コミュニケーションって難しいにゃ〜
ファウストはカズとカエデの仲を取り持ち、気分が良かった。タカチカたちとたらふくステーキを食べ合いながらどんちゃん騒ぎ。
朝起きれば、少しだけ身体が重くなっている気がする。
(少しだけチカに近づいたにゃん……)
ぐおー、とチカの大きないびきを聞いていたファウストは、ダイエット目的で散歩をすることにした。
(にゃー、いい天気だにゃ〜)
空を見上げれば霜降りの空。齧り付きたいほどの雲がもくもくとしていた。
「そこの猫、そう。黒いの、君さ」
「にゃ?」
ファウストが近くの公園に行ったところ、妙な者と出会った。
ファウストは警戒も含めて相手の最低限の情報を探った。
遠藤まこと。男性。27歳。フリーター。
スーパーや入力のバイトや派遣等、いろいろやっている。本音は正社員になって安定したい。最近データ入力の仕事を山崎という女性から取られている気がして焦っているが、気にしないふりをしている。(隠せていないが)
本人は、どこか詩人っぽくくさいセリフを吐く。そのくせプライドが高く沸点が低い。
(関わると面倒くさそうだから猫語で適当にあしらうにゃ)
ファウストはまことに大人しく撫でられた。彼の沸点がどれほどかは分からないが、変な逆恨みをされても面倒だ。ここは様子を見よう。
「はぁ、猫には分からないか、この崇高な悩みが。この間も日本の若者は就職難に蝕まれているというのに……」
(にゃんだコイツ)
正直、関わりたくなかったが『悩み』があるらしい。ファウストは死神猫。相手の死にたい度を測ることができる。まことがペラペラと話している間に死にたい度を覗き見た。
(死にたい度……Error)
!?
死にたい度を測ってErrorが出たことは初めてだ。もしかしたら、とんでもなく重症な者と出会ったのかもしれない。
(仕方ないにゃ〜)
ファウストの役目は、自殺志願者を現世に引き留めること。ファウストは死神猫としての役割を果たすために、日本語で話すことにした。
「おはようにゃ、仕事のことで悩んでるにゃね。話にゃら訊くにゃよ」
「猫の言葉を、僕は理解している。僕には超能力があったのか!」
(……ま。いっか)
少々引っかかる理解の仕方であったが、ファウストは話を続けた。えらーい!
……どうやら、同じ会社の山崎という年下の女性に仕事を取られていると感じているらしい。
「山崎はなぁ、まず周りを味方につけるんだよ。いつもニコニコしてて、敵である僕にも笑顔で接してきて。いつも先手に回っては仕事を取る。昨日だってそうだ、入力作業の工程をほぼほぼ終わらせて、僕にはコーヒーを渡して『もう良い。休憩して』って。嫌味だろ? やんなっちゃうよ」
「山崎には話したにゃ?」
「んなわけあるか。敵に自分の気持ちを伝えられるわけなかろうて」
……なかろうて?
ファウストは男の言葉の端々が気になりつつも、徹底的に訊く側に徹した。相手を怒らせてはいけない。癇癪持ちのゆうまのように玩具を投げてくるかもしれない。
「あ〜あ、もう辞めるべきなのかなぁ。万事休すだ。猫、君はどう思うかね。この現状。日本の雇用形態的に仕事を干されたものは居心地が悪く辞めざるを得ない。今の日本は如何なものか……」
(にゅーん……)
まことは、おそらくそんなに深く日本の未来や雇用形態のことを考えてはいない。なんとなくふわんふわんした気持ちで、己の行く末を憂いているのだ。
「ファウストの知ってる奴は、必要とされている所で楽しそうに勤めてるのにゃ。居心地が悪いにゃら、日向の当たる場所で活躍するのをお勧めするにゃん」
男はファウストをキッと睨んだ。
答えてほしかった言葉とは違ったようだ。
「猫にはわからんのさ。僕のこの国を憂う気持ちが」
「……何で日本にこだわるのにゃ? 仕事なら世界を探せばいっぱいあるにゃん。日本以外でも探してみるのは……」
「僕は日本人だ! 日本で必要とされなきゃ、日本の『恥』だろ!?」
突然の大声に耳を下げたファウスト。
なるほど、一丁前にプライドというものがある。しかし、自身はその地位を築けていない。理想とのギャップの間でもがいているのだな、とファウストは察知した。
「『恥』って閻魔様も言ってたにゃが、いったい何なのにゃ? 人間にとってそんなに嫌なことなのにゃ?」
「……お前にはわからんさ、猫になぞ、わかってたまるものか」
(ふううう、にゃら、声を掛けるなよぅ!)怒
とんだ厄介者に声をかけられたものだ。しかし、死にたい度が「Error」ということは、不思議なものだ。もしかしたら彼は生も死も考えられないくらいに、ひとつの気持ちに囚われているのかもしれない。
ならば、
「ファウストが山崎にお前の気持ちを届けるにゃ、なんか言いたいこと有ったら言うのにゃ」
ダイレクトアタックだ。
山崎について、まことが思っていることをぶつける。本当に山崎が彼の仕事を奪いに来ているなら、その意図も汲めるはずだ。
ファウストには、山崎がなぜまことの仕事を先回りして奪うのかが分からなかった。だから、彼の職場に行って直接訊こう、そう思ったのだ。
「……まぁ、猫を介してなら良いか。山崎に猫の言葉が伝わるかも不明だしな」
まことが語りだす。
「本当に伝えられるんなら頼むよ。彼女にこう伝えておくれ。どうして僕の仕事を先回りするんだ。どうして僕に微笑みかけるんだ。どうしてあからさまに嫌っている態度を取っている僕に話しかけてくるんだ、とね」
「了解にゃー」
そう言うとファウストは、まことの通っている会社へと移動した。一連のことをまことは『夢』だと思っているようだ。
「まぁ、猫に話したとて、何も変わらなかろうて……」
まことはそう言って出勤のために会社へと向かった。
◆
「ヮ、猫チャン……喋ッタ!」
ファウストも驚いた。まさか『山崎』が技能実習制度を使って来日している海外の人だとは……!
