カズに希望を与えたにゃ!
カズの精神世界は、雨雲に包まれた空のように、靄がかっていた。ファウストの存在に気づいた彼は、目の前の死神猫に不思議そうに尋ねる。
「夢にまで出てくるとは。摩訶不思議な猫だ。何か用かい?」
「ファウストは、カズに大切な記憶をお届けしに来たのにゃ」
死神猫は、彼が幼い頃、【カエデ】とその母に出逢っていることを話した。遠くの昔のお話。カズは、「そんなことあったか……」と首を傾げている。
「思い出すにゃん。カズは【カエデ】たちに酷いこと言ったにゃ。ド田舎のくそ暑いにゃかで!」
「ド田舎……そういえば」
カズは、何かを思い出したようだ。精神世界に少しだけ光がさした。と同時に、彼らの前に現れる一台の、時計のように細かな装置の沢山あるクラシックカメラの幻影が。カズは見覚えがあるようで手をパチンと1回鳴らした。
「あぁ、あの複雑なカメラ……クラシックカメラを持っていたお嬢さんの話か」
「ちなみに猫アレルギーだったにゃん」
「そうだそうだ。思い出した。とても可愛らしい子でね。夢でだから言うけれど、初恋の子だったんだ。ほんの一瞬の恋だったけれどね」
靄が晴れていくのと同時に、ポカポカと暖かさを帯びていくカズの心の音――なんだ。ちゃんとカズの人生には華があったじゃないか。グイーリンダイの大ウソつき。そう思うファウスト。
「にゃーあ。もしその子が生きていたら逢いたいかにゃ?」
「それは……分からんね。憶えてくれているのか分からんし」
「憶えていてくれなかったら逢えない物なのにゃん?」
つくづく人間とは不思議な生き物だと思うファウストであった。そもそも死神猫は「逢いたいか逢いたくないか」を尋ねたはずだ。答えは「イエスかノー」で返ってくるのが普通だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「ファウストは恋というモノはよく分からにゃいけど、美味しいは知ってるにゃん。新鮮な食べ物も、日を過ぎたら味が落ちちゃうのにゃ。2日目のマグロみたいに。恋もそんなモノなのにゃ?」
聞いて、「はっはっは」と声を出して笑うカズ。その音にビクッとする死神猫。
「ワシの恋心を、マグロに例えたか。これは面白い」
「何が面白いのにゃ」
死神猫はいつだって真剣だ。バカにされたと思って金と銀の目をギロリとさせる。怒ったぞ。「シャー」と威嚇する。カズはそんなファウストを右腕で抱きかかえると、しわくちゃの左手で死神猫の頭部を優しく撫でながら言った。
「マグロのように美味いもんじゃない。ワシの恋は埃をかぶったフィルムのようなものだよ」
そこで猫様思い出した。
そう、フィルム。カズが【カエデ】たちと撮った写真が、この世の何処かにあるかもしれない。その事をファウストは彼に話す。次第に、靄は晴れて、スカイブルーの爽やかな空のような空間が広がった。彼の精神世界には穏やかな春風が吹いている。
生きる希望を、カズが見つけた証拠である。
「思い出のフィルム。絶対にみっけてきてやるにゃ」
「……これは良い夢だ! 久しぶりに生きた心地になった。ずっと孤独で、生きている理由なんて分からなかったが、お前さんのおかげで記憶を取り戻し、生きていることが幸運に思えたよ。ありがとう」
カズは涙目になっていた。その理由はファウストにはまだ分からない。しかし、気分だけは良かった。人助けをしている。そんな自分に酔っているのだ。
「にゃにゃー。カズ、ハッピーエンドの前に死ぬにゃよ。絶対命令にゃ。情報は仲間と一緒に探してみるからにゃ」
少々生意気な一言を発して、ファウストはカズの精神世界から抜け出した。
真っ暗な部屋に、真理恵の寝息がすうすうと聴こえる。今日は死神猫の力を沢山使った。カズの似顔絵から退いて、ふかふかのキャラクターグッズの上で体を丸めるファウスト。
(明日も忙しくなるにゃぁー)
カズの幼い頃の記憶は思い出させられた。さて次は、思い出のフィルム探し。ファウストたちには、この世の全てがお見通しである。しかし、少しだけ癪なことがある。
フィルムを持つものが猫アレルギーで、ましてや、猫に憑かれていると言っていたこと。そもそもフィルムは無事に存在しているのか。【カエデ】は生きているのか。猫様の思い付きに優先順位などない。それが裏目に出なければいいが……。
(にゃーシューリンガンたちがなんとかしてくれるにゃろ)
ふわぁと欠伸をしながら、楽観的思考。
ファウストはもう1匹ではない。3匹よれば文殊の知恵とでも言うべきか。また、タカシたちも居る。本来なら死にたがりな人間たちを癒しに来たはずなのに、関われば関わるほど自分の心が満たされていく。死神猫はそれが心地よかった。
(居場所があるって良い事にゃー)
そう思いながら、ゆらゆらと夢の中へと入っていったファウストであった。死神猫の精神世界には、沢山のイクラと、それを一緒にたらふく食べる【タカチカ】たちが居た。




