第三十三話
さて、王都の屋敷に移ってきて数日、生活の準備も整った所で、遂に学園に向かいます。
とは言っても、今日から通うと言う訳では無く、今日は編入の採取手続きの為に、学園の学園長様に挨拶に向かうだけです。
貴族と言うのは、やはり面倒臭い物で、態々馬車で向かわなくては成らないそうで、カイルから贈られてきた六頭引きの馬車に乗って学園に向かいます。
まあ、非常に体力の無いこの体を持つ身としては、長距離を歩いて移動する勇気も無く、それはそれで助かっている。
と言うわけで、石畳の王都の道を数十分馬車で揺られ、大きな門構えの非常に立派な建物の前で馬車から降りた。
降りる際にはトーマスさんが手を取って支えてくれて、気遣うように声を掛けてくれた。
「揺れは大丈夫でしたか?」
「はい。問題ありません」
実際、自動車に乗り慣れている身では、少し揺れは大きかった。
だが、今までに乗ってきた馬車の中では断然に乗り心地が良く、これには一緒に乗ったルイーズも驚いている。
「随分揺れの少ない馬車ですね」
「お喜びなら何よりです。閣下も喜ぶでしょう」
「どう言う事ですか?」
「この馬車は元々は閣下がご自分の為に作らせた物で、設計に携わってるのです」
ここで私はやはり驚いた。
何でも、この馬車の、特に車輪と車軸部分を中心とした足回りは、カイルが自分で設計した物だそうで、最新のサスペンションとダンパーが着いているのだとか。
「もし?」
誰かが声を掛けてきた。
「はい?」
「失礼、ヨーティア様で間違い御座いませんか?」
「そうですが・・・貴女は?」
「申し遅れました。私はシエイラと申します」
声を掛けてきたのは1人のメイド服の女性だった。
暗い赤毛の、長身の美しい女性で、年の頃は恐らくは30代と言った所だろう。
「学園長がお待ちです。ご案内いたします」
私とルイーズは彼女の後について学園の中に入る。
馬車を見ていないといけないトーマスさんはその場に残り、授業中で誰柄も居ない学園を、私は物珍しく首を動かした。
「・・・カイル様は」
「は?」
突如、シエイラさんが口を開いた。
「カイル様はお元気であらせられますか?」
知り合いだったのだろうか、此方を見ずに歩いたまま尋ねてきたシエイラさんに、私は恐る恐る答える。
「まあ・・・元気だと思います」
「そうで御座いますか・・・」
何かあったのだろうかと思うも、それを尋ねようと言う勇気は無い。
私がヤキモキしている間に、何時の間にか目的地の学園長の待つ応接室に着いたようだ。
「失礼致します」
シエイラさんは一言声を掛けて扉を開けた。
「どうぞ」
促されるままに、私は部屋の中に入り、ルイーズも後に続く。
広い応接室には、高級そうなソファがテーブルを挟んで、向かい合って置かれていて、奥側のソファには既に誰か女性が座っている。
「どうぞ、お掛け下さい」
女性を見て、私は思わず目を奪われた。
身長は良く分からないが、しかし、とても均整の取れたスタイルで、座り姿が絵画のように整っている。
背後の窓からの光を反射する金色の髪は、良く整えられてとても美しく、肌は新雪の様に白く滑らかだ。
私を射貫く大きな青い瞳は、海の様に深く、空の様に澄んでいて、一瞬、宝石がはめ込まれているのかと錯覚した程だ。
「初めまして。リリアナ・ホークスと言います。どうぞよろしく。ヨーティアさん」
嫋やかな所作は、女の私から見ても優雅で、そして、何処か色気を感じさせる。
思わず私は頬が上気してしまうのが分かった。
「どうぞ、お掛けになって下さいませ?」
「は、はい」
少し上ずった声が出てしまった。
私は少し足早に近づいて、対面のソファに腰掛ける。
慌ててしまった事に、私は余計に体温が上昇するのを感じて、耳まで赤くなる。
「緊張なさらずに。落ち着いて?」
「は・・・はい」
リリアナと名乗った女性は、私の様子を笑う事は無く、見惚れてしまうような微笑みで、優しく迎えてくれた。
「さて・・・改めまして、わたくしが当学園学園長を勤めさせて頂いています。リリアナですわ」
「わ、私は・・・・ヨーティアです。よろしく御願いします」
佇まいを直して、私は名乗りを返す。
「ええ、話は良く聞いていますわ」
「?」
話を良く聞いていると言うのはどう言う事だろうか。
編入したいと言う話が伝わっていると言うには、少しニュアンスがおかしい様な気がした。
その私の疑問が顔に出ていたのか、リリアナ様は少し目を細めて口を開く。
「わたくし、貴女のお母様とは仲良くさせて頂いたのよ?」
「母と?」
「ええ・・・アイリーンとは良い友達でした」
