あざとく変態、ベルゼブブと出会ったにゃ!
迷えるおバカの名は、目黒綾子。24歳。OL。明るい茶色のロングヘア―の女性だ。体はスラッとしたモデル体型で美人。彼女はリビングマットの上で正座になり、カッターナイフを両手で喉元真正面に宛てながら、「あの美容院、絶対恨んでやるー!」とわんわん泣いている。
美に対して完ぺき主義な綾子にとって、揉み上げは命らしい。それを今日の昼頃にバッサリ切られてしまったのだ。毎日の仕事に疲れて眠っている間に起きた悲劇である。
(たかが揉み上げぐらいで大袈裟にゃ)
ファウストは、「くだらぬにゃあ」と呟きつつも、現に死のうとしている彼女を放っておくことはしなかった。ずっと同じ姿勢で泣き続ける綾子の家の中へと移動し、背後から、猫語で話しかける。
「わぁ! びっくりした!」
「にゃッ」
失礼な。
大きな声に驚いたのは死神猫の方だ。そう思いながら、彼女の警戒心を解くために、笑って見せた。よく、目元が狐のようだと言われるが、ファウストはれっきとした死神猫。金と銀のオッドアイに黒いフサフサの体毛。自分が如何に可愛い存在かを知っている。
大抵の人間は、このあざとさにやられるだろう。さっきの泥棒が心を許したように。さらに、招き猫のようなポーズをしてみたりもした。
「え、すご……可愛いんだけど! どこから入ってきたの?」
(にゃにゃにゃ)
どんなもんだい。
綾子は、カッターナイフの刃をしまって床に放り投げ、スマホを取り出し、ファウストのことを連写していた。目をハートにさせながら。その音は若干、死神猫には雑音に感じたようで、自然と両耳が下がる。
「こっちおいで~クロちゃん」
「ファウストにゃん!」
あ。
つい人間界の言葉で返答してしまった。これはファウストが【タカチカ】の件で思ったことだが、人間は、言葉が通じると解ったら、相手が冥界の遣いであっても、猫の姿をしているというだけで、僅かながらに下に見てくる。それが少しだけ不服であった。
たった今、【クロちゃん】と呼んだ綾子もそうだ。勝手に死神猫に名前を付けて支配したがる。チカに至っては、尻尾まで掴んで脅してきた。今も根に持っている。
「自殺よくないにゃん」
それだけ言って立ち去ろうとしたファウスト。悲惨な現状(?)を思い出した綾子は、マスカラが滲むほど滝のように涙を流して死神猫を抱き寄せた。
ギュウゥッと人形のようにファウストを抱きしめる彼女のふわふわした髪が耳をくすぐる。
「そりゃ死にたくもなるわよー!」
「ひぃい!」
涙を拭えば拭うほど無くなっていく眉毛。怖い。美人でも眉毛が無いのは怖い。とにかく怖い物は怖い。ファウストは、懸命に彼女の顔に猫パンチをかました。高速連打8連。ビックリしたのか、綾子は死神猫を床に置く。
「うぅ、髪は女の命なのよ……受付でこんな中途半端な揉み上げの不細工女が居たら笑われ者だわ。あぁ、これからどうしたらいいの~」
「髪はまた伸びるにゃん。それに、お前より太っちょでも前向きな女がいるにゃんよ」
チカのことだ。
励ましたつもりだったが逆効果だったようで、彼女は市販の頭痛薬を大量に箱から取り出して、それを飲もうとしている。
「デブなんかと比べないで。私は自分の質を下げたくないの。同僚にも下に見られたくないのよ」
ファウストが、銀の左目で死にたい度を測る。
(死にたい度……17%)
そこそこ高かった。人間の美への執着はこれほどまでに高いのかと思うと同時に、ファウストはわざと尻尾で、綾子の掌の大量の頭痛薬を払いのける。
「させないにゃん」
「もう、じゃあどうすればいいっていうの?」
目の前のファウストにキレ気味で応える彼女。こんな時、閻魔はどうするだろう? 死神猫は考えた。そうだ、心ゆくまで話を聞こう。どんな者にでも、閻魔は説法を説いてきた。それなりにうんちくはあるはずだ。のんびり冥界で暮らしていたファウストが、人間の心理を理解しているわけではないであろうが。
「人間界には、死にたくなくても死んじゃう者がいるにゃん。例えば、事故とか殺人事件とか……話ならいくらでも聴くにゃんよ。だから自殺は良くないにゃん」
「ばーかばーかばーか!」
今度は、綾子が泣きながらファウストの眉間を人差し指でコツンと突いた。3連。まるで子どものように泣きじゃくる彼女に、困ってしまった死神猫。どうしたものか。
――にゃあ~ん♪
突然、綾子とファウストの後ろから、間延びした子猫のような声がした。振り返ると、掌サイズの死神猫が一匹、上目遣いで立っていた。
見た目は雪のように真っ白で、お饅頭のようにぷっくりとした非常にキュートなフォルムだ。スカイブルーの瞳が、ウルウルと綾子に問いかける。
「死んじゃうの~?」
たった一言だったが、その場の空気が、ガラッと変わる。その子の存在は、まるで5歳児が無垢に自殺する彼女をボーっと見つめるような感じだったのだ。
「もーそんな目で見ないで~」
綾子が、得体の知れぬ死神子猫を掌に伸せて、かき回すように撫でていた。どうやら嫌でもないらしく、大人しく彼女に撫でまわされている。
「わかったからぁ! お豆ちゃん。今日からここの子になりなよ♪」
(そんにゃ!?)
こんな死神子猫に負けただなんて……と落ち込むファウスト。ファウストは悔しさでいっぱいの顔で猫語で綾子の掌の上の死神子猫に語り掛ける。
「にゃーにゃ?」
(我が名はファウスト。お前の名前は何だにゃ?)
「うにゃーにゃ~ん♪」
(ワシはベルゼブブ。名など、どうでもエエがな♪)
「にゃん!?」
(ファウストより先輩にゃん!?)
「にゃ~んにゃうにゃ~にゃん♪」
(そんな事より、女子の手はサイコーじゃわい。風呂ものぞき放題だのぅ♪)
この死神猫。だいぶスケベである。自分が最高に可愛い存在であることを知っていて、敢えて無垢に、死にたがりな相手に近づいて癒す。プロだ。そうファウストは思った。
(負けた……)
出来るならファウストも、綺麗で太っていなくて暴力的でない、そんな女性のもとで、吞気に命令が終わるまで暮らしたかった。
まだ【タカチカ】が帰ってくるまで、時間がある。
ベルゼブブを発見したのだ。死神猫はきっと他にも居るはず。なんといったって星の数よりも多いのだから。他にどんな者がいるのであろうか。
(探してみるにゃん!)
散歩の目的が出来た。
冥界では一匹一匹に挨拶をしていなかった。これを機会に仲良くなれる者も居ればと思ったのだ。綾子がベルゼブブ(お豆ちゃん)に夢中になっている間に、ファウストは、住宅街から駅の方へと足を運んだ。




