第二十九話
「お兄・・・様?」
振り向いてそう声を掛けると、声の主がゆっくりと近づいてきた。
「ヨーティア・・・」
頬が少し痩けて、だらしなく無精髭が伸びてはいたものの、そこに居たのはジルベールさんだった。
「ヨーティア・・・何故ここに?」
「え~・・・」
言えるわけが無い。
テンションが上がって散策してました何て、そんな事言えるわけが無い。
私は何と答えるべきかと頭を悩ませると、ジルベールさんは勝手に合点が行った様に声を出す。
「・・・怨んでいるだろう」
「?」
「私はお前を利用しようとしていた。その怨みでも言いに来たのだろう」
ジルベールさんは疲れたように言って、近くの椅子に腰掛けた。
「済まなかった・・・何て言うつもりは無い。私は、私と家のために出来る事をしていたつもりだ。それを責められるのは甘んじて受けるが、それについて謝罪するつもりは無い。それがせめてもの矜持だ」
何と言うか、勝手に話を進められてしまって、呆気に取られていると、またもや何か勘違いしたように口を開く。
「私の事は兄とは呼ばなくても良い。もう兄妹でも何でも無いからな。・・・いや、元から兄妹などでは無かったか」
自嘲気味なジルベールさんは、ゆっくりと天井を見上げた。
「美しい人だった」
「え?」
「確かに私は君に嘘を吐いていた。君を利用しようとしていた。だが、レオノーラ様の事は本当だよ」
ここに来て新たな情報が手に入る。
私は興味を隠さずに話を聞く。
「レオノーラ様は・・・それは美しい人だった。私の初恋だった。・・・今でも恋していると言えるかも知れない」
ジルベールさんは、少し熱に浮かされたように話を続ける。
「直にあったのはほんの三度だけ、話した言葉は100にも満たない。だが、それでも十分すぎるほど幸せで・・・私は、出来る事ならレオノーラ様の子になりたかった」
「・・・」
「だから、君に初めて会った時、君はレオノーラ様の生まれ変わりだと・・・そう思った」
私の方を見つめながら言って、それから少し間を置いたジルベールさんは、私の方を見ながら、しかし眼を合わせずに続ける。
「父・・・先代のヨーヌ伯は君を迎え入れるつもりだった」
「え?」
「ヨーヌ伯は君を正式に娘として迎えて、その上で婿を取るつもりだった。だが、それを母・・・私の母が知ってしまった」
「伯爵の夫人が?」
「母は気の強い人でね。それから間もなくだ・・・伯が亡くなったのは」
「夫人が?」
私が尋ねると、ジルベールさんは肩をすくめた。
「判らない。恐らくはそうだと思うのだが・・・残された証拠が余りにも少なすぎる。それに本人も居なくなった」
どう言う事かと思うと、ジルベールさんが言うには、伯爵夫人は既に国外へ逃げているそうだ。
伯爵夫人の生家も既に形だけの物になっており、
家人も残っておらず、ジルベールさんがその号を次いでいるだけに過ぎない。
「本当を言うとね」
「?」
「私は伯爵の地位も、領地も、国もどうでも良いんだ」
「どう言う事ですか?」
「レオノーラ様に会いたかった。ただそれだけなんだ」
「・・・」
「もう叶わないのは判っている。それでも、ほんの僅かな希望に縋って、あの屋敷を残して、そして君を迎え入れて、そうして待っていれば、何時か来てくれるときが有るんじゃ無いか・・・そう思っていたんだ」
「・・・」
暗闇で顔は窺えなかった。
しかし、声色は何処か寂しげで、微かに涙の気配を感じる。
私は、ジルベールさんの事が、どうしようも無く憐れで、可哀想に思えて仕方が無い。
確かに、私は利用されただけなのかも知れない。
全ては本人の意志で、本人の思うままに、欲望のために行われたのかも知れない。
しかし、今の、とても嘘や作り話とは思えないジルベールさんの話を聞くと、怨みも何も沸き起こらない。
