第二十三話
書き直しました。
まるで悪魔と契約したかの様だった。
僅かな逡巡の後に差し出されたカイルの手を握った瞬間、凄まじい笑みを浮かべたのだ。
半開きの瞼の奥、仄暗い光の無い瞳で真っ直ぐと私を見詰めながら、犬歯を剥く様に口角を上げる様は、到底、人だとは思えない。
何か別の獰猛で残忍な獣の類いの様だ。
「さて・・・お前はどうやってこの国を救うつもりだ?」
「・・・それは」
そう言われては何も答えられない。
カイルにこの国を救うかと言われ、自然とそうするようにしてしまったのだが、何か考えが有るわけでは無い。
私には軍事とかの詳しい知識も無ければ、剣を振ったり銃を撃ったりと言う事をする事も出来ない。
昔に少し経験が有る御陰で多少は乗馬は出来るが、それだけ。
それ以外には何も出来ないのだ。
「まあ、そんな事だろうと思ったがな」
そんな私の心情を見透かして、カイルは淡々と言い放つ。
「ハッキリ言ってこの国が共和国に勝つのは無理だ」
「・・・それは」
「分かっているだろう」
その位は私にも分かる。
色んな人が口々に言っているのだ。
「だが・・・本当の意味で理解している訳では無い」
カイルは意味深な感じに言った。
どう言う意味かと首を傾げると、カイルは私に向かって話を始める。
「先ず・・・まあ、お前も散々聞いただろうが、兵力が違いすぎる。それだけ言うとじゃあ兵士がいれば勝てると思うだろう?」
「・・・」
私は無言で頷いた。
そうするとカイルはニヤリと、嫌らしい笑みを浮かべる。
「間違いだ」
「?」
「例え同じ兵力で戦っても勝ち目は無い。間違いなく圧倒される」
「それは・・・」
少し混乱する。
同じ数で戦うのなら、多少は拮抗できるのでは無いかと思うのだが、カイルによればそうでは無いらしい。
「共和国の最大の強みは動員能力とそれを支える後方支援にある」
「・・・後方支援」
「共和国の軍需物資は全て国営の工場で生産されていて、奴等の編み出した兵站システムの御陰で必要量の物資を必要なタイミングで前線に送り出せる」
「はあ・・・?」
今一、良く分からない。
そんな風に思っていると、カイルは更に続ける。
「メリス軍は潤沢な物資を蓄えているが、後方の輸送インフラも脆弱で、更に言えば生産力も余りにも少ない」
「つまり?」
「ザラスとメリスの両軍が同じ数で開戦を行った場合、拮抗できるのは最初の一回のみで、その後は補給の途絶えたメリスが一方的に嬲られるだろう」
「どうして・・・」
「メリスの軍は素人ばかりだ。正面戦力はそこそこかも知れないが、その軍隊を支える土台が出来てない。槍で戦う時代と違って、現代戦は金と物が大量に必要だ」
そこまで言われて漸く少しは理解できてきた。
「運ぶ物が増えたのに、メリス軍は運ぶ力が無いと?」
「そう言う事だ」
カイルは言っていないが、恐らく最初の1回目の戦いで拮抗すると言うのも本当は違うのだろう。
カイルの表情を見ているとそんな風に思う。
「一体如何すれば?」
良く分かりもしないのに頭を悩ませて見るが、やはり何も浮かばない。
そんな私を嫌らしい表情で見詰めるカイルが、地図を懐から取り出して地面に広げる。
「さっきも言ったが、現代の軍隊は兎に角物資が大量に必要だ。だが、その物資が無ければ・・・」
「・・・戦うことが出来ない?」
カイルが地図の一点を指した。
「共和国軍はリスクを分散させるために本国からの輸送ルートを幾つも別けている。だが、小分けして運んだ物資は一旦、第12師団の居る国境の拠点に運ばれる」
「・・・」
「そして、そこから前線の各師団旅団に運ばれる。この前線と集積点の間は輸送ルートの把握がしやすい上に、戦域も狭く活動しやすい。ここで輸送隊を襲撃して敵の補給を絶てば前線は膠着するだろう」
丁寧な説明をするカイルは、何と言うか、淡々としていて仕事に徹していると言う感じがする。
「でも・・・本当にそんな事が?」
出来るのかと問い掛けると、カイルは自身満々に答える。
「一番慣れた仕事だ」
そう言って、カイルは背後の兵士達に視線を這わせる。
気負いも恐れもしないと言った感じの、堂々とした兵士の人達はカイルに見られると、より一層に誇らしげな表情をした。
「所で」
私はカイルに質問をする。
