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第十三話

「・・・」


 カイルに金をせびられた私は、ハンスさんから貰っていた財布からコインを数枚取り出して渡して、ニールさんを連れてその場を後にした。

 英雄だ何だと聞いていたのに、実際に会ってみれば、拍子抜けすると言うか、幻滅すると言うか、碌な人間では無かったと言うのが素直な感想だ。


「はあ・・・」


 何となく港に来て海を眺めていると、先程の事も合わせて憂鬱な気分になる。


「・・・」


 隣のニールさんも普段通りにムッツリと黙りこくっていて、気の利いた言葉の一つも掛けようとはしない。

 別に何か言って欲しいわけでも無いが、気にされないのも何となく腹立たしいと言うか、微妙だ。


「・・・」


 港には活気が溢れている。

 船乗り達が行き交い、商人らしい人達が笑いながら話し合い、子供達が走り回っている。

 何処からともなく美味しそうな匂いも漂ってきて、それが海産物を焼いた匂いだと気が付くのには、そんなに時間は掛からない。


「そう言えば、ハンスさん達がカイルさんを探しているんでしたね」


「ああ・・・そうだった」


 ふと思い出して口に出すと、ニールさんが反応を示す。

 ハンスさん達の様子から察するに、カイルとの合流を目指している風だったので、これは報告をしておく必要が有る気がする。


「私はここに居ますから、ハンスさん達に伝えてきてくれませんか?」


 もう少し、このまま海を眺めていたい気分だった私は、ニールさんに待っているから一人で行ってこいと告げる。


「・・・そうだな」


 私の信条を少しは理解してくれたのか、ニールさんも少し考えるようにしてから、私の案に同意してくれる。


「では、くれぐれも動かないでくれ」


 念を押すニールさんの表情は、少し不安げな気がして、私は少しだけ悪いことをした気分になる。

 だからと言って、今更になってやはり私も行くとは言い難く、ニールさんの視線から逃れるように海の方を向いた。


「分かっています」


 返事を返すと、ニールさんは足早にレッドさんの屋敷の方へと向かう。

 気配が離れたのを感じて、ニールさんが向かった方に顔を向けると、酢電位ニールさんの背中は小さく遠く、その後ろ姿を暫し見送ってから、私は再び海の方を眺めた。

 日本の海とは全く違う、鮮やかな翡翠色の海は、澄んだ空気のお陰で遠くまで良く見える。

 久し振りに一人になれて、ここまで張り詰めていた気に、僅かな緩みが出来る。


「・・・」


 ハッキリ言って、見知らぬ人に囲まれると言うのは、思った以上にストレスが掛かる。

 ハンスさん達とは出会ってから2週間程しか経っていないのだ。

 そんな人達に、全く知らない場所で囲まれて、行動に制限が掛かっていると思うと、息も詰まるもので、もっと言えば異性だらけと言うのも、やはり負担は大きい。

 テントで寝る時は一人だったが、そもそもの話、環境自体がストレスの塊のような状態だったのだから、気を張らないと言うのが無理な話だ。

 ハンスさん達には感謝しているし信用もしている。

 だが、やはり一人になる時間、プライベートが欲しいと思うのは現代人の性なのだ。


「卵掛けご飯・・・食べたい」


 こうなってくると故郷が恋しい。

 母親の食べ飽きた食事が、無性に食べたくなるのだ。

 田舎から送られてきた米を使い古しの炊飯器で炊いた御飯、化学調味料を使った味噌をケチった薄味の味噌汁、黄身の周りの白身に火の通っていない目玉焼き、どれもこれもが恋しくて堪らない。

