恋する理由って不思議だにゃ~
ダイエット前夜祭も、あっという間に終わり、時は既に朝の7時。めくられたカレンダーには、火曜日と書かれていた。チカは、昼の大学の必修授業を受けるために、タカシのアパートのシャワーを借りていた。
一回りも二回りも大きなバスローブを、お風呂場の横の洗濯機の上に置くタカシ。彼は、ドライヤーなど必要な物を一式揃えていた。色違いのコップに歯ブラシなど。
「にゃあタカシ」
「何だ?」
「どうしてあんにゃ、ぽっちゃりで暴力的な女性が好きになったのにゃ?」
ふっと笑われた。
「?」
ウルウルお目目できょとんとするファウストに対してタカシは、洗面台で、慣れたような手つきで髭をそりながらこう答える。
「具体的には分からないけど……チカと出逢う前は、なんか人生そのものが灰色だったんだ。最初は節約のために始めた貯金も、気が付けば使い道がなかった。ただ疲労と数字ばかりが増えて、その時は仕事の面白みもわからなかったんだ」
「人間界には、イクラとか美味しい物が沢山あるにゃ」
人間界にはベテルギウスのように赤く輝くイクラが有るではないか。お金があればそのようなキラキラして且つ美味しいものが山ほど買える。お金の使い道は、きっともっと有るはずだ。なのに、どうしてタカシは灰色の景色を見ていたか。ファウストは理解できないでいた。
「独りで食べる飯は、まるで時間が止まっているような気がするんだ」
「時間はいつでも動いてるにゃん。ファウストは、好きになった理由を聞いてるにゃん」
「はは。そうだなー」
具体的な気持ちは分からないが、そこから先の話には、察しがついた。独りで食べるご飯が嫌なら、【タカチカ】揃って食べた方がいい。美味しそうにご飯を食べるチカの存在を、タカシは気に入ったのであろう。
それが好きという気持ちなのだろうか。
「どこで出逢ったのにゃん?」
いちいち聞かなくても、彼の情報は、金の右目で全て透けて見えるが、何となく興味が湧いたから、直接タカシの口から聞き出そうと思った。
「近くのスーパーでイベントの仕事をしてた時かな。1000円以上の買い物に付き1回福引ができるってやつ。その景品が飴玉摑み取りだったんだけど、賢いチカは、箱ごと掴んで持ってったんだ」
「それ……賢いっていうのにゃ?」
呆れた声で返すファウスト。タカシは水で顔をざぶざぶと洗い、オレンジの香りがする真っ白なタオルで、ポタポタ垂れる水滴を拭った。
次はチューブから歯磨き粉を出して、歯を丁寧に磨きながら言う。
「勿論追いかけたしゃ。箱の中からお掴みくだしゃいってさ。そしたらチカはどうしたと思う? キレながら飴玉を投げつけてきたんぢゃ。床中がマキビシを敷かれたみたいになって大変だったって話。面白いだりょ?」
「どこに惚れる要素があったにゃん……」
わからない。
ファウストにはタカシが、この話の流れで恋に落ちた理由が一切わからなかった。ただの迷惑なお客さんではないか。イベントも無茶苦茶になってしまっただろうに。チカのどこが魅力的だったのだろうか。肝心なことを言わないタカシにモヤモヤするファウストであった。
歯磨きを終えたタカシは、ササっと髪を整えると、お風呂場の扉をノックして、少し大きめの声で、「俺はもう行くから」と言う。「わかったわー」と鼻歌交じりに応えるチカ。
さっきの会話はシャワーの音にかき消されて、聴こえていないようだ。
移動したタカシとファウスト。
机の上にまだ残っている寿司。さすがに食べきれなかったようだ。彼は器用にラップをして、冷蔵庫に保存をしていた。サッと着替えを済ませて、合鍵を机に置き、アパートから出ようとするタカシ。
「お仕事にゃ?」
「まぁな。今日はスーパーのイチゴの試食販売があるんだ。季節によって旬の果物を売る面白い仕事だぞ。3か月更新だから、契約がこのまま続くかは分からないけどな。因みに、ファウストは店に入れないんだぞ」
「イチゴは美味しいにゃ?」
「ああ美味いぞー。俺が扱ってるのは、【飴イチゴちゃん】って品種だ。国産で粒が大きいのに物凄く甘い。糖度が17。つまり、そこら辺のメロンと比べてもダントツに甘いんだ。おすすめな食べ方は、やっぱりそのまま食べることかな。痛んできたら酸味がちょっと出てくる。だから市販のバニラアイスクリームとミキサーして、シェイクにするのもありだぞ」
(よく喋るにゃあ~)
さすがイチゴ専門の販売員だけあって、饒舌だ。なるほど、人間は働けば知識がどんどん増えていくのか。興味津々にフサフサと尻尾を振るファウストを見て、「仕方ないなぁ」と、再び冷蔵庫に向かうタカシ。
中には、大きなイチゴがパックに詰められていた。彼はその一つのヘタを取り除いて水で洗い、細かく刻んで、小皿に載せる。
「売れ残りは自分で買うこともあるんだ。食ってみろ。美味いぞ」
ファウストの目の前にあるのは、【飴イチゴちゃん】という品種のイチゴ。匂っただけでわかる。甘くてどこかミルクのような香り。それは、地獄の炎よりも紅かった。
―ーぺろりっ
シャクッとした心地よい食感に、今まで感じたことのない甘さと酸味。釈迦の誕生日を祝う、甘茶よりも甘い。
寿司といいイチゴといい。人間というものは、こんなにも美味しい物を食べているのか。なのに冥界は満タン状態だ。どうしてだろうか。ファウストに疑問が生まれた。
「美味いだろ?」
「美味しいにゃ」
「チカには内緒だぞ」
そう言って、【飴イチゴちゃん】を冷蔵庫に戻すタカシ。まだ口内に、甘ったるい香りが残っている。ファウストは舌で歯を拭った。
「じゃあ、俺は仕事に行ってくるから、例の件よろしく頼むぞ。上手く行ったらまた、お前の大好きなイクラをたらふく食わせてやるからな」
ファウストの頭をポンポンと撫でて、タカシはアパートの鍵を閉めた。
(イクラ……地上の星。ベテルギウス……)
心が弾むファウスト。目を輝かせて想像した。大量のイクラ軍艦が目の前にあることを。もふんもふんと尻尾を床に叩きつけて喜びの感情を示していた。
「――はぁ、さっぱりしたー」
お風呂場のドアの開く音がする。チカが、バスローブの姿で体重計に乗ったのだろう。「あらららら? どうして増えちゃったのかしら」と不思議そうにしていた。
(にゃーん)
もう突っ込むのも面倒くさい。痩せる気が無いなら、もういっそのこと、極限まで太ってしまえ。そう思うファウストであった。
「ファウストは泥棒を懲らしめに行くにゃん」
「ありがとー」
軽すぎる……。
まぁいい。美味しい物を食べられたのだから。ファウストは、金の右目を使って、婚約指輪を盗んだ泥棒の居場所を探り当て、その場まで瞬間移動した。




