第十四話
「美味しいですか?」
「・・・まあ」
味なんて分かるものでは無かった。
目の前に出されているのは、何か白身の魚のムニエルらしき料理と、恐らく上等な物であろうと言う白ワインだ。
ムニエルは身はホロリとしていて淡泊な味わいながら、決して単調な薄い味と言う訳でも無く、確りとした旨味のある身で、薄い小麦粉の衣に溶けたバターの香りと仄かなニンニクの香りが乗った味わい深い物だ。
我が儘を言わせて貰えば胡椒でも振ってあればもっとパッとした味になると思うのだが、恐らくは、この世界でも香辛料は貴重なのだろう。
ムニエルにはホワイトソース系のソースが掛かっており、これと付け合わせの温野菜が、また良く合う事この上ない。
白ワインの方はと言えば、酒を呑むの自体が初めてなのだから良く分からないと言えばそれまでだが、しかし、甘みが強くて、その後の仄かな酸味が、コッテリとしたソースの残る口の中を爽やかにさせてくれる。
渋味も少ないので非常に呑みやすいと感じた。
有り体に言えば美味しいのだが、今のシチュエーションが全てを台無しにと言うか、緊張のせいで事細かに応える余裕など無い。
結果、私の口から漏れ出た応えと言えば。
「・・・美味しいです」
位な物だった。
「そうですか」
だが、そんな私の反応に対しても、目の前のジルベールさんは実に嬉しそうに、朗らかに笑う。
何だか心苦しくなってきた。
さて、何故私がジルベールさんと食事をしているのかと言えば、自体は一月も前に遡る。
そう、遡ってしまう。
「私は貴女を誰にも私はしません・・・例え、悪魔が相手であろうとも」
と、まあ、大変に歯の浮くような台詞を大真面目に真顔で言ってのけたジルベールさんは、私のことを優しく抱きすくめた。
そんな場面に際して、乱入してきたのがニールさんだった。
「貴様!!今すぐにそこを退け!!」
まだ距離があると言うのにも関わらず、ニールさんは私とジルベールさんの姿を見付けるや否や、凄まじい形相で向かってきた。
だが、それに対してジルベールさんは、何やら周囲に合図を送ると、そのまま私を抱き締めたまま歩き出す。
「先ずは家に行きましょう。船は用意が出来ています」
「貴様ぁああ!!」
背後では、案外と熱しやすい性格のニールさんの怒声が響くが、それが近づいてくる様子が一向に無い。
恐らくはジルベールさんの配下の人が言って、ニールさんの足止めをしているのだろう。
私は、そのままジルベールさんによって船に乗せられた。
態度は実に紳士その物で、事ある毎に気遣ってくれるのが分かるし、それを押し付けがましくない様にしている点でも好感が持てる。
だが、それと同時に、決して逃がさないと言う強い意志も見て取れて、それは周囲に数人の人が囲んでいて、私が抵抗すれば直ぐにでも取り抑えられる態勢なのだと、隠しもせずに見せ付けている。
恐らくは、そうやって私の動きを牽制するつもりなのだろう。
結果、私は、ハンスさん達が使った方法とほぼ同じ方法でジルベールさんの手によって連れ出され、ジルベールさんの用意した船は、少し沖合に出た途端に四隻の軍艦に囲まれた。
「安心してくれ。私達の護衛ですから」
どうやら、この自称兄は軍隊とかの方面に非常に顔が利くようだった。
「家は良いところだ。きっと気に入るよ」
肩を抱かれたままそう言う自称兄は、何だか切羽詰まった様な感じがして、信用がならなかった。
そして、一ヶ月後の今、私は慣れない貴族の生活と言う物を強制的に体験させられていて、今は夕食の時間だった。
オードブル、スープ、今のポワソンときて、次はソルベ、要するにシャーベットが運ばれてくる。
「本日は苺を使った氷菓で御座います」
仰々しい感じに運ばれてきたシャーベットは、実の所を言うと、この世界に来て一番美味しいと感じた食べ物だ。
日本で食べるのと比べると些か甘みが少なくスッキリとした感じがするが、コレはこれで嫌いでは無い。
