」
「落としていったんだよ」
「いや、叩きつけて壊してその勢いで吹っ飛ばしていった」
「……ふむ、お互いの記憶に僅かなズレがあるみたいだね。ここはひとまず『うっかり落としていった』という事にしておこうよ」
「うっかりどころか、気合いを込めて靴を叩きつけていたように見えたんだけど」
「重要なのは脱げた過程よりも靴! そう、あのガラスの靴!!」
無理やりに話を進めれば、王子も続きを待つようにじっと見据えてきた。
警戒の瞳は先程よりも幾分和らいでいる気がする。それどころかシンシアの無理やりな進行に苦笑を浮かべているではないか。
これならばアドバイスを聞いてくれそうだ。そうシンシアは心の中で安堵して話を続けた。
「あのガラスの靴は特別製で、持ち主の女性以外は履けないんだよ」
「履けないって、でも靴だろう? いくら特注とはいえ足のサイズが同じ女性なら履けると思うけど」
「普通の靴なら履けるだろうけど、あの靴は履けないんだよ。他の人が履こうとしても大きすぎたり小さすぎたりでピッタリにならないんだ。そういう特別な靴なの」
「そんな技術があるとは聞いたことがないけど。まるで魔法じゃないか」
王子が口にした『魔法』という単語にシンシアはドキリとしてしまった。
さすがにここで「そうだよ、魔法で作ったんだ」等と答えられるわけがない。本音を言えば師の技術を誇りたいところなのだが、それはぐっと我慢しておく。
だが代わりにどう答えるべきか……。
「あ、あるんだよ……。すっごい遠い場所に、こう、一子相伝で……。凄い技術だから、そう、だから他の人に教えちゃいけないんだ……」
「顔は見えないのに目が泳いでるのが分かる」
「とにかく出来るの! なにせガラスの靴を作るプロだから!」
自棄になってシンシアが声をあげた。
この言い分に王子が僅かに目を丸くさせる。
だがどういうわけか納得してくれたようで、彼は苦笑交じりに「プロか」と小さく呟いた。
「プロの言う事なら聞かないといけないね」
「そうそう! だから、人探しにはカボチャよりもガラスの靴を使うと良いよ。そうすれば絶対に探している人に会えるから!」
予定よりもあっさりと話が通じて、シンシアの胸に期待が湧き上がる。
やはり神秘性を出したのは正解だったようだ。
「それなら明日からはガラスの靴を使って人探しをするよ。そうすれば会えるんだよね」
「会える、絶対に会えるよ。それじゃあ私はもう行くね」
「もう帰ってしまうのかい? まだ十二時になってないけど」
王子が引き留めてくるがシンシアはそれに対して小さく首を横に振った。顔は見えないようになっているが、きっとフードの揺れで伝わっただろう。
本音を言えばもう少し話をしていたい。だけどこういうのは引き際が肝心。そう自分に言い聞かせ、バルコニーの手摺に足を掛けるとそのままひょいと飛び越えた。ネズミ達とフードを押さえながら。
「あっ!」とあがった声は王子のものだ。
まるで金縛りが解けたかのように彼がバルコニーへと出て手摺に駆け寄ってくる。
だが彼が手摺越しに眼下を覗き込む直前にシンシアは魔法で姿を消していた。
きっと彼の目にはバルコニーから飛び降りそのまま消えたように見えただろう。置き土産的に細かな光の粒も舞わせていたのでより神秘的に、まるで魔法を目の当たりにしたように感じられたはずだ。――よく見ると親指サイズの光の玉が混ざっているが、神秘的なことには変わりないはず――
突如現れたフードを被った謎の人物。その人物は助言をするとバルコニーから姿を消してしまった……。きっと王子には不思議で仕方ないはず。
たとえ彼が他の者にこの話をしても誰も信じるまい。夢でも見ていたのかと宥められるのがオチで、そんな周囲の反応がまた王子の中でアドバイスを色濃くさせるはず。
完璧、とシンシアが呟いた。元の姿に戻りぐぐっと背筋を伸ばす。ローブを被った不思議な人物の姿も悪くないが、やはりこの姿が一番。
胸の内は高揚感と達成感でいっぱいだ。
……いっぱいのはずだ。
「王子様がちゃんと話を聞いてくれて良かったね。これで明日からはガラスの靴でシンデレラを探してくれるはず」
ねぇ、とシンシアが鞄の中のネズミ達に告げる。
元の色に戻った彼等は鞄から顔だけ出し、『シンシア』と弱々しい声で名前を呼んできた。心配するような、どこか切なげな声。
『シンシアはそれで良いの?』
小さな声の問いかけ。
これに対してシンシアは言葉を詰まらせて逡巡し、それでも答えが出せず、聞こえなかったふりをして「さぁ帰ろう」と歩き出した。




