地獄へ逝きたいにゃんて変わった婆さんにゃ~
朝になって、全員が起きだし、それぞれ支度をしていた。真理恵はチカと一緒に大学へと行くようだ。タカシは休み。仲良く出かける2人をファウストと一緒に見送っていた。
「さてと……お前も行く所があるんだよな」
「寂しいにゃん?」
チラッと聞いてみた。
彼は何も言わず、昨日洗ったファウストの皿を置く。
「この皿はありがたく頂いていくにゃ」
「そうか。ありがとな」
ファウストはなんだか胸がモヤモヤした。タカシは、独りで食べるご飯は、時間が止まっているような気がすると言っていた。確かに出前でみんなと食べたご飯の時間は、あっという間に過ぎ去ったような気がする。ファウストは少しだけ、ほんの少しだけ、彼の気持ちがわかった。
「いつでも戻ってきていいからな」
「……またくだらない理由で、自殺にゃんてするにゃよ」
「ははは、もうしないさ。行って来い」
そう言うと、タカシは肩をコリコリと鳴らしながら、「いててて……」と呟き、綺麗に片付けられたベッドの上へと横になる。昨日はずっとフローリングの上で寝ていたから、肩が凝ったのであろう。それにしても、掛布団をかけずにうつぶせで寝るなんて。よっぽど無理していたのがわかる。
「バカにゃぁー」
ファウストは、少しの時間だけタカシの肩を肉球でもみもみした。
「早く行けって」
「死神猫は気まぐれなのにゃ。タカシが眠ったら、暇つぶしに【ジュゲムの集い】に行ってくるにゃ。戻ってくるかも気分次第にゃ」
「じゃあ早く眠らなくちゃな」
「お皿。ありがとうにゃ」
「どういたしまして」
肉球マッサージのおかげか、疲れのせいかわからないが、芯から眠れたようだ。深い寝息が聴こえる。そろそろ行こう。ファウストは、タカシを起こさないように、こっそりとベッドから降りて、自分専用の皿を咥えながら、浦和シズコという婆さんの家の軒下へと移動した。
そこには沢山の死神猫が居た。姿を消してはいるが、堂々と風に紛れて洗濯ものに齧りついている者まで居る。ざっと数えただけでも10匹以上存在していた。しかし、庭先で鯉に餌をやっている婆さんは、その様子に気づいていないように見える。
「にゃあにゃー!」
(新入りのファウスト。よく来た!)
縁側の奥に堂々と住み着いていたのが、俺様口調のシューリンガン。そして、短足エメラルドの瞳のグイーリンダイ。ひょこっと顔を出したのが食いしん坊のポンポコピー。
「にゃにゃにゃ」
(大きな声を出したら気づかれるにゃん)
「にゃんにゃにゃにゃー」
(大丈夫です。シズコには全て見えていますから)
「にゃ?」
(全て?)
餌をやり終えたシズコがゆっくり、風になびいている洗濯物を眺めながら、「地獄太夫になった気分だねぇ」と呟いた。ファウストにはさっぱり分からなかったが、興味が湧いたから皿を咥え直して、彼女に挨拶をしてみることにした。もちろん姿を消して。
「おや? 猫の皿とは粋だねぇ。よっぽど高価な物なんだろう」
見えている。
普通なら皿が浮いて見えるはずである。ビックリしてぎっくり腰になっても可笑しくはない。ファウストに難しい人間界の趣とやらは分からない。ふと開かれた部屋に目をやると、沢山の画のレプリカが飾ってあった。その中でひときわ目を引いたのがあった。
「【地獄太夫がいこつの遊戯ヲゆめニ見る図】?」
それは、赤い布に纏われた鼻筋の通った綺麗な女性が、優雅に椅子の上で頬を掌に載せて、沢山の骸骨のコミカルな遊戯の夢を見ている。そんな画だった。地獄は決していい所ではない。みんな嫌がる場所だ。そう思っていたファウストにとって、この画はとても理解しがたいものである。
「良い戯画でしょう」
「地獄は怖い所にゃん。咎人が逝くところに、こんなのんびりしているヘンテコ骸骨にゃんていにゃいし、美人にゃんて1人もいないにゃ。地獄は醜い所にゃ」
ファウストがそう言うと、婆さんは自分のことをシズコと名乗り、「やがて私も地獄に逝くものだから、よく憶えていてね。新入りのファウストちゃん」と笑っている。そもそも、人間界の言葉を話す猫のことは、怖くないのだろうか。ファウストが首を傾げていると、シューリンガンたちが庭に出てきた。
「シズコのすげぇ所は、死にたい度を測ってみればわかるぜ」
シューリンガンがなぜか自慢げに言う。気になって銀の左目でその数値を測ってみた。
(死にたい度……100%)
「!?」
ファウストは驚いた。今、目の前でニコニコ笑っているこの婆さんが、死にたい度マックスだなんて。どこかおかしい。金の右目で彼女の情報を探る。
浦和シズコ。93歳。身長157㎝。体重46㎏。元有名大学の教授。江戸の戯画の研究をしていた。お気に入りの戯画はさっきの1枚、【地獄太夫がいこつの遊戯ヲ夢ニ見る図】。この1枚に感銘し、大学に行くことを決意。当時のお見合いも無かったことにして、研究に没頭した。
今は独り身だが、近所付き合いも、それとなくこなしている。周囲の知人も亡くなっていき、死への恐怖心は、一切なくなっている。そんな彼女の夢は、お気に入りの1枚のような地獄へと逝くこと。
「こんな画みたいに都合の良い地獄があったら、閻魔様も苦労しないにゃ」
「確かに普通なら地獄は怖いだろうさ。いや、死ぬことそのものが怖いのかもしれないねぇ。築き上げてきたモノが苦しみと共に無くなるんだから」
「シズコは普通じゃないのかにゃ?」
「どうかねぇ。あたしゃ、両親の死に際を見たことが無いんよ。全部病院に任せっきりだったからさ。物心がついたときから祖父らは亡くなっていたし。だから、死ぬ時の怖さを知らない。自分から死のうとも思わない。これを普通じゃないと言う人が居るなら普通じゃないんだろう」
「むむぅー」
シズコの理屈になんとか付いて行こうとするファウストだったが、整理が追いつかない。人間は他人の死を垣間見たときに、死ぬ時の怖さを味わう物なのだろうか? 彼女が言うように、築き上げてきたモノとは、一体何なのか。
「それに、暁斎の描いた地獄太夫の夢を見ながらなら、死後の世界だって心配することはない。きっと楽しくやれる。現に、冥界には死神猫がいるんだからねぇ。地獄にもマヌケな鬼や骸骨が、いくつか居ても可笑しくないさ」
なるほど普通の考え方ではない。
なんだか負けたような気がして、ファウストは自分専用の皿を咥えて縁側へと籠ってしまった。どこか勝ち誇ったように微笑みながら、襖を閉じるシズコ。その音を聴いて、シューリンガンたちが号令をかける。いっせいに集まる死神猫たち。
「にゃーなーにゃあにゃにゃ!」
(お前ら、今日も情報交換するぞ。それから、新メンバーを紹介する!)
どうやら【ジュゲムの集い】が始まったらしい。ファウストはいじけながらも、タカシからもらった自分専用の皿を咥えながら、みんなにぺこりと挨拶をした。