この後に運ばれてくる肉料理アントレ、所謂メインディッシュと呼ばれる料理と、魚料理との間の中継ぎ件口直しの要素なのだが、ハッキリ言って、私はここまででお腹一杯だ。
何で肉と魚の両方を食べるのか理解に苦しむ。
その癖、パンが出てくるのはオードブルのタイミングだったりスープのタイミングだったり、意味が分からない。
「こっちの生活には慣れましたか?」
解けない内に食べてしまおうと匙に手を伸ばした途端に、ジルベールさんが声を掛けてきた。
「・・・いえ、少し慣れません」
本当は少しどころでは無いのだが、余り明け透けに応えて角が立つのも嫌だった。
「どう言った所が?」
追求してきた。
「・・・」
取り敢えず考え込む振りをする。
とは言ってもそう長くは考え込んでもいられない。
「刺繍が難しいです」
出て来たのはそれだけだった。
バカみたいに時間の掛かる服を着せられた挙げ句、何をするかと思えば只管にマナー講座と刺繍だけの毎日。
マナーは大分覚えられたが、刺繍は、ハッキリ言って退屈極まりない。
チマチマと針を刺しての繰り返しをしていると、頭が可笑しくなりそうになる。
こんな事をさせるくらいなら、勉強させるか本でも読ませてくれと言いたいが、あんまり我が儘言って心証を悪くするのも得策では無い。
今の所、期待しているのはハンスさんに寄る救出なのだが、望みは薄いと言わざるを得ない。
「刺繍は嫌いですか?」
「・・・好きではありません」
てか話長い。
シャーベットが溶けないかというのが気掛かりで仕方が無い。
「・・・」
「・・・」
もう食って良い?
「では、勉強でもしますか?」
願ってもない話だ。
「御願いいたします」
一も二も無く飛び付くと、ジルベールさんは笑みを浮かべた。
「・・・私も、実の所を言うと妹との生活というのが、今一掴めていないんです」
「・・・はあ」
「兄妹はいませんでしたし、母も幼い頃に家を出て、父は私に構うと言うような人でもありませんでした」
身の上話を始めた。
大変に興味をそそる話だが、好い加減にアイスを食わせてくれ。
「父は・・・恐らくは貴女のお母様を愛していたのでしょう」
「・・・」
「当時、周囲は父と貴女のお母様・・・レオノーラ様の結婚を認めなかった」
レオノーラと言うのが、判明した私の母親の名前だ。
「母様に何が有ったのですか?」
詳細な情報は未だに手に入っていない。
今こそ情報収集のチャンスとジルベールさんに尋ねた。
「・・・そうですね。私も詳しい話を知っているわけでは御座いません」
「・・・」
「ですが、知っている限りをお話ししましょう」
漸く情報が引き出せる。
これならばアイスが溶けても惜しくは無い。
「・・・取り敢えず、溶けてしまう前に食べましょう」
思った矢先に、ジルベールさんがアイスを食べようと提案して、自分が先に口に頬張った。
「・・・」
何となく納得がいかない間も有りつつ、私も一口掬って口に入れる。
冷たい氷菓は、僅かに溶けてより滑らかさを増しており、それ故にか、甘さも一段と引き立っている。
後に来る苺の仄かな酸味が、口の中が甘くなりすぎないように主張して、見事なコントラストを描いて消えて行く。
このシャーベットを作った料理人は本当に良い仕事をしている。
「美味しいですね」
「はい」
こうしていると兄妹というのも良い物だ。
今日の夕食のシャーベットが、私とジルベールさんの間の緊張も解かしてくれた様な気がした。
そして、この食事の後、ティータイムの時こそが、私にとっての本番となった。
「レオノーラ様・・・貴女のお母様はアウレリアの出身でした」
「・・・」
「十八年前の事になります」
十八年前のアウレリア王国と言えば、確かハンスさんの話では内乱中の筈だ。
「当時、アウレリアは国内で二つの派閥に別れての内乱状態に有りました。レオノーラ様はその内乱に乗じて国外に脱出してきたと言われています」
