第二十五話
高い天井は煌びやかに飾り付けられていて、着飾った楽団が優雅な音楽を奏でている。
大きなホールの壁際のテーブルにはこれでもかと言う程に様々な料理が盛り付けられ、給仕係が飲み物を運んで配っている。
「豪勢な事だ・・・」
そう吐き捨てる様に呟いたのは隣に並んだジルベールさんだった。
「兵達は国家国民のために戦場で泥に塗れている・・・だと言うのに、こんな無駄な事をして何になると言うのか」
私もその意見には同意だ。
こんな事をして時間と金を無駄にしている場合では無いはずだ。
だが、私の頭には馬車の中で話したカイルの言葉が思い浮かぶ。
「本当は誰しもが分かっている・・・」
何を思って、どんな事を考えてそんな事を言ったのだろう。
思わず呟くと、ジルベールさんが私を見た。
「・・・そうだな。みんなが分かっているんだ」
私の言った言葉に同意して、ジルベールさんは再び会場の人々を眺めた。
溜息を吐くような言い方のジルベールさんは、更に疲れた表情を見せる。
「・・・」
私も同じように辺りを見渡した。
肥え太った上流階級の人々が、それぞれ様々に着飾って笑顔を浮かべている。
有る人は話を楽しみ、有る人は運ばれてきた高級感のある飲み物を水のように飲み干し、有る人は男女で手を取り合って踊っている。
誰もがこの状況を楽しんでいる。
そんな会場の中、異彩を放つ男の姿が視界に入る。
赤い軍服姿の恰幅の良い男が人に囲まれながらグラスの飲み物を呷るのが見えた。
「・・・」
誰もが英雄だと挙って評する男。
私にはただ単に顔が怖いだけの小太りの男にしか見えないその男。
その姿を隣のジルベールさんが無言で見詰めている。
何を思っているのか。
どんな風に思って居るのか。
全く窺い知る事の出来ない表情で、カイルを見詰めている。
その姿が少しだけ恐ろしい。
「っ!」
カイルが此方を見た。
口許に笑みをたたえて、しかし、光のない真っ暗な瞳で此方を見た。
些か離れているのにも関わらず、カイルは間違いなく私を見た。
それが分かるほど異質な眼で私を見た。
「・・・恐ろしい男だ」
ジルベールさんもカイルが見てきた事に気が付いていたのか、そう呟いて私の前に出てカイルの視線を遮る。
「・・・」
ジルベールさんの背中がやけに小さく見える。
小さく細く薄く、頼りなく見える。
そう思った。
「そろそろ良いか・・・」
パーティーの喧騒の中でカイルが呟いた言葉が聞こえた気がした。
ただポツリと呟いただけのそこの言葉が、奇妙なほど大きく響いた。
「何を・・・」
会場から音が消えた。
音楽が鳴り止み、人の話す声が潜み、会場の全ての視線がカイルの下に集まる。
「メリス王よ!!私は一つ進言しよう!!今すぐに降伏するのだ!!勝利などと言う空虚な妄想を棄てて、ただ己の命を繋げると言う現実を受け取るべきだ!!」
カイルが叫んだ。
会場の一番の上座に向かって大音声で投げ掛けた。
その瞬間に、会場の陰と言う陰から兵士達が出て来てカイルを取り囲む。
「メディシア卿!!余りにも無礼に過ぎるぞ卿!!」
上座の近くに居た偉そうな人がカイルに向かって言った。
それはそうだろう。
王様に向かってあんな言葉遣いで、あんな事を言うのは駄目な事だと、私でも分かる。
だが、カイルは兵士に囲まれた状態でも尚、一切怯む事は無く。
所か、不敵に笑って見せて、不遜に王に向かって口を開く。
「憐れな事だ。この程度の雑兵が近衛と言う。何とも憐れで身の程を知らない」
「っ!」
人々が息を呑んだ。
十数人の兵士に取り囲まれて、剣も銃も何も持たない小太りの男一人に、その一睨みと息遣いだけに気圧されてしまった。
私は、ジルベールさんの陰からカイルの背中を見た。
遠く離れたその赤衣の背中は、大きく太く分厚い力強い偉大な背中だった。
「卿!カイル・メディシア卿!!幾ら救国の恩が有るとは言え、何と言う物言いか!!今すぐに王に頭を垂れろ!!その非礼を侘びるのだ!!」
再び偉そうな人がカイルに言った。
だがカイルは何処吹く風でその男を見ずに王に向かう。
「王よ!!この期に及んでも尚何も言わないのは状況が分かっているからに他ならないのだろう!!そこの馬鹿がお前に頭を垂れろと言うが、私はそんな事はしない。私が頭を垂れるのはこの世でただ1人のみ!!王もそれを分かっている筈だろう!!」
堂々と威丈高に言い放ったカイルは、それから周囲の会場の人々を一周見渡して言った。
「お前達に問う!!この中に1人でも貴族の義務を果たさんとする者は居るか!!そうであるならば何故に、今ここに居るのか!!答えてみろ!!」
「・・・」
誰も何も言えなかった。
有る人は顔を背けて俯き、また有る人は膝を着いてさめざめと涙を流し、そして有る人は口惜しそうに歯を食いしばって拳を握る。
そんな人々をカイルは馬鹿にしたように見て、再び王に向かう。