昔を懐かしむようなリリアナ様は、何処か憂いを帯びていて、それがまたとても美しい。
所作の一つ一つが一流の絵画の様な目の前の女性は、恐らく貴族のお嬢様か、或いは淑女と言う言葉を思い浮かべた時に、頭に思い浮かぶ人物像として最も相応しい人だろう。
「だから、彼女が居なくなったときは・・・いえ、こんな事、貴女に言っても仕方の無い事ですわね」
「・・・」
「貴女の話でしたわね・・・貴女の伯父、カイル・メディシア様から話は届いていますわ」
「カイル・・・いえ、伯父から?」
「ええ」
また、何処か寂しそうな表情を見せる。
しかし、それも一瞬の事で、直ぐに嫋やかに微笑んでみせる。
「お茶です」
横合いから、シエイラさんがお茶を持ってきた。
私とリリアナ様の前にカップを置き、ポットのお茶を注ぐ。
とても絵になるその姿は、リリアナ様と列べると更に引き立つ。
「どうぞ、このお茶・・・わたくしの一番好きなお茶ですのよ?」
「いただきます」
私は進められるままに一口啜る。
「!」
一口、最初は華やか香りと仄かな甘味が感じられ、それから次に果実の様に爽やかな風味が広がって、その中には微かな苦味が隠れていて引き締める。
最後にゆっくりと呑み込んで息をすると、花畑を思わせる豊かな風味が舌と鼻腔に残り、しかし、決してクドくは無く、余韻を感じさせた後にスッと引いていく。
何と例えて良いのか、私の語彙と経験では分からないが、しかし、控え目に言っても世界一美味しいとさえ思えた。
「気に入りまして?」
「はい・・・とても美味しいです。このお茶は・・・銘柄は何と?」
「・・・」
尋ねると、リリアナ様は一度口を噤んだ。
どうしたのだろうと思っていると、リリアナ様の背後に回っていたシエイラさんが口を開いた。
「失礼ながら・・・実は、まだ名前が無いのです」
「え?」
「昔に飲んだ・・・味が忘れられなくてわたくしが作ったの」
「何故名前を付けないのですか?」
素直に疑問を口にすると、リリアナ様が答える。
「これに名前を付けられるのは世界に独りだけ・・・わたくしはそのお茶を真似て作っただけですもの」
「この茶葉は史上には流通しておりません。ホークス家の所有する専用の農場でのみ育てられて、リリアナ様だけが、全てを所有しているのです」
何というか、不思議な話だと思った。
こんなに美味しいのだから、より多くの人に呑んで貰えるように流通させれば良いと思うのだが、そうしない理由が何か意味深だ。
ただ、リリアナ様の様子を見ると何かただ成らない理由があるようで、その事を指摘する気には成れない。
「さて・・・貴女の編入についてですが」
「はい」
「認めましょう」
「良いんですか?」
存外にあっさりと決まった。
正直に言うと、もう少し、面接とかテストとかがあるのかと思っていただけに拍子抜けする。
この後、暫しの歓談をして、私はシエイラさんの案内で正門に戻り、馬車で屋敷に戻った。
屋敷に着くと、何とハンスさんが来ていて、久し振りにハンスさんと話が出来た。
「リリアナお嬢様は如何だった?」
ハンスさんがリリアナ様の事を口にする。
「知っているのですか?」
「まあね」
お茶を啜りながら、ハンスさんが答える。
「彼女とも・・・まあ、因縁浅からぬと言うかね」
何やら言葉を濁すようなハンスさんの様子に、私はリリアナ様を少し思い出す。
もしかすると、2人は何か深い関係だったのかも知れない。
ハンスさんは何でも平民の生まれで、リリアナ様はかなり良い家柄の貴族のお嬢様らしい。
だとすると、まるで小説のような身分差のロマンスと言う奴が有ったのかも知れない。
少しドキドキする。
「そう言えば・・・リリアナ様は結婚はされているのでしょうか?」
と疑問を口にすると、ハンスさんが首を振って否定する。
「いや、そう言う話は全て断っている様だよ。もう、随分な歳だけど、あの美貌だからね。いまだにお誘いがあるみたいだ」
そう言えば、母と友人だと言っていたし、カイルやハンスさんとも知り合いのようだから、同じくらいの年代なのだろう。
それはそれで、凄まじい若作りだと思う。
ぱっと見では二十代所か、下手をすると二十歳と言っても通用しそうな若々しさだった。
それから、暫くの間、ハンスさんと話して、ハンスさんが帰った後は、大人しく自室で過ごした。
学園にはキリが良いと言うことで、新学期から入学する事に決まり、三ヶ月余りは猶予が出来た事に成る。
その間に、この世界の常識を学び、カイルの古い知り合いだという人達に会ったりして過ごして、若草の萌える頃、私は真新しい制服に身を包んだ。




