大坂本願寺
天文二十一年の春になり、大坂本願寺の証如に面会することになった。
いつ如何なる時も、最短距離を突っ走るのが私である。
なのでここは一番偉い人と話したほうが、手っ取り早く事態が解決すると考えたのだ。
相変わらず頭が悪く、弟の信長には毎度のように怒られるのも慣れたものではある。
それでも駄目元で面会希望の文を出したら、許可が出た。
何でも六角家と同盟を結んでいる三好家が、裏から手を回してくれたらしい。今度お土産を持ってお礼を言いに行くべきだろうか。
まあそれはともかく、二度目の上洛を行うことが正式に決定したのだった。
しかし相変わらず周辺勢力が油断ならないため、今回も百名の兵で出向くことにした。
それでも野盗の襲撃は殆どなかったのは幸いだが、私としては適当にボコって身ぐるみを剥がしても問題ない相手なので、少しだけ残念であった。
しかし、初回と同じく一人の脱落者もなく上洛を成し遂げたのは、喜ぶべきことだ。
京の都で三好氏、足利氏、朝廷に順番にお土産を渡した後、伏見稲荷大社でお参りをしていく。
そして一休みした後に大坂本願寺を目指し、林秀貞と銀子の三名という少数精鋭で改めて出発した。
なお、事前に根回しを済ませていたからか、特に問題もなく到着したが、いざ大坂本願寺を目の前にすると、とても寺院だとは思えなかった。
何しろ周囲は堅牢な城壁や堀に囲まれ、大勢の兵を持っていて、まるで城や砦だと勘違いするほど警戒厳重だからだ
さらには町と寺が一体化しているようで、人材も大勢集まっている。
そう考えると、やはり侮れないと実感させられた。
それはともかく、私は正門を守る僧兵に近づいて、面会許可証を見せる。
しばらく待った後に案内と監視目的の兵士が数人付いて、証如の元へと案内された。
ちなみに林さんと銀子は、残念ながら中には入れてもらえなかった。
なので門の外で留守番をすることになったが、尾張では浄土真宗の利権を奪っているので、自分だけでも許可されたことで良しとした。
正直に言えば、三好が裏から手を回してくれなければ、門前払いされてもおかしくないのだった。
大坂本願寺の廊下を歩いて、奥の大部屋に通された。
そこで私は、護衛や他の偉い僧たちがこちらを警戒する中で、法主である証如と対面した。
指示されるままに円座に腰を下ろして、頭を下げて挨拶を行う。
「尾張国守護代、織田美穂と申します」
頭が悪いので立場的な上下は良くわからないが、正式な場なのでまずは猫を被る。
「うむ、儂が法主の証如である。遠路遥々ご苦労」
立派な衣をまとい、坊主頭の証如が返事した。
当人であると判明したのならば、あとは手早く用件を切り出すことにして口を開いた。
「天文二十年の秋に、尾張で起きた一揆についてお尋ね致しますが──」
私がまだ話している途中だが、そこに証如が言葉をかぶせてきた。
「話は聞いたが、尾張では多くの民が亡くなったらしいのう」
その瞬間、カチンときた。
毎度のことで猫を被っても長くは保たないが、今回はかなり早かった。
「らしいのう……って! 他人事のように言わないでよ!」
証如や周りで見ている者が、私の豹変ぶりに驚いているのがわかる。
だが、それでも構わずに大声を出した。
「貴方たちが民衆を煽動したから、死ななくていい人が大勢亡くなったのよ!