ただただ、憐れだと言う風にしか思えなかった。
「君は」
「は?」
「君は良く似ている。本当に、本当に・・・良く似ている」
「そうなのですか?」
「ああ・・・」
穏やかな声だった。
会って初めて聞く、穏やかで、何の気負いも無い、心の底から落ち着いた声だった。
「少し近寄ってきて貰えるかな・・・顔を良く見せて欲しい」
「・・・」
私は迷う間も無く、ジルベールさんの側に寄った。
すぐ前の、膝と膝とがぶつかり合うほどの距離にまで近づいて、暗闇の中で輝く、ジルベールさんの瞳を見詰めた。
「ああ・・・ヨーティア」
ジルベールさんが両手を伸ばして私の顔を優しく包み込む。
そして、吐息も掛かる距離でマジマジと見詰めてくる。
「・・・本当にそっくりだ」
ジルベールさんの手から力が抜けるのが感じられた。
もう満足したのだろう。
私も前屈みになっていた体勢を直そうとする。
その瞬間に、ジルベールさんが立ち上がって私を抱き竦めた。
「え?」
一瞬、何が起きたのか理解が追い付かなかった。
長身のジルベールさんの胸に顔を埋める形の私は、何の抵抗も出来ずに成されるままになる。
「ごめん」
小さく、ジルベールさんが呟くのが聞こえた。
私は思わず顔を上げて見上げると、悲しみに歪めた端正な顔があった。
「ジルベール!!」
私がジルベールさんに何か言おうとした直後、扉が乱暴に開け放たれた。
「ジルベール!!貴様!!」
ジルベールさんに抱き竦められた私には見えなかったが、しかし、そこにハンスさんが居るのが判る。
怒気を隠しもせず、声を荒げて入るが、間違いなくハンスさんの声だった。
「ティアを離せ!!」
何か誤解されている。
そんな気がして、私はハンスさんに声を掛けようとした。
「離せと言われて離す馬鹿が何処に居る」
ジルベールさんがハンスさんに鋭く言い返す。
抱き竦める両腕の力が強まり、ジルベールさんの胸に顔を押し当てられて言葉を遮られた。
「貴様!!」
背後ではハンスさんの声色が更に怒気を帯びて響き、規則正しい固い足音も聞こえてくる。
「ハンス大佐。そこを退いて貰おう」
「なに?」
「今、このヨーティアの命は、文字通りに私の手の中にある」
「っ!」
息を呑むのが判った。
「さあ、そこを退け」
ジルベールさんはそう言いながら一歩踏み出す。
恐らく、今の状況はジルベールさんが私を人質に取って、ハンスさんと兵士達を相手に脅迫を掛けている場面だろう。
ジルベールさんが私が何も言えなくしている理由は分からないが、ハンスさんからしてみれば、私はジルベールさんによって苦しめられている様に映るだろう。
「さあ、大佐・・・そこを退くんだ。ヨーティアがどうなっても知らないぞ?」
ジルベールさんが更に脅しを掛けて二歩目を踏み出した。
「くっ!」
ハンスさんは苦悶した様子で居る。
「・・・」
ふと、ここで疑問が湧き起こる。
何故、ハンスさんはここまでして私を護ろうとするのか。
確かに、ハンスさんは優しい人だとは思うが、しかし、私は裏路地で拾った孤児でしか無いわけで、態々これ程に手間を掛けて、追い掛けてくる意味が分からない。
更に言えば、今の状況にしても、ただの小娘でしか無い私を人質に取っているだけなら、私を無視してジルベールさんを取り抑える事の方が重要なのでは無いだろうか。
考えれば考えるほど、ハンスさんの行動の原理が判らない。
「・・・」
「・・・」
私が無駄に冷静になった頭で考えていた間に、急に場が静まり返った。
「よお、コレはまた面倒な事になっている様だな」
重々しい足音と共に、低く、しかし、良く通る声が響く。
「カイル・メディシア・・・!」
ジルベールさんの怒りの混じった声が聞こえた。