「ここが潮時だ。最早お前は王では無い。その無様な冠を捨てろ」
「馬鹿な!!何を馬鹿な事を言うか!!貴様の様な余所者に言われる筋合いは無い!!」
王はやはり何も言わずにいて、応じて言葉を発するのは偉そうな人だけだ。
「お前達!!その男を殺せ!!その狂った男を斬り捨てるのだ!!」
兵士達に命じると、男は怒りに満ちた眼でカイルを睨む。
兵士達は、最初、仲間内で互いを見合って、そして小さく頷いてカイルに襲い掛かる。
「・・・」
カイルは動こうとはしない。
剣を構えた兵士達に対して全く動じず。
しかし、対抗しようともせずに仁王立ちを続けた。
誰もがカイルの行く末を幻視した。
だが、その直後に兵士達がバタバタと倒れて血を流す。
「馬鹿め・・・」
確かにカイルが小さく呟いた。
何が起きたのか、その場に居る誰もが分からなかった。
「戦争卿・・・」
誰かが呟いた。
その呟きは全体に波及して、口々にその名を呼ぶ。
「ここは既に戦場だ。戦場であの男に敵う者は居ない」
ジルベールさんがカイルを睨みながら言う。
正しく戦場の王者だ。
何も恐れる物が無い最強の覇者。
その威風堂堂たる姿に、私は教科書や伝記の中で読んだ英雄の姿を重ね合わせる。
それ程に、今のカイルの立ち姿は威容を誇っているのだ。
「ほ、報告いたします!!」
静まり返って全員がカイルを見詰める会場に一人の泥だらけの兵士が走ってきた。
「・・・報告を」
兵士は会場の雰囲気を感じて、その様子に萎縮してしまう。
尻すぼみになって如何するかと混乱した様子の兵士に、カイルが声を掛けた。
「報告しろ」
「え!?」
「早くしろ!!」
「はっ!!」
いきなりカイルに言われた兵士は一度呆気に取られて聞きかえすが、直後のカイルの一喝に敬礼して報告を始める。
「カールスト公国軍が国境を越えて進軍を開始!!真っ直ぐに何かしております!!」
会場が騒然とする。
口々に何故、何がと慌てる人々にカイルが嘲笑を浴びせる。
「おい」
「っ!はっ!!」
「報告を続けろ。公国軍の陣容を言え」
煽るように不遜に笑みを浮かべたカイルが言うと、兵士は汗を滝のように流しながら続けた。
「こ、公国軍の陣容ですが・・・」
言葉が詰まる。
「早く言え」
カイルが声を低くして促す。
「・・・」
「言え」
「公国軍は総勢4万・・・公国軍他・・・ア、アウレリア王国軍の姿が・・・」
信じられない言葉だ。
会場が一遍に静まり返って再び視線がカイルの一点に注がれる。
「おい」
カイルは周囲の人間には全く興味が無いと言う風に王の上座に向かって言う。
「降伏しろ。コレは宣戦布告と降伏勧告を兼ねている」
カイルが言った瞬間、パーティー会場に人が雪崩れ込んできた。
「全員動くな!!動くな!!」
「我々はアウレリア軍だ!!無駄な抵抗はせずに降伏しろ!!」
緑色の上下の服に緑色の鍔広の帽子、手にはライフルを持っていて、全員が油断無く互いの死角を補っている。
「お嬢」
私の背後からテオが姿を現して声を掛ける。
「ジルベール卿、余計な手間は掛けないで大人しくして頂く」
ジルベールさんには二人、ジーンさんとサントさんが銃を突き付けて動きを抑える。
「くっ!」
ジルベールさんはジーンさんの手によって持っていた短刀やピストルを奪われて、その場に膝を着かされる。
「大丈夫でしたかお嬢様」
聞き慣れた声が掛けられた。
「ルイーズ!」
驚きを隠さずに声の方を向くと、そこにはルイーズがいた。
「申し訳御座いませんお嬢様。お嬢様を利用するような事をしてしまいました」
ルイーズは私に近づくなり頭を下げる。
今一状況の飲み込めない私がテオの方を向くと、彼は笑みを浮かべて言った。
「ルイーズちゃんには最初の侵入の時から手伝って貰ってたんですよ」
「え?」
「内部に協力者がいなきゃ、幾ら我々でもあんな潜入は出来ません」
私はルイーズを見る。
「申し訳御座いませんでした」
「何故?」
「・・・父のためです」
ルイーズのお父さんは確かこの国の軍人で戦死されていると聞いていた。
どう言う事なのかと思っていると、カイルが近寄ってきた。
「その話しは追々だ」
「・・・」
「喜べ・・・ハンスがコッチに向かってる」
ハンスさんが来ている。
そう聞くと嬉しくなった。
「やれやれ・・・ハンスめ、一体何を企んでお前にここまで執着しているんだかな」
「・・・何も分からないでやっているのですか?」
「お前が連れ去られた時にハンスが随分と慌ててな・・・彼奴には何度も助けられたし、少しは恩を返しておこうと思った」
少し意外だ。
カイルはもっと冷たくて人の事を考えられない人間だと思っていた。
だが、今のカイルの表情は何処か温かみのある感じだ。
「柄じゃ無いな。こう言う頭を使った作戦は」
そう言ってカイルは頭を掻いた。