それに対して、何か思うことはないの!?」
本来ならば守るべき領民なのに、自ら手にかけなくてはならなかった心情を、彼らは全く理解していなかったのだ。おまけに仕掛け人にも関わらず、話を聞いたがとすっとぼける。
あくまで自分たちは無関係だと言いたいのだろう。
完全に喧嘩腰の質問だが、そこは流石は法主だった。
すぐに冷静さを取り戻して周りの者を落ち着かせてから、コホンと咳払いをして返答を行う。
「儂ら僧は、仏の教えを説いたまでのこと。
そして民が、正しき道を選んだ結果よ」
これには一瞬言葉を失ったが、すぐに怒りで顔を真っ赤にして大声を出す。
「なんて無責任なの!」
何処までも冷静な法主は、穏やかな笑みを浮かべたままだ。
その状態で、落ち着いて言葉を発する。
「その通り。儂らに責任はない。
だがしかし、仏の教えを守った者が、大勢亡くなったのは悲しいことだ」
証如は淡々と話しているが、全く悲しんでもいないし罪の意識を感じているように思えず、あくまで淡々と告げる。
なので、私は彼が人ではない別の何かに思えた。
「ゆえに儂らは、大坂本願寺にて念仏を唱えて、此度犠牲になった者たちの冥福を祈っておるのだ」
自分たちが一揆を起こすように扇動して、大勢の人の命を危険に晒したのだ。
だがそれらは全て、仏の教えを守り抜いただけだと開き直っている。
ここに来るまでは民衆を煽った理由を聞いて、双方が歩み寄って和睦を行うつもりだった。
しかし今の私は完全に怒り心頭であり、そのことをすっかり忘れていた。
「先程から聞いておるが、そなたは失礼が過ぎる。
噂では自らを稲荷大明神様の化身だと語り、仏の教えを蔑ろにしているとか」
証如は私を諭すように言葉を重ねるが、今の自分には馬の耳に念仏だ。
「そのような悪行ばかりでは、死後は地獄行きぞ」
周りの者も完全に舐め腐っていて、小馬鹿にしたような表情でこちらを見ていた。
「民たちはそなたに加担して、悪行を積み重ねておる。
ゆえに良心の呵責に耐えきれずに尾張全土で一揆を起こし、仏の教えに殉じる道を選んだのだ」
この言葉で私の中の何かが、プツンとキレた気がした。
「たとえ逝ったとしても、仏の教えに従ったのだ。信心深い民ならば、死ねば極楽よ」
自分は今まで大勢の人を殺してきたし、尾張の民にも少なくない死傷者を出している。
美濃攻めだけでなく、他の戦や一揆だったりといろいろだ。
しかしそれら全てを、稲荷神様の命令だから仕方ないの一言で片付けるつもりはなかった。
ついでに、南無阿弥陀仏と唱える気もない。
これまでの犠牲が無駄でなかったことを証明するために、天下を統一して戦乱の世を終わらせる。
そのために今も、必死に足掻いているのだ。
何とか怒りを押さえていた私は、先程の一言でとうとう許容量を越えた。
なので彼らへの憎しみが、口から外へと溢れ出てしまう。
「……ちろ」
「何だと?」
よく聞こえなかったのか、証如が尋ねてくる。
だったら聞かせてやるとばかりに、私は大きく息を吸ってから堂々と口に出した。
「地獄に堕ちろ! 生臭坊主共が!」
周りの僧たちが一瞬唖然としたが、すぐに顔を赤くして反論してくる。
「何という暴言を吐くのじゃ! 仏罰が下るぞ!」
だが私も、こうなってしまえばもう止まらない。
そもそも止めるつもりはないのだが、売り言葉に買い言葉で怒りの感情を爆発させて、大声で叫んだ。
「望むところよ! 私は稲荷大明神様の化身なのよ!
仏罰を下せるものなら、下してみなさい!」
この一言で、大坂本願寺を敵に回したのは間違いない。
しかしその代わり、私はとても清々しい気分だ。
そして和睦の道を自ら閉ざしたことで、この場に留まる意味もなくなった。
「失礼するわ!」
何ともスッキリした私は、素早く円座から立ち上がった。
そのまま足音を響かせながら、部屋の外へと大股で歩いて出て行く。
あまりにも横暴な態度と怒号に驚いたのか、誰も声をかけなかった。
急ぎ足で廊下を歩いて大坂本願寺の外に出て、正門の前で待機している林さんと銀子と合流する。
詳しい説明は後回しにして、敵地から早急に立ち去りたかった。
ここまで関係が悪化したら、もはや二度と面会はできない。
なので今は比較的安全な京の都の伏見稲荷大社に、逃げ帰るのだった。