(山崎から下は長いのにゃん、生い立ちも理解したし……いろいろと割愛するのにゃ!)
説法のように長い名前や生い立ち等は割愛して、小柄な褐色の卵肌の持ち主を『山崎』と呼ぶことにした。
「山崎。率直に言うにゃ!」
ファウストが勢いよく前に出る。山崎は、「ワ、ワア……」と声を漏らして神に祈りを捧げるように手を組んで感動している。
しかし、しばらくして冷静になると、山崎の表情が曇る。
「猫チャン、日本語ハナス……私、ムリ」
「にゃ?」
一人と一匹しか居ない給湯室で、日陰のような空気が漂った。
「私、日本語ムリ、笑顔スル、遠藤サン……怖い」
(このままでは埒があかないにゃあ……)
ファウストが彼女の言葉に翻訳をかけてみた。
────私は日本語が上手に話せません。だから皆に挨拶をしています。だけど遠藤さんだけは何をしても笑ってくれなくて、どうすれば良いかわからないのです。嫌われているのかもしれません。
(にゃう……異文化コミュニケーションは難しいにゃあ)
そこで思い出した、チカの使っていた翻訳アプリ。韓国語の理解が進み、会話にもなった。きっと誤解も解けるだろうと思い、勧めてみる。
「ソレ、知ッテル。ダガ、言葉ガ、違ウ出ル……」
────それは知っています。でも意図している言葉とは違うものが出てきます……。
しばらく翻訳アプリを触りつつ、山崎が「うーん……」と唸っていた。彼女なりに精一杯気持ちを伝えようとはしているのだ。伝わらないのがもどかしい。
「にゃー、そうにゃね〜……難しいのにゃ。山崎はアイツに何を伝えたいのにゃん?」
ファウストが訊いた。
同時に、何者かが給湯室に向かって歩いてくる。その音の主をファウストは知っている。
「……遠藤サン、ミス、私。助ケタ。ナノデ、私も……!」
────遠藤さんは私のミスを助けてくれました……。だから私も(彼の役に立ちたいんです!)
コツッ……。
足音が給湯室の入口で止まった。気付いていない山崎は、小さな声で言った。
「私、遠藤サン、好キデス」
────遠藤さんは、私の大事な恩人です。
ピタッ。
山崎が足音の方を向くと、そこには出社したての遠藤が居た。ぽけ〜っとコンビニの袋と鞄を持ちながら突っ立っている。
「オハヨウゴザイマス、遠藤サン」
「………」
まことは彼女の本音(?)を知り、頭をかきながら給湯室の机に彼の朝食用のパンを置いた。
「?」
山崎が首を傾げている。
まことの腹の音が鳴った。
彼はパンを山崎に渡し、「……食えよ」と言う。照れ隠しにしては妙なことをする。山崎は申し訳なさそうに首を振った。まことは「チッ」っと厭味ったらしくパンの袋を取り上げ、「仲直りの印にって思ったのに……」と袋を開けて勢いよくパンに齧りついた。
「宗教上ノ都合デス。ゴメンナサイネ」
「…………うめぇじゃねぇか。日本語……」
「……?」
山崎は意味がわかっていないのか、ニコニコしたまま、気まずそうに給湯室からスタスタと出ていった。ファウストがまことの顔を見ると、少し頬が赤くなっている。
「お、恋かにゃ? むむむむ〜ん?」
「……っせぇやい」
「にゃにゃにゃにゃ!」
ファウストの笑いに不機嫌になったまことは、ファウストを手で払い除けた。気になったが、今後のことは彼等に選ばせようと考えた。
その方が面白かろうて。
(にゃにゃにゃ、良いネタができたにゃん。タカシにも話してやろ〜っと♪)
死神猫の含み笑い。
さて。今日はどんな日になるのか。楽しみなファウストであった。
おしまい




