15:ばいばい、またね
重々しいシンシアの一言に、青年が頬を引きつらせた。
「し、下着姿……、それは大変だ……。大変すぎる」
「そうなの。私のセクシーさで会場が大混乱に陥っちゃう。だから王子様と踊らないと! 王子様、王子様はどこ!」
会場に飛び込み、王子様を探す。
舞踏会はいまだ優雅に盛り上がっており、煌びやかな衣服を纏った者で溢れている。
その中に王子様らしき者は見つけられず、もしやと考えて広間の奥にある玉座を見てもいるのは両陛下だけだ。本来なら王子が座るべき椅子は空席……。
「しまった。事前に王子様の居場所を確認しておくべきだった……。いや、確認だけじゃなくて捕まえておくべきだったか」
「さらっと凄い発言をしてるけどダンス以前に不敬罪になるよ」
「世界からの依頼を失敗するぐらいなら、不敬罪をくらう方がマシ!」
「世界からの依頼?」
聞き慣れない言葉に青年が首を傾げた。
だが今のシンシアには彼の質問に答えている余裕はなく、「王子様、王子様っ!」と焦りながら周囲を見回した。
煌びやかな装いの者ばかりで、誰が王子様なのか分からない。そもそも会場に着けば分かるだろうと高を括り、王子様の顔を把握していなかった。今更ながらに下調べが甘かったことが悔やまれる。
どうしよう、とシンシアが焦りを抱いていると、視界の隅からひょいと手が移り込んできた。
青年の手だ。
先程と同じく、ダンスを誘うように片手を差し出している。
「もう時間もないみたいだし、一曲踊ろうか」
「今? 申し訳ないけど、私は王子様と踊らないと」
「だから僕と踊るんだよ。ほら、急がないと!」
楽し気に話し、青年がシンシアの手を掴むと急ぐように歩き出した。
向かう先は会場のど真ん中。着飾った者達がクルクルと回りながら優雅に踊る、その中央。
いったいどうしてと慌ててシンシアが尋ねようとするも、それより先に周囲が一斉にざわつきだした。
「見て、王子様よ。今までいったいどこにいらっしゃったのかしら」
「誰か連れているけど、あれは誰?」
「今まで誰とも踊ろうとしなかったのに、いったい王子はどうしたんだ」
ざわつきの一つ一つは小さいが、それでもシンシアの耳に届いた。
『王子』と。
まるで、目の前の彼が王子様のように……。
「……この国のプロなの?」
「今は父上が王座に着いているから、強いて言うならこの国のセミプロかな」
信じられないと目を瞬かせるシンシアに対して、冗談めかして返す青年の笑みは随分と悪戯っぽい。シンシアの反応が楽しいのだろう。
そのまま音楽に合わせて優雅にステップを踏むのでシンシアも彼につられて足を動かした。というより、立ち止まろうにも魔法が掛かった靴が動いてしまうのだ。突然の展開に頭の中は混乱するが体は優雅に踊っている。魔法はこういう時に融通が利かない。
「貴方が王子様……」
「僕の正体よりダンスを楽しもうよ」
「そ、そうだね。王子様とのダンスなんだし……。でも王子様ならもっと早く言ってくれれば良かったのに」
「言わなければとは思っていたけど、もう少しだけ『その道のプロ』でいたかったんだ」
ごめんよ、と青年もとい王子が詫びてくるが、悪戯がバレた子供が舌を出して誤魔化すような茶目っ気のある詫びだ。
これにはシンシアも不満を抱く気にならず、苦笑と共に彼の謝罪の言葉を受け入れた。
騙されたとか偽られたという負の感情はない。あるのは「してやられた」という、むず痒さだけだ。
そうして彼とダンスを楽しみ……、
だが響き渡った鐘の音に、シンシアはまるで夢の中から現実に引き戻されたかのように肩を揺らした。
あれだけ優雅に動いていた足が、靴が、ぴたりと止まる。
「どうしたんだい?」
「十二時……。もう行かないと!」
「え、でも僕と踊ってるなら大丈夫じゃないのかい?」
「それだけじゃ駄目なんだ。もう帰るから、この後は私を……」
私を探して、
そう言いかけ、シンシアは一瞬口を噤んだ。
胸の内に言いようのない靄が浮かんだ。……気がする。
だがその疑問も靄も気にしていられない。なにせドレスが不自然に輝きだしているのだ。
魔法が解ける。
ドレスが消える……!!
「待って、せめてきみの名前を教えてくれ!」
王子が引き留めるように手を伸ばしてくる。
だがシンシアはその手をするりと躱し、急いで会場の出口へと向かった。
今の今まで優雅に踊っていた二人の突然のこの慌てように、周囲に居た者達も何事かと訝しんで道を空けてくれる。まるで海が割れて左右に波立って引いていくような、花道というには些か白々しい道。
そんな道を抜け、シンシアは会場の外に出てると長い階段を駆け下りた。
背後からは王子の声がする。「待ってくれ」「名前を!」と必死な声だ。
答えてあげたい。
振り返って名乗って、「またね」と。
だけど告げる名前は。
彼が口にする名前は……。
「何を考えてるんだろう、私。そうだ、ここでガラスの靴を置いていかないと……」
予定ではここでシンデレラはガラスの靴を落とす。
それを拾った王子はシンデレラを見つけるべく、国中の女性にガラスの靴が入るかを尋ねて回り……。
そうして王子とシンデレラは再び出会い、結婚してめでたしめでたしだ。
だからここで靴を落とさないと。
そう考えてシンシアは踵を階段に引っかけて脱ごうとし……、
足首をしっかりと固定する紐に目を見開いた。
なんて美しい紐だろうか。ガラスの靴と同じ淡い水色をしており、シンシアの足首を支えつつ美しく飾ってくれている。留め具の部分が花の形になっているのはワンポイントだろう。
ガラスの靴の、ガラスの……。
「ガラスのシューズストラップ……! 師匠、なんてデザインにしてくれたんですか!!」
届くはずのない師への恨み言を口にしガラスのシューズストラップを外そうとするも、想いのほかガッチリと足首に留まってしまっている。
これは慣れぬドレス姿とダンスで弟子が不自由しないようにという師の心遣いだろうか。あるいは足元まで美しく見せようという拘りか。たんなるうっかりか。
なんにせよ今のシンシアからしたら恨めしいことこのうえない。
「これはもう壊すしかない! 最後に頼るは己の破壊力!!」
相変わらず魔法使いとは思えぬ台詞を吐き捨て、シンシアは右足を思い切り階段の柱にぶつけた。
ッカーン!!
と、甲高い音と共にガラスのシューズストラップが砕け散った。
それと同時に靴も脱げる。正確に言えばすっぽ抜けるといった方が正しい勢いだが、足から離れたのなら良しだ。
「あとは王子を撒くだけ!」
いける! と確信を抱き、シンシアは階段を下りきり、そのままの勢いで敷地の出口へと走り出した。
どうやら王子は側近達に捕まってしまったらしく、階段途中で数人に腕を掴まれている。「待って! 名前を!」という彼の声は随分と必死だが、それを押さえて宥めようとする者達も必死だ。あれを振り切って追いかけてくるのは無理だろう。
ごめんね。
でもまた会えるから。
……私じゃなくて、シンデレラとだけど。
そう心の中で彼に告げ、シンシアは制止の声を振り切るように走り続けた。




