「食う寝るところに住むところ」とにゃ?
ファウストが閑静な住宅街を抜けると、所々白い壁が黒澄んだ、寂れた駅が見える。黒い塗装の剥がれた時計台の針を見ると、夕方の4時頃を指していた。カラスがそろそろ鳴く頃だ。普通の野良猫なら恐ろしい時間帯だろう。
人はそんなに多くはなかった。電車の通るガタンゴトンという音が、どことなく心地よい。どうしてこんな所に植えられたのであろうかという位置にある桜の木も、まだ開花していない。むしろ、葉っぱも花も何も無く、太い枝が剥き出しの状態だった。
(春はまだまだだにゃ~)
散歩をしながらのびのびと仲間探し。
地獄で見ていた景色とは違い、人間界の道には、様々な不完全さがあった。潰れてしまった店や床に落ちたゴミ。こんな存在、地獄ではありえない。潔癖な閻魔に怒られるからだ。ファウストは、興味津々で辺りを見回していた。
(にゃ?)
ふと、駅周辺の広場に目をやる。そこには、数匹の猫に餌をやっている爺さんが居た。群がっているのは……本当に野良猫であろうか? もし同じ死神猫だとしたら仲良くしたいし、野良猫なら挨拶回りをして見たい。それに情報収集にもなる。ファウストはそう思った。
「そぉれ、どんどん食べなさい」
「にゃあ」
(こんにちは~)
ファウストが、餌やりの輪の中に入っていく。3匹の猫に睨まれた。ファウストはその気配で、彼らが死神猫であることを察知する。
「にゃんにゃー?」
(シューリンガン様の餌だぞ? これは)
一匹の茶トラ猫が応えた。おそらくボスだろう。黒かった瞳が赤く輝く。ファウストは威嚇されているのだ。「ふぅう!」っと、ひと鳴きして尻尾をビリリと毛羽立たせるシューリンガン。
止めに入ってきたのは、その仲間と思われる茶色い短足の死神猫。エメラルドの綺麗な瞳をしている。もう一匹の赤茶色の太いモップのようなフォルムの死神猫は呑気に餌をカリカリと食べていた。
「にゃーにゃんにゃーにゃにゃにゃ?」
(シューリンガン。あなたは血の気が多すぎます。ポンポコピー。あなたも少しは食べ物以外に興味や関心を持ってはどうですか?)
「にゃーんにゃ!」
(うるさいぞ、グイーリンダイ!)
「にゃむーにゃむー♪」
(おーいしーおーいしー♪)
賑やかな様子に爺さんは喜んだのか、笑顔でもっと餌をばらまく。しかし、その様子を良く思っていない者がいるようで……。
「あらやだ、また竹林さんが動物に餌付けしてるわよ」
「やぁ~ね~」
ひそひそ話がなされていた。
噂話は爺さんにも聴こえているようで、少し俯いていた。ファウストをはじめ、死神猫たちは彼の死にたい度が上昇していくのを、それぞれの方法で感じ取る。
「にゃんにゃぁにゃーにゃーにゃーにゃー」
(コイツは独り身なんだ。持病も特にない。ただ寂しくて俺様たちやハトなんかに餌をやってる。まぁ、なんかわからんが、可哀想な年寄りってこった)
シューリンガンが、ファウストに説明をして、地面に撒かれた餌を口にする。グイーリンダイは、補足として爺さんの情報も教えてくれた。
竹林カズ。89歳。独身。本人自身に、これといった特徴が無く、仕事も定年まで続けてきた真面目人間。人生に華が無く、ただ時が過ぎたら老いていたというちょっと可哀想な人。近所付き合いは苦手な方で、無口。周囲からは、「何を考えているか分からない」と言われ孤立している。
そんな彼が唯一楽しみにしているのは、動物への餌やり。毎日公園や駅周辺などで、パンのクズやカリカリ等の安い餌を与えている。自殺用にと、押し入れにしめ縄の様な太いロープを隠し持っている。と。
「にゃんにゃーにゃんなーにゃん」
(俺様たちが居なくなったらコイツは死んじゃうんだぜ)
「にゃむにゃむー」
(そうそう人助け人助け)
シューリンガンとポンポコピーが、餌を美味そうに食べながら言う。時にはしわくちゃの手で、そっと撫でられながら。
「……食う寝るところに住むところ。有っても辛いのは人徳が無いからなのか……」
「にゃ」
ファウストはその言葉を聞いたことがある。
閻魔がよく言う説法の中に、似たような言葉が在った。爺さんは人間。もしかして、悟りを開いたのか。そりゃ凄い。そう思ったファウストはカズの撒いたカリカリを一口食べてみた。
(不味いにゃ……)
時計を見れば、あっという間に6時頃だった。そろそろタカシがアパートに帰ってくる時間だろう。婚約指輪の件も話して、2人とはおさらばして、次の者たちと出会わなければ。食う寝るところに住むところが無ければ、ファウストは、タカシのような派遣社員のようなもの。任期が終わったら、職を探さねばならない。
「にゃーんにゃにゃにゃ」
(キサマも【ジュゲムの集い】に来い。仕事には困らないぞ)
シューリンガンが口をもぐもぐさせて言った。
はて、【ジュゲムの集い】とは何だろう? ファウストがカリカリを地面の上で転がしながら考えていると、グイーリンダイが、丁寧に説明をしてくれた。
話によると、ジュゲムという死神猫組織があって、各々情報交換をしているらしい。人間界の出来事や、死にたがりな人の情報なども容易く手に入る。ベルゼブブ(お豆ちゃん)も、この組織から情報を貰って美人な女性の元で暮らせるようになったという。
「にゃぁ~ん?」
(あなたも入会しませんか?)
「にゃう……」
(どうしようかなぁ……)
まるで何かの勧誘のようであるが、食う寝るところに住むところが欲しかったファウストは、己の名前を告げて、組織の会員になった。まだ【タカチカ】は、ファウストを用済みとは言っていないが、保険は欲しかった。
「にゃむー」
(お腹いっぱーいー)
ポンポコピーが、大きなあくびをした。モップのような体毛が揺れる。
「にゃむーにゃー」
(ねぇもー帰ろうよー)
毛づくろいをしながら言うポンポコピー。それが別れの合図だと知っているのか、爺さんは餌袋を仕舞って家へと帰っていった。
「にゃーにゃあにゃにゃあ?」
(死神猫組織のアジトは浦和シズコの家の軒下。これで解るわよね?)
特定の人物のもとへと移動することは容易い。グイーリンダイのエメラルドの瞳と、ファウストの金と銀の目が合わさって、情報交換が出来た。古風な一軒家の軒下が見える。独り暮らしと思われる白髪の婆さんの後姿も。
「にゃん」
(じゃあな)
シューリンガンたちと別れた後、地面に転がっているカリカリを見つめて、ファウストは思った。
(食う寝るところに住むところだけがあっても、人間とは幸せを感じないものにゃんねー)
冥界でのびのびと暮らしていたファウストには解らない。もし仲間を持ったら何か変わるのであろうか。去っていくシューリンガンたちの尻尾を眺めながら、ファウストはその場からタカシの住むアパートまで移動した。




