(2)
顔は見えないけれど雰囲気で若いとわかる。
「聖女様」
司祭たちが一気に膝を落として身を低くした。老司祭が彼女を見上げて言う。
「こちらにわざわざおいで頂かなくとも……」
「私にご用事があるように聞こえました」
聖女は首を傾げた。それから私の方を向く。
「私に会うために、ここまでわざわざ来てくださったご様子ではありませんか」
そうね。馬で飛ばしてきたから、起きた瞬間の方がまだマシだったのでは?と思うくらいに服も皺だらけだし、顔も埃が付いているかもしれない。髪の毛がベールに隠れているのは救いだ。
聖女は進み出て私の手を取った。
「何かご用事があるのであれば伺いましょう」
やはり。
私は内心で頷く。聖女の人格がそれなりに破天荒ではないことを予想していたが、やはり正解だった。
「ありがとうございます」
私は聖女の手を握り返した。
「ですが、司祭様のおっしゃる通り聖女様もお忙しいことと存じます。どうか都に向かう道中、わたくしの馬車にお乗りいただき、その間お話をすることが出来れば、それに勝る名誉はございません」
私はそれからちょっとふざけて笑う。
「もちろん、わたくしを疑わしい存在と思われる、司祭様や聖騎士の皆さんの不安もわかりますからご一緒で構いません」
その時聖女は一瞬だけ黙った。それからはっきり口にした。
「いいえ、私一人で大丈夫ですよ」
「聖女様!」
心配している老司祭がキィッってなっているけど聖女はお構いなしだ。ああ、彼だけは連れて行きましょうね、と近くになっていた一人の甲冑姿の騎士だけ手招きする。彼は言葉を発さずただ頷いた。無礼と言ってもいい態度なのに聖女は気にする様子もない。
フレンドリーで庶民的。
私は思い浮かんだ聖女のイメージを噛み締める。
そう、そういうキャラクターは結構あるのかもしれない。ああいう物語であれば。
私は徐々にこの世界をわかり始めてきていた。正体はまだ曖昧だけど、ルールは見えてくる。
「でもあなたの馬車は」
「あっ、後で付いてきなさいと言ったのですが……まだ到着していませんね」
「それならわたくしの馬車でいかがですか?」
聖女は自分の馬車を手伸ばした手のひらで指し示す。宗教国家の面目躍如と言わんばかりの豪華な馬車だ。
「ぜひご一緒しましょう」
それから私の手を引いて、彼女はそちらに向かった。
ついに、聖女とガチタイマンか……。
私ははやる心を押さえて彼女の後について行った。馬車に彼女と二人で乗り込む。外の方では出発の準備も大詰めで、慌てている気配があった。遅れて甲冑の男も乗り込んで来た。
やがてゆっくりと馬車は動き始めたが、両脇では騎士団が、後ろからは老司祭の馬車が付いてくる慶派がする。
「大変な警備ですね」
私が言うと聖女は恥ずかしそうに少し俯いた。
「とても身に余るものを感じております。私など、ただ悪魔祓いの力が少し強いだけで、若輩者ですのに。まだまだ学びが足りません」
彼女の顔が見えないという状況は内心を探るという意味では不利だけど、それは本心であるように感じ取れた。普通にめちゃくちゃ謙虚でいい子そうだな……。
「外の世界のことだってよく存じませんのに」
箱入りかあ~。そういえばアルマンも、この訪問は彼女の気晴らしだと言っていたな。なんかいろいろ事情がありそうだ。
私が知らない彼女にも、彼女の物語があるのだろうな。
そこまで思い至って。
そして私は気が付いた。
この世界は、……こうしてずっとループを続けているこの世界はもしかして。
スチルはあったけど会話はなかったはずのリュカ。
敵役として断罪されるデシデリアはご機嫌な奥様に。
ラウルとベルナルド王子には公式ではなかったはずの過去があった。。
邪魔な存在として、消えるビビアーヌとクラリスは、全然邪魔にならないところで勝手に幸せになっている。
そして見知らぬ聖女。
これは誰かの改変だ。
『ラ・ギルランド』を変えようとしている何かがいて、それは私をも影響しているのだ。
だから今、悪魔憑きになっているアデル。
彼女のこの出来事も何か関係しているとしか思えない。
最も巨大な変更であるこれは。
「……聖女様」
私は目の前の、顔が見えず、そして名前もわからない彼女に言う。どういった存在であれ、おそらく悪魔憑きになっているアデルに対抗できるのは彼女しかいないだろう。
「実はお願いがございます」
「そうだと思いました」
聖女はベールの下で微笑んでいるようだった。
「そうでもなければ、早朝に、あんな疲労困憊した姿で、私のところにやってくるなんて考えられませんもの」
「お察しでしたか、お恥ずかしい」
「いいえ。よほど重大なご事情があるのでしょうと思っておりました」
聖女は優しく、協力的だ。まるで本当のヒロインのように。
「私にできることならなんなりと」
優しくて、でもうっかりしていて、もしかしたら自分に向けられる恋心に疎そうな彼女。
私は徐々にその正体が見え始めていた。
多分、それはきっと。
……。
よぎったことが少し気恥ずかしい。それは『愛』なんだろうなって思ったから。