 異世界と言うのは、来てみれば退屈では無いが窮屈ではある。


「っ!?」


 不意に目尻から涙が流れ出した。

 自分でも分からないが、涙が止め処なく溢れてきて止まらなくなる。

 そして、神経が過敏になってきて、思考が熱く高ぶってきて、身体が異常な程に震える。


「くっ!・・・っう!?・・・」


 喉の奥から嗚咽が込み上がって、とうとう脚に力が入らなくなってしまう。

 私は重力に逆らう事が出来ずに石畳の上に膝を着いた。

 自分自身を抱き抱える様に腕を組んで、まるで懺悔をする様に頭を垂れた。

 冷静に考える事が出来ない。

 頭の中には、止め処なく日本での思い出が蘇って流れる。


「帰・・・りたい・・・っ!・・・帰りたい!」


 周りの人が私を見ているのは感じられた。

 だが、それでも私の口は止まらなくなって、次々と吐き出される。


「帰りたい!!なんでこんな事になっているの!!なんで私がこんな目に!!なんで!!?如何して!!・・・誰が!!こんな事を私に!!」


 怒りが湧き出してきて、力任せに石畳を殴り付けた。

 骨が軋んでジワリとした痛みが走る。

 その痛みこそが、今の状況が現実であると言う事を如実に教えてきて、それがこの上なく腹立たしかった。

 余りにも理不尽だ。

 こんな思いをするくらいなら、いっそ死んでしまった方がマシだとすら思える。


「お嬢さん」


「・・・」


 誰かが声を掛けてきた。

 だが、それに応じる気力は無い。

 掘っておけばその内いなくなるだろう。


「お嬢さん。大丈夫かい?」


「・・・」


 まだ居る。

 案外としつこい人だ。


「・・・誰ですか」


 僅かな好奇心に駆られて顔を上げると、人懐っこい笑みを浮かべた青年が覗き込んできていた。

 短めの薄い色の茶髪の、目鼻立ちの整った白い歯の美青年だ。


「何か?」


 ナンパにしては、私をナンパするなんてよっぽどの変態だし、泣いている子供が心配になってと言うには妙に笑顔が鼻に着く。

 と言うか、何だか妙に雰囲気が胡散臭い。


「失礼、私はジルベールと申します」


「・・・はあ」


「貴女を迎えに来ました」


「は?」


 いきなり突拍子も無い事を言い出した。

 本当に胡散臭い事この上ない男は、更に続けて口を開く。


「驚くのも無理は無い。だが、貴女には一緒に来て貰います」


「何故?」


 一緒に来いと言われた瞬間、思い浮かんだのはラクサスに向かうまでに起きた襲撃だった。

 あの時は良く分からないままに解決した様な感じがしたが、今の所で思い当たるのはアレくらいで、あの襲撃が私を狙っての事だとすれば、ハンスさん達の行動にある種の説得力がある。


「何処の何方とも存じない方に着いて行くいわれはありません」


 きっぱりと断った。

 こう言う輩は、大体は無理矢理にでも連れて行くと言うのが相場だが、それでも言葉として明言しておくのに越した事は無い。


「・・・」


 私の言葉に対して、男は少し考える様な素振りを見せる。

 意外と行動は紳士的なのが、小説で出てくる様な連中とは違う。

 身振りや口調からしても、恐らくは貴族か、それなりに立場のある人物なのかもしれない。


「そうですね・・・名前だけ告げて、と言うのも不躾だね」


「・・・」


 そう前置きして、男は更に自己紹介を始める。


「改めて・・・私はジルベール。ジルベール・デュ・ヨーヌと申す者。メリス王国に属する伯爵で御座います」


 芝居がかった仕草と口調で名乗る男は、自身を伯爵だと言った。

 貴族と言われればやはりしっくりくる。


「何故、私が貴方と行かなくては成らないのでしょうか?」


 素直に何故かと問い掛ける。

 こう言う話の時、貴族だ何だと来れば、婚約がどうのとか、家がどうのとか言う話が出るのは、物語の中であれば大体は相場だ。

 それに、この男は怪しいのだが、それでも私自身の過去に付いての情報が手に入れられるかも知れないとも思う。

 今の所、自分のことで分かっているのが金髪で黒眼の16歳、見た目が完全にロリの恐らくそれなりに見られる顔立ちだと言う事くらい。

 親に関しての情報が、夢の中に出て来た金髪の小柄な女性と言うくらいで、名前も年齢も出身地も何も分からないのだ。


「故有れば、貴方に着いていくのもやぶさかではありません」


 嘘だ。

 実際には着いて行く気など無い。

 だが、彼に言われたのは予想以上に驚く言葉だった。


「私は貴方の兄です」


「・・・え?」


「私の父・・・先代のヨーヌ伯と貴女の母親の間に産まれたのが貴女になります」


「・・・」


「兄妹が共に暮らす事に、これ以上の理由は必要ですか?」


 何も言えない。

 家族が一緒に暮らす事は自然な事、確かにそれ以上に説得力のある言葉は無い様な気がして、私は何も言えなくなってしまった。

 私が応え倦ねていると、彼が右手を差し出してきて、私の頬を触れようとする。

 私はそれを拒む事が出来ずに身を竦ませた。

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