縁結びのファウストにゃ! 前編
(こちゃこちゃした部屋だにゃー)
ゆうまの部屋の床には、プラスチック製の派手な剣や怪獣のオモチャが散乱していた。だからといって、部屋全体が汚いわけではない。開いたカーテンから差し込む光は、キチンと棚に並べられたヒーローたちのフィギュアを眩くピカピカと照らしている。
おそらく、自分が気に入った物は大切に扱い、そうでない物はぞんざいに扱う。部屋の構造からファウストは、ゆうまの性格を考えた。ならばまずは気に入られなくては。
「もういい加減食べなさい! 幼稚園遅れるよ!」
「ふーんだ!」
そんな会話が、近くから聴こえてきた。母親と子どもの喧嘩。抵抗をしているのは、ゆうまであろう。金の右目で情報を探る。
ゆうまの父親は朝早く出社し、幼稚園にはいつも母親が連れていく。その後に彼女も会社へ向かう。それが高田家の日常だ。いつもならもりもり食事をし、盛大に園で暴れて帰ってくる。
しかし、親とちょっとした喧嘩をした際に、彼が遊んでいたお気に入りのオモチャを自分自身で踏んづけてしまい、それを親のせいだと感じ、このようなボイコットをし続けている。
(にゃんだか面倒くさそうな奴だにゃ……)
ファウストは積み木を転がしながら、どう対応しようかと考えていた。すると、何かから逃げるような、ドタドタ走ってくる足音が聴こえてくる。間違いなくゆうまだ。
ファウストは、何か嫌な予感がして、タカシからもらった皿をベッドの布団の中に隠す。
「こら、待ちなさい!」
「うっせぇ、ちねちねー!」
足音は、ゆうまの部屋の方へと近づいてきた。来る、怪獣が。子どもというのは、死神猫と同じぐらいにすばしっこい。あっという間に隙間の空いたスライド式の扉から部屋に入り込み、側にあったオモチャの剣で塞いだ。母親はどんどん扉を鳴らし、出てくるように促すが、「ちねぇえー!」の1点張りで言うことを聞かない。
「母ちゃんがわるいから、母ちゃんがわるいっ!」
「どうしてそうなるの……」
なるほど理不尽。
まだ、ファウストの存在に気づいていないゆうまは、彼自身の主張を扉越しで必死に伝えている。見かねたのか母親は、「じゃあお母さんもう行っちゃうからね!」と、突き放すように扉をノックするのを止めて、玄関の鍵を閉めるふりをした。
少しだけ、ゆうまの表情が変わる。しかし、彼は床に置いてあった怪獣のオモチャを、ポポイとあちこちに投げて、ワンワン泣き出した。
――ゴチン! ガッチンッ!
「いったいにゃん‼」
ポイポイ投げ捨てられるオモチャに当たり、悲鳴を上げるファウスト。やっと存在に気づいたのか、ゆうまは油断していた死神猫に近づいてガシッと尻尾を掴むと、自分の方へと引き寄せた。
「しんにゅうしゃだ! ちね!」
なすがままぽこぽこ殴られているファウスト。結構痛い。ゆうまには、猫の可愛さや気高さ、愛おしさが分かっていないようだ。そこで反撃してみる。超高速猫パンチ。ぷっくりとしたほっぺたに、秒速10発をお見舞してやった。これでも手加減している方だ。
それでも泣きながら、ぽかすか殴り続けてくるゆうま。
「にゃぅ、諦めて朝食を食べるにゃ!」
「うっさい、ちねちねちねぇー!」
収取が付かない。ここで死神猫は、思いついた。
「壊れた【ベアの助仮面】を直してやるにゃ。そのためにファウストはやって来たのにゃ」
正体を隠して、相手に合わせてみる。
「……っぐ、ひっぐ」
ちょっとは落ち着いたようだ。ゆうまはファウストの尻尾を放して、涙を拭うと死神猫に尋ねた。
「ねぇファウストー。おまえはこわれたものを何でも、きれいにできるの?」
「もちろんだにゃ!」
「じゃあ……」
と言われて出てきた言葉は、
「さちゅばちゅとしたにんげんかんけい」
だった。
やれ果て困った。
「それ、意味が解っていってるのにゃ?」
「うっせぇちね! 早くやれぇっ!」
いつものダダゴネにしては、長くて大きな声だと思ったのか、いよいよ母親が大そうな剣幕でゆうまを呼び出した。きっと、出社の時間の都合もあるのだろう。今度はファウストの耳を掴んで頭をぐいーっと引っ張った。「はやくしろぉー!」とゆうまが急かす。
「ふぁ、ファウストには殺伐とした人間関係は直せないにゃ! ゆうまの好きなヒーローになるためには、自分から動くことが大事なのにゃ! そう【ベアの助仮面】も言ってたにゃ!」
「じゃあまずおまえをころちゅ!」
「どうしてそうなるにゃー‼」
さすがにファウストも冥界の遣い。手荒な真似をして、子ども相手に怪我をさせるわけにもいかない。「ころちゅ!」という声が聴こえたからか、母親は、「何をしているの!」と心配そうに扉を叩いていた。まさか部屋の中で死神猫と無駄な戦いをしているとは思わないだろう。
「もう強行突破するから、お母さん!」
――バキバキバキ
プラスチック製の剣のオモチャが壊れた。と同時に、母親が突入して来る。
「ぴぎゃああああっ‼‼」
酷く癇癪を起して泣き叫ぶゆうま。耳の良いファウストにとって、その声は、冥界で地獄逝きが決まった者たちの悲鳴よりも甲高く、煩く感じた。
「あら、ゆうま。その猫はどこから入ってきたの?」
「ひぐっ、ひっく……ふほうしんにゅうっ!」
非常に困ってしまった。姿を消すのを忘れていたのだ。窓は閉まっている。園児のゆうまには決して開けられない高さだった。どう言い訳しようかファウストは必死に考えていた。母親は慣れている様子で、床のオモチャを踏みつけないようにゆうまの元へやって来る。
「くるな! この……お仕事おばけ‼」
全力で母親の方に投げ捨てられるファウスト。受け身をとって、くるりと回転して着地して見せた。見たか。これが猫の気高さだ。とでも言いたげなファウストを置いて、母親はぺしんと、ゆうまの頬を一度だけ叩いた。その場で固まるゆうま。時が止まったかのようだった。
「命はものじゃないのよ、ゆうま。わかるね?」
「……うぅ……ちねぇ……」
ゆうまのゆっくりとした、グーパンチ。それは母親のお腹にトスンと当たった。彼は自分が一番悪いことを知っているのだ。しかし意地で、本音を言うことも、良い子になることもできない。困った子どもなのである。
(仕方ないにゃあー)
まだ幼い心の持ち主。おそらく死ぬ気はないだろうが、悩み事は一丁前にある。彼の言う【さちゅばちゅとしたにんげんかんけい】とやらを、修復してやろう。つまり、この時だけは、死神猫ではなく、縁結びの猫にでもなってやろう。そう思うファウストであった。




