勝てば官軍
天文二十一年の春、私は花の御所の一室で、足利義輝と三好長慶と密談した。
その際に、大規模な合戦を起こして新しい征夷大将軍としての力を示す案を出した。
これが意外にも好意的に受け入れられたのだった。
しかしいざ実行に移すには、いくつかの問題があった。
「大坂本願寺は、動かないでいてくれるかしら?」
「我が朝廷や公家に働きかけ、宥め賺して時間を稼ごう。
だが、あまり長くは保たぬぞ」
足利氏だけでなく、三好氏も時間を稼いでくれるらしい。
大坂本願寺がすぐに動くことはないが、長くは保たないと言っている。
あまり時間がないことには変わりないので、急ぐ必要がありそうだ。
「合戦は一年後が良かろう。
それ以上は、大坂本願寺が痺れを切らしそうだ」
時間稼ぎは一年が限界なので、それまでに征夷大将軍として相応しい実力を示せということらしい。
しかし自分で提案しておいて何だが、我ながら考えなしで無謀なことをしているなと思った。
「今から一年後に、天下分け目の合戦が行われるのね」
その一戦で全てが決まる。そう思うと、何だか緊張してきた。
稲荷神様の御加護で勝てるだろうが、物事に絶対はないのだ。
「参戦せずに様子見に徹する勢力も出るだろうな」
様々な問題があるだろうし、私の命令など聞く気はなかったり、足利将軍家の権威が弱くて判断がつかなかったりと、理由は多々ありそうだ。
なのでもし、事前に天下分け目の合戦をやるぞと告知しても、当日になったら参加者0人のオフ会のような有様になったらどうしよう。
何だか、色んな意味で不安になってきた。
「その辺りは、我らが檄文を飛ばして呼び集めよう。
全ての勢力が集うのは難しいが、体裁は整うだろう」
朝廷や公家まで動かせるなら、取りあえず天下分け目と主張できるほど、大きな合戦は起こせそうだ。
私としては、願ったり叶ったりではある。
しかし、大樹や朝廷を利用するのはけしからん。もしくは自分たちも甘い汁を吸わせろと、敵に回る者のほうが多そうであった。
昔から敵地で孤軍奮闘するのは慣れているが、天下分け目の合戦では、織田家の代表として出陣する。
それに家臣や兵、同盟の者たちも参戦するのだ。
そんな状況で圧倒的多数の敵に包囲されたら、自分はともかく多くの将兵が討ち死にしかねない。
下手をすれば試合に勝って勝負に負けた展開になるため、あらかじめ手を打っておく必要がある。
「誰が味方で、誰が敵になるのかしら? 少し、怖いわね」
「ならば、止めるか?」
三好氏が計画の変更を提案してきたが、私はすぐに首を振る。
「いいえ、……やるわ」
何年も地盤固めをして征夷大将軍になるより、早期に一発勝負で決めたほうが全体的な犠牲は遥かに少なくなる。
私がそんなことを考えていると、微妙に苦笑気味な足利氏が声をかけてきた。
「先程から聞いていると、美穂殿だけは必ず生き残るように聞こえるのだが?」
足利氏はともかく、三好氏にはまだ見せてなかったと思った私は、おもむろに逆立ちを始めた。
そしてすぐに右手の人差指だけを床につけて、姿勢を維持したまま話しかける。
「将軍様は、私が強いことを知ってるでしょう?
怪我や病気にはならないし、素手で岩を砕けるわよ」
稲荷神様の御加護は本当にとんでもない。
やらかしもあって実の母からは嫌われてしまったが、戦国時代を今日まで生き残れたのは幸いであった。
それを見た三好氏が、不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「ふむう、まさに稲荷大明神様の化身よ!」
「我も、まさかここまでとは!」
説明が終わったので、取りあえず指一本で逆立ち状態を維持するのを止める。
よいしょっと飛び上がって空中で体を捻り、流れるような動きで床に着地した。
「去年、腕利きを何人か倒したけど?」
「あの時は護衛に視界が遮られて、良く見えなかったのだ」
女性でありながら、襲いかかってくる護衛を素手で返り討ちにできるほどには強い。
それは知っていたが、まだ人間の範疇だと思っていたらしい。
確かに素手で岩を真っ二つにするなど、指で逆立ちする姿を直接目にしなければ、誰も信じないだろう。
それに稲荷大明神様に御加護を授けられたと言い張らなければ、物の怪扱いを受けて酷い目に遭う。
実の母には狐憑きと気味悪がられているが、亡き者にしようとは思われなかった。
育児放棄に留めてくれたのは、不幸中の幸いであった。
「直接見せられては、信じるしかあるまい」
「ええ、助かるわ」
頭が悪く馬鹿正直なので、いちいち説明するのは本当に難しい。
とにかく二人がすぐに理解してくれたので、話を進めさせてもらう。
「それはともかく天下分け目の合戦だけど。
私の体は一つだから、守るのは不向きよ」
「ふうむ、確かにのう」
いくら疾風のように素早く動ける頑丈な体だとしても、私一人で戦場の全てを支配することはできない。
敵と戦っている間に味方が全滅しましたでは、目も当てられないのだ。
「しかし、美穂殿は濁流を押し返せるのであろう?」
「ええ、まあ……過去にやったことはあるわ」
美濃攻めの時に斎藤道三の策によって、父の軍勢が危機的状況に陥った。
私はその濁流をひたすら殴り続けて、押し返したことがある。
「ではそれを、敵軍に向けて使えば──」
「却下よ。人は極力殺したくないわ」
三好氏の言う通り、それをしていれば今頃は尾張だけでなく、あっさり天下を統一できていた。
しかし私は、やはり人を殺すのは嫌だった。
必要に迫られれば、自ら手を汚す覚悟はある。
「私は自分の行動が正しいと信じてるわ。
でも、絶対正義を主張するつもりはないわよ」
できれば力を振るうことなく、平穏に生きていきたい。
「だから、他者を一方的に蹂躙して良いとは思ってないのよ」
稲荷神様の化身として振る舞えば、従わない者を問答無用で排除できる。
絶対正義を振りかざしたうえで他者を一方的に蹂躙して、発言の自由さえも奪い取り、恐怖による統治を行うのだ。
確かに天下統一はあっさり完了するが、それで平和になるかと言うと首を傾げる。
私が存命のうちはまだ良いが、死後の日本は溜め込んだ不満が爆発して戦乱の世に逆戻りか、もっと酷いことになる。
「ふむ、では錦の御旗を使うか。
合戦に参加しない者を朝敵にするのだ」
足利氏が不敵な笑みを浮かべるが、その発言はどう考えても悪役側である。
「効果は抜群でしょうけど、多方面から恨みを買いそうだわ」
私は大きな溜息を吐いたが、彼はさらに言葉を続ける。
「何も本当に朝敵にするわけではない。
あくまで我々に従わねばそうなると、脅すだけだ」
銃口を突きつけて引き金に指をかけているが、実際には撃つつもりはないとか、多分そんな感じだ。
「ようは理由はどうあれ、天下分け目の合戦に参加させればいい。
そこで勝てば良いのだ。負ければ全てを失うがな」
「……一理あるわね」
確かに、勝ちさえすれば良い。
負ければ酷いことになるが、その時はその時である。
その後も色々と長時間の話し合いが続き、弟の信長とも連絡を取ることに決めて、密会を終えたのだった。




