咎人を癒してしまったにゃ!
泥棒の住処は、どこにでもある安そうなワンルームの賃貸マンションだった。家具類なども一切置いていない。地獄で多くの悪人の行いを聞いてきたファウストの予想からすると、住処を転々としながら一人で悪事を働いているのであろう。足がつかないために。
「よっしゃ、あとは【ウルカイ】の配達が来るのを待つだけだな」
(?)
しばらく気配を隠して、様子を伺うファウスト。
泥棒は、ちょうどファウストくらいの大きさの茶色の段ボールを持っていた。死神猫が、金の右目で中身を透視してみると、タカシの盗られたチカへの婚約指輪が見える。
(にゃるほど)
察しの良い死神猫は、瞬時に考えた。
昨日のダイエット前夜祭で知ったことだが、ある人がお金を支払ったら、知らない誰かが出前をしてくれる。きっと、この段ボールも、泥棒がお金を支払うか何らかのことをして、取引先の人のもとに送られるのであろう。
地獄に逝った者の言葉で印象に残っているのが、
「蜘蛛と蝶を助ける方法なら知ってるぜ。蜘蛛も蝶も高額で売っ払ってコレクターに飼わせる。買った奴もオレも懐があったかい。道端にそんな都合の良い商売があるなら、死んでもオレは絶対やるね」
という言葉だ。
ダイアモンドはキラキラしていて綺麗だ。コレクターは絶対に居るであろう。ファウストは、泥棒の男が何をしようとしているのかが理解できた。
しかし人間界では、泥棒はれっきとした犯罪。冥界でも閻魔の裁くべき悪事にカウントされる行いである。ファウストは威厳を持たせるため、尻尾に青い炎を灯して、泥棒の前に姿を見せた。
男は怯えはしなかったが、その神々しさに時が止まったかのようにさわわと震えていた。
「咎人よ、指輪を返すにゃん」
ファウストが強い口調で言うと泥棒は、段ボールを持ったまま、手を背中に回した。彼が何をしようとしているかは、金の右目がお見通しである。
「ファウストにはナイフも塩も効かないにゃ」
泥棒は、ポケットにしまっていたミリタリーナイフを、カチャカチャと音を立てて取り出した。「うるせー!」と言いながら、男はファウストに向かって、威勢よく切りかかる。
(効かないって言ってるのににゃ~)
死神猫は自分の意思で姿を消すこともできるのだ。物理攻撃は効かない。もちろん水の入ったペットボトルも怖くない。人魂のような炎が揺らめき、ファウストの鳴き声だけがこだまする部屋。いよいよ死神猫の怖さがわかってきたのか、勝手に独り言を始める泥棒。
「俺だってな、全うに生きたかったさ。でも社会がそれを許さなかった。新卒から10年勤めた会社をクビになってから、人間不信になったね。良いじゃねぇか指輪の1つや2つくらい。幸せなんだろ、そいつらは。持っていった包丁も、本当に使うわけじゃなかったし、俺にだって幸せになる権利があるってもんだ。そうだろ」
(ふーん)
ファウストにとっては、咎人の言うことなどに興味はない。どちらかというと、見てみたかったのは、死にたい度。銀の目を見開く。
(死にたい度……0.1%)
なるほど。
まだまだこの泥棒は生きて、他人を不幸にするだろう。行くところまで行けば誰かを殺めるかもしれない。そうすると、冥界に送られるものが多くなる。ついでだ。閻魔の代わりにお灸を据えてやろう。そう思ったファウストは、姿を隠しながら男の腕に噛みついた。
「いってぇ!」
実はそんなに強く噛んでいないのだが、いつどこで噛まれるか分からない恐怖は泥棒には効いたようだ。持っていたミリタリーナイフを床に落として、ガタガタ震えながら部屋の中をキョロキョロと見回していた。
「世の中、そんな甘い話があると思うにゃよ」
先ほどの地獄へ逝った者への閻魔の返答を、丸パクリで言ってみた。のんびりと地獄で暮らしていた死神猫にとって、ちょっと言ってみたかった台詞だったりもする。意味はそれほど分かってはいない。ただ、目の前の泥棒が少し罪悪感に目覚めてきていることが、金の右目で感じ取られた。
「さぁ、指輪を返して罪を償うにゃん」
「でも、前科モンになっちまったら、どう生きていけば……」
困ったことになった。
ファウストは、自殺願望の気を察知したのである。それは目の前の男。
「そっちは窓にゃん」
「変な猫よぉ。俺もうどうしたらいいか分かんねぇんだ……」
不味い。自分のせいで冥界に逝く者が増えてしまう。閻魔に叱られる! そう思ったファウストは、泥棒の足元に姿を現して、猫語を話しながら頬を擦り付けた。
(不本意だけど媚びるにゃ!)
それはもう火を起こせるぐらいにスリスリする。その甲斐あってか、男は自殺をやめてファウストを抱きかかえると、部屋の真ん中で胡坐をかいて座った。
ちょこんと死神猫を膝に置き、フサフサの背中を撫でている。
「なぁ猫。俺、やり直せるかな」
「にゃあ」
上目遣いでこれでもかというほど媚びるファウスト。死なれては困る。男は諭されていると勘違いしたのか、
「これが何かの夢なら、きっと、ここで止めとけっていうお告げなんだろうな」
と言って、ファウストの喉元をゴワゴワと撫でた。正直に言うと、頭がガクガクして脳が揺れて気持ち悪かった。
「にゃー」
それでも何とか指輪を取り戻し、男のこれからの犯行も阻止しようと考えたファウストは、泥棒のゴツゴツした手の甲をチロッと舐める。しょっぱい。男は窓から見える空を眺めながら、「今日は天気が良いなぁ」と呟いていた。
しばらくして泥棒は、自分から近くの交番へと行った。自首だ。婚約指輪の件もこれで終わったことになる。その報告をするために、ファウストはタカシのアパートまで戻ることにした。
――しかし、死神猫には人間界について聊か興味がある。
「少しだけ散歩してみようかにゃ」
マンションから出て、鼻歌を口ずさみながら住宅街の細い路地裏の道を歩く。するとまた、くだらない理由で命を落とそうとしている者の気配を察知した。
(どうしたのかにゃ?)
ファウストは、金の右目でその者の情報を細かく調べることにした。