「言われている?」
「・・・詳しい事は分からないのです。そう卑しい身分と言う訳では無いでしょう。ですが、恐らくは内乱で潰えた没落貴族では無いかと思う」
内乱で国外に逃げた没落貴族の子女と、現地で出会った貴族様。
何と言うか、メロドラマと言うか、宮廷物語と言うか、思春期くらいの女の子に受けそうな話だ。
「当時25歳だった父は、どこで会ったのかは分からないけど、レオノーラ様と深く愛し合っていた。母・・・私の母と上手く行っていなかったのも原因だと思う」
ジルベールさんのお母さんとは夫婦仲が良くなかったそうで、ジルベールさんが産まれると、お母さんは離婚はしなかった物の、直ぐに家を出て行ったそうだ。
そんな荒れ果てた家庭環境と仕事とで疲れ果てていた所に、私の母との出会い。
やはり何処かの小説のようだ。
「私も何度か会った事が有るが・・・確かにレオノーラ様は美しくて、凜とした気品の有る女性だった」
何か恋する瞳で当時に思いを馳せている。
恐らくジルベールさんの初恋だろう。
「・・・当時、八歳だった私は、このままレオノーラ様が母になるものだとばかり思っていた」
当時八歳と言う事は、ジルベールさんは現在二十六歳という事になる。
丁度、当時のお父さんと同じくらいと言うわけだ。
「だが、親戚や縁者の人達は父さんとレオノーラ様の仲を許さなかった」
「・・・引き離されたのですね?」
「・・・ええ。私の母が中心になってレオノーラ様の命を狙い始めたんだ」
今度は暗殺ですか。
ますます、それっぽい話というか、何というか。
「レオノーラ様は・・・ハッキリ言えば失踪しました」
「失踪?」
「父との出会いから丸一年が経った頃、レオノーラは私達の前から姿を消し、既に妊娠していたと言う事も知らせなかった」
「・・・」
「きっと・・・貴女を護りたかった故でしょう」
母の愛と言う奴だろう。
それからの母の足取りは、西の方に行ったと言う事以外は分かっていないらしく、私がメリスの方にいたと言う事は、何れかのタイミングで戻って来ていたと言う事だろう。
一体、何のために戻ってきていたのか、そして、何故、私を置いて姿を消したのか、そこまでは分からないが、少なくとも、私は望まれずに産まれてきた訳では無さそうだ。
「お父様は?」
ふと、血縁上の私の父親に興味が湧いた。
何となく分かっていつつも尋ねてみると、ジルベールさんは伏し目がちに首を振る。
「一昨年の夏に・・・最後までレオノーラ様を案じていた」
「・・・そうですか」
何となく、母が生きていると言う事は無いと確信していた。
あの夢を見た日から、母は既に死んでいると言う気がしていて、更に父親も死んでいるとなれば、目の前のジルベールさんは、正に唯一残された私の肉親と言う事になる。
「ヨーティア」
急にジルベールさんが私の前に来て片膝を突いて、私の手を握った。
「はい」
「私は貴女を誰にも渡さないと言いました」
「はい」
「決して約束は違えません・・・私は貴女を、生涯にわたって守り抜くつもりです。例え、如何なる大敵が相手でも、悪魔が来ても・・・その気持ちに変わりはありません」
とても真剣な眼差しで、私を見詰めるジルベールさんは、とても頼もしくもあり、それでいて、何処か縋り付くような弱々しい雰囲気も有った。
「・・・」
「ずっと私と一緒に居て下さい」
私の右手の甲にキスをしたジルベールさんは、懇願するように頭を垂れる。
「・・・」
私は何も答えなかった。
しかし、この頼もしくも頼りない男性が、とても愛おしく感じてしまって、自然と抱き竦めるように頭を撫でていた。
「・・・ヨーティア」
ジルベールさんは、私の名前を呟いて、気持ちよさそうに私の膝の上に頭を乗せてされるがままになっている。
そんな彼を、私は優しく撫で続けて呟いた。
「お兄様」