「何で私をここに連れて来たのですか?」
この話をするなら屋敷に来れば良いだけだし。
と言うか、他の国の中を勝手に歩き回って良いものなのだろうか。
態々誘拐のような事をする必要が有ったのかと思わずにいられない。
「お前を試そうと思ってな」
「・・・は?」
「お前の態度が気に入らなければ置いて帰るだけだったし、お前がこの国を見棄てると言うなら見られていない方が好都合だ」
「・・・」
「お前は一番俺好みの答えをしてくれた」
カイルが笑う。
本当に恐ろしい表情で笑う。
戦争卿、まさにその言葉が相応しいと、自然と思った。
「さて、そろそろ動こう」
「如何するのですか?」
私が尋ねると、カイルは直ぐに近くに馬を呼び寄せる。
そして、身体に似合わない身軽さで跨がると、馬上から答えた。
「先ずは拠点が必要だ」
「はあ・・・?」
「お前の厄介になっている屋敷に行こう」
言うなりに、カイルは馬を走らせる。
「お嬢」
呆気に取られて何も言わずに見送ってしまった私に、背後からテオが声を掛けた。
「馬車に乗って下さいお嬢。じゃないと閣下に置いて行かれます」
私は慌てて馬車に向かう。
周りに居た兵士達は、既にカイルを追って馬を走らせていて、この場所には8人程が残っているだけだ。
「・・・」
馬車に向かうと、そこには身体の大きな無口なテオの仲間が待っていて、直ぐに私を持ち上げて馬車に乗せてくれた。
馬車は直ぐに走り出して、来たときと同じように私は無口な3人と一緒に揺られる。
違いと言えば、外を見た時に馬車の直ぐ後を4人のカイルの仲間が追ってきていると言う事で、恐らくは馬車の前にも同じようにカイルの仲間が居るはずだ。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
馬車の中は沈黙が支配している。
私以外の3人は無駄口を叩くと言う事は一切無く。
口許を真一文字に結んで、眉一つ動かさずに揺られるままにしている。
「・・・」
私も3人と同じように黙りこくったままでいるのだが、しかし、流石に耐えられなくなってきた。
来る時は慌てていたのと、得体の知れない3人が少し怖かった事も有って気にしていなかったが、余裕が出来た今では、この無言の情況が辛く、何か離したい気分に成った。
「あの」
私は意を決して隣の女性に声を掛けた。
「何でしょう」
無視されるかと思えば、以外にも女性は柔和に応じてくれた。
「お名前は?」
取り敢えず名前を尋ねてみる事にする。
「リリサと言います」
答えてくれた。
リリサさんと言うらしい女性は、来る時よりも何処か穏やかな雰囲気をしていて、少し笑みを浮かべながら私に応じてくれる。
だから、私も肩の力を抜いて更に話しかける。
「リリサさんも・・・軍人なんですよね?」
分かり切っている事だが、しかし、このリリサさんはとても細身で、個人的には余り軍人だと言う様には見えなかった。
「はい。私は軍人です」
リリサさんは迷うこと無く答える。
「何故軍人に?」
ただ何となく気になた事を尋ねてみる。
そうすると、リリサさんは、視線を真っ正面に向ける。
整った彼女の横顔を眺めていると、そのままリリサさんは話し始めた。
「私は奴隷でした」
「・・・」
「15年前の事です。私の居た村が襲われて、私を初めとした村人が奴隷にされました」
「それは・・・」
何と言って良いのか分からなかった。
だが、リリサさんは気にせずに話し続ける。
「私達は奴隷にされた後、売り飛ばされて、そして、ある領主が買い取って、戦地に送られたのです」
「・・・何故ですか?」
「当時、共和国がアウレリアに攻め込んでいたのですが、当時のアウレリア王が諸侯に参陣を命じたのです。私達を買い取った領主は領民を戦地に送る代わりに私達奴隷を送ったのです」
何とも酷い話だ。
自分の国を守るために関係の無い人達を危険に晒すなんて、そんな風に思った後、直ぐに日本の事を思い出す。
そうすると、私は人の事を言えないと気付いた。
そんな私の反応をどう感じ取ったのかは分からないが、リリサさんは私の右肩に手を置いた。
「そんな我々を救ってくれたのが閣下・・・カイル・メディシア閣下です」
「あの人が?」
とてもそうだとは思えないが、他の2人も頷いている。
