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ここに彼女を閉じ込めたものは、アデルに憑いた悪魔があれほどに強大だとは思っていなかったのだろう。徐々に悪魔はアデルの身体と調和し、使いこなすようになって、この礼拝堂から脱出したのだ。それが、アルマンを襲ったタイミングと思われる。
「気を付けて」
聖女が囁く。それに触発されたのかアデルが顔を上げた。その瞳には白目が無く真っ赤で、日光の中で悪魔憑きの状態が良く見え、確信が持てる。
アデルの口が開いた。
「教会の香炉臭い連中が来たか」
アデルの声で、挨拶より先に下劣な言葉が語られる。見たことがない邪悪な表情だった。
「だがオレの知る連中ではないな、何者だ?」
「お前を祓いに参りました」
聖女が良く通る声で言った。悪魔は自分の勝利を確信しているということが、すでに何回もループでその強さを知っている私には察しがついた。本当に聖女で勝てるのだろうか?とりあえずラッキーなことに、奴はまだ捕らわれているから、この隙に聖女にパワー発揮していただこう、と思った瞬間。
悪魔憑きのアデルが椅子に括りつけられた自分の縄を引きちぎったのだった。嘘でしょ、パワーのスペックまで上がるんかー。
一瞬で騎士が飛び出した。アデルに体当たりして床に押し付ける。それを跳ね返そうとしているのを見て私も加勢して彼女の右手を掴んで拘束する。あの悪魔の力が出てきてしまえばかなり苦戦する。
その前に、と思った私は床からすでにあの闇が這い出てくるのを見つけた。まずいまずいまずい。私はともかく聖女が殺されると厳しい。
だが次の瞬間、古い礼拝堂には不釣り合いな、猛烈な光が放たれた。
短い祈祷の句が聞こえたような気がするが、ほとんど無詠唱で、聖女は己の身から、清浄の光を纏っていた。零れた光に、尖った暗い影は、あっという間に暗がりに身をひそめていく。ほとんど暴力的なほどの強さだ。
敵役となるマルグリットは、シナリオが進んでいく中で悪魔との契約を実らせて、ただの悪魔憑きだけではない、魔女となる。その圧倒的な力に匹敵する聖女の力だ。
「お前はなんだ!」
アデルが濁った声で喚きたてる。
「アデルに憑いた悪魔よ。お前は力ある悪魔と見た。ならば私の力もわかるでしょう。お前を引きずりだして消滅させることもできります。それが嫌なら自ら彼女を離れ、もと居た場所に戻りなさい」
聖女は若そうだったが、その落ち着いた声は光以上にこちらに安心感をもたらすものだ。
「嫌だね!」
アデルに憑いた悪魔は聞くに堪えない言葉を使って喚き散らしている。しかしこいつも本当に力が強い。私も限界だし、騎士の腕もプルプルしてきている。
「そう思いました」
聖女はため息交じりに告げる。一瞬、礼拝堂の中が突然暗くなった。聖女もパワー切れかと焦ったが、そうではなかった。彼女が胸の前でかざしている両手の中に、眩い光が凝縮していた。
「これで思い残すことなくぶっ殺せます」
ヤンキー系聖女か。キャラ立っているな。
聖女は落ち着いた足取りで近寄ってくる。そしてわずかにかがみこみ、その手の光をアデルの胸に打ち込むようにして落とした。両手の掌に溜めた水を捧げるような静かな動作だった。
水面に丸く幾重にも波紋が広がるように、光が広がっていく。まぶしくて目を開けていられない。
その正常な光と裏腹に、ぞっとするような声が礼拝堂に響き渡る。それがアデルに憑いた悪魔の絶命の声だということは感じ取れた。
視界を遮るほどの光がやがて空気に溶け込んで散っていった。礼拝堂の中は窓から淡く差し込んでくる心地よい日光と、聖女の力が残存しているがゆえの清々しさで満ちていた。
いや、すごいパワーですな……。
もう聖女がいればいいんじゃないか……くらいな。アデルも攻略キャラも必要ないくらいの力ですな……。
アデルはぐったりとして気を失っているようだった。騎士がアデルを抱え上げ、我々は礼拝堂から外に出た。
空の明るさが礼拝堂の森の木漏れ日となって落ちてくる。そうか今日はこんなにいい天気だったのだ。
数え切れないループの中で、私は初めてそんな風に思った。
騎士がアデルを柔らかく短い雑草の緑の上に寝かせた。
「大丈夫ですかね」
「悪魔祓いは成功したと思うのですが」
聖女はアデルの横に跪く。アデル嬢は少しやつれて見えた。私はその乱れた髪を撫でる。それがむずがゆかったのか彼女は睫毛を震わせた。
彼女のやつれ方からして、ここに居たのは昨日今日ではない。もっと前。
瞼がゆっくりと持ち上げられ、その瞳の色が見えた。柔らかい薄紅色の目。『ラ・ギルランド』の主人公アデルの瞳。
「……ああ、私」
彼女はめまいを振り払うように何度か瞬きをしながら身を起こした。
「大丈夫ですか?」
聖女が声をかけ、彼女の手を握る。
「ええ……あなたは」
アデルがそこまで言いかけた時だった。
空気が震えるような、何か非常に高い音が聞こえたような。どこかで何かが輝いたような。
何かが起きた。
私にも何が起きたのかわからない。でも確実に一瞬前と違う。
そして目の前の異常を把握した。
アデルと聖女が、向かい合い手を触れたまま、固まっていた。まるで画面がフリーズしたようだ。
「アデル……聖女様?」
私は聖女の肩に、そしてアデルの手に触れてみたけど、柔らかさを失いマネキンを触っているようだ。
「いったいこれって……」
私は立ち上がり二人を見下ろす。そして顔を上げれば、立ち尽くしている騎士と目が合った。
「……まだ思い出さないのか?」
騎士が喋った……!?
兜の中、くぐもった低い声が告げる。
「もうわかっているんじゃないのか」
私は息を止める。こいつは何者だ?
「何のことを言って」
言いかけて私はやめた。そうだ、この騎士が何者であれ、私はもうわかり始めているのだ。このループする世界がなんなのか。ただ、信じられないだけで。
「今しかないぞ」
私は騎士を、そして二人のヒロインらしいヒロイン達を見る。
それからこのループで出会ったキャラクター達を思い出す。
「あなたは?」
心当たりのない彼に問う。彼は呆れたように肩をすくめた。
「早く思い出してくれ。でも、まず、行くべき場所があるのだろう?」
私は頷いた。
そうだ。もう、この物語が何か、私はほぼ理解している。でもなぜこんなことになっているのか、そしてどうすれば適切に終わらせることができるのか。それを知らなければならない。問い詰めるべき相手はただ一人だ。
「私は行きます、あなたは?」
「そこに行けるのは君だけだ」
そうかもしれない。
そして私は三人を置いて、礼拝堂に背を向ける。馬車の御者台に乗りこんだ。
行くべきは、始まりの場所。この物語のきっかけ。イザボー皇太后。