同時に、若干だが私を抱いている両手に力がこもる。
「ジルベール・・・面倒を起こしてくれたな。コレで帰国が延びる」
「心配するのはそれだけか?」
「他に何が有る」
「・・・ヨーティアの事は何とも思わないのか?」
「ただの小娘だ。ハンスが妙に執着している以外は取るに足らない」
自分でも思っていた事だが、カイルに言われると妙に腹が立つ。
「カイル様・・・」
ハンスさんが何か心配そうにカイルに声を掛ける。
だが、カイルはそんな事は気にせずに更にジルベールさんに言った。
「ジルベール。俺にはその人質は通用しない。俺を誰だと思っているんだ?」
恐ろしい言葉だ。
とても良識のある人間の言う事とは思えない。
「・・・ああ、そうだった。貴様はそう言う男だ。流石は天下の戦争卿。自国の人間すらも構わず虐殺する大悪党だ」
「・・・そう褒めるな」
カイルの声色が変わる。
先程までよりも少し低く重くなった。
「私は知っているぞカイル。貴様が犯した罪を」
「・・・」
「先ずは自国の国民を殺した。反乱を起こした北部、第二王子派に属した東部、そう言えば、南部でも病気が流行った時に真っ先に動いたのはお前だったそうじゃ無いか」
「必要が有った・・・ただそれだけだ」
「ああ、そうだろう。必要だったんだろう。そうだろう」
「・・・何が言いたい」
ジルベールさんの心臓が大きく早く脈打つのが聞こえる。
さっきから体温も高くなってきていて、汗がジワリと浮かんでいるを感じる。
そんな状態だというのに、ジルベールさんは挑発するような言葉を止めない。
そして、カイルの声色が、下がりきった時、更にジルベールさんは言った。
その言葉は、とても信じられない様な内容だった。
「肉親を殺すのも、必要だったのだろう?」
「・・・」
背後のハンスさん達に動揺が広がるのを感じた。
そして、カイルは無言で何かを持って構えるのを感じる。
「ヨーティア」
ジルベールさんが私に声を掛けた。
そして、手の力を少し弛めて、体を反転させてハンスさん達の方を向かせる。
「見ろ、ヨーティア。アレが人間を止めた男の姿だ」
「・・・」
カイルは銃を構えて居た。
拳銃を右手で構えて、此方に向けていた。
無表情で無感動な様子で、何の色も無い眼で此方を見ながら銃口を此方に向けていた。
「流石は名高き親殺しだ。とても人間のする眼とは思えない」
「ジルベール!!止めろジルベール!!」
ハンスさんが慌てた様に叫んだ。
そして、カイルとジルベールの間に体を滑り込ませる。
「ジルベール。落ち着くんだ。ティアを離せ」
「ハンス大佐。君は状況を判っているのか?」
「これ以上無いほど分かっているつもりだ」
ハンスさんの頬を汗が伝う。
「ジルベール。今ならまだ間に合う。その子を離すんだ。その子を人質に取り続けても・・・」
「カイルには意味が無いだろう・・・いや、意味は有る。そうだろう?ハンス」
「・・・」
ハンスさんが黙り込んだ。
一体何だと言うのだろうか
「ハンス」
カイルが口を開いた。
「退け」
「若様!」
「退けハンス・・・あとその呼び方は二度とするなと言った」
「っ!・・・申し訳御座いません」
ハンスさんが動いた。
まるで悪夢でも見ている様な風に、フラフラとした足取りでゆっくりとカイルの前から退いた。
「・・・ジルベール。俺にはその人質は通用しない」
「本当にそう思うか?」
「何?」
ジルベールさんの言葉に、カイルが少し動揺する。
「いや・・・確かに意味は無いかも知れないな。何せ、お前は実の親もその手で殺せる男だ」
「・・・何が言いたい」
「いやなに・・・殺した身内が一人増えるくらいなら、お前には些細な事だろうと思ってな」
カイルが眼を見開いて私を見た。