「奴隷として戦地に送られた私達の指揮官に着いたのがカイル閣下だったんです」
「当時はまだ14歳の少年だった」
奥の席にいた小柄なダークエルフが話に混じってきた。
「ジーンだ。よろしく頼むお嬢さん」
名乗りながら近づいて来て右手を差し出してきた。
「よろしく御願いします」
その手を取って握手を交わすと、ジーンさんはリリサさんの対面に座って話し始める。
「カイル閣下は戦地に着いて数日後に今の国王陛下、当時は王太子殿下だったアレクト様を救出し、更に殿として追撃してきた共和国軍と戦った。その御陰でアレクト陛下は生き残り、援軍によって閣下も助け出された」
「そんな事が・・・」
何と言うか、凄まじいと言うか、まるで小説の主人公の様な活躍ぶりだ。
そんな風な感想が私の中に思い浮かんでいる最中にも、更に話は続く。
「閣下は今の陛下を助けたと言う功績を下に、兵団を任される事に成った。だが、当時の王国軍は兵力が不足していて、閣下に任された兵士達と言うのは、俺達の様な奴隷や敗残兵、それに移民などが殆どだった」
「ハンス大佐も当時から閣下と共に戦っていた」
ここで最後の1人である体格の良いダークエルフが混じってくる。
「サントだ」
そう言うだけで場所は移動せずに後の出入り口の側に座ったままだ。
「ハンス大佐は閣下の同郷で兵団を任されたばかりの頃は閣下の副官の様な立ち位置で、何時も右往左往していた」
意外なことにサントさんは笑みを浮かべながら話してくれる。
「ハンスさんが?」
「ああ、大佐も当時は子供だったしな」
「あの頃のハンス大佐は頼りなかった」
「・・・」
結構散々な事を言われているが、私には想像が着かない。
「兵団を任されて直ぐ後位に閣下はまた手柄を立てたのだ」
サントさんが話しを続ける。
「援軍に来ていた帝国の皇女が夜中に勝手に手勢を率いて共和国軍に夜襲を掛けようとしてな・・・」
「リーグ丘陵だな」
「懐かしい・・・」
リリサさんとジーンさんが懐かしんで頷いた。
「皇女の暴挙に気が付いたのが閣下だけだった為に、閣下は直ぐに兵団・・・詰まり俺達を連れて皇女の救出に動いた」
「そしてその末に皇女を助けるのみか、そのまま敵陣に斬り込んで行って戦いを終わらせたんだ」
「この功績で閣下は一目置かれる存在になり、この時の帝国皇女との出会いが、後の帝国遠征に繋がった。私は共和国との戦いが終わって直ぐに、除隊を命じられて一時期は軍を辞めていたんです」
「何故?」
「閣下は女が戦場に立つのを嫌って、終戦後に奴隷身分が解放されると同時に女や希望者を除隊させたんです」
リリサさんの言った事には酷く衝撃を受けた。
「当時のカイル兵団には女は二人しか居ませんでした」
「そうなんですか?」
「はい。一人は今のダーマ伯爵で元近衛騎兵連隊連隊長のフィオナ・ダーマ大佐。もう一人が、私と同郷のダークエルフで、当時のライフル中隊の中隊長だった」
この人達はカイルの事を良く知っていた。
それも当然で、カイルが軍人に成ってからずっと一緒に戦っていたと言うし、今の特殊部隊が出来てからも、やはりカイルとは縁が深かったらしい。
そこで私はふと前にハンスさんとナジームさんの話を思い出して、尋ねることにした。
「あの」
「なにか?」
「リゼ・・・と言う名前に心当たりは?」
リリサさんに尋ねると、あからさまに息を呑んだ様な表情をした。
「その名前を何処で?」
ジーンさんが身を乗り出して聞いてくる。
「以前にハンスさんとナジームさんが・・・」
そう言うと、3人は黙り込んでしまった。
一体何だと言うのだろうか。
リゼと言う人物に何が有ると言うのか、私は自然と興味を大きくして、リゼという人物に思いを馳せる。
「お嬢」
3人が何も答えず、私が何とか聞き出せないかと口を開こうとした瞬間、御者席の方から声を掛けられた。
「お嬢。それ以上は聞かない事です」
「・・・」
「リゼの事を聞くのは、今は駄目です。その名前は、旧兵団メンバーの間ではタブーなんです」
そう言ったっきり、テオは何も言わなくなり、他の3人も口を噤んだ。
「・・・」
私は少し納得出来ない思いを胸に秘めて、しかし、ただならぬ雰囲気に押し黙って座席に深く座り直す。
馬車は再び沈黙に支配されて、私の耳に届くのは車輪の回る音と蹄の音だけだった。




