母
尾張の各地で同時多発的に起きた一揆は、多少の損害は出たものの、すぐに自然鎮火した。
残り一割未満の極少数で抵抗を続ける村民たちだったが、私が単独で突っ込んで手加減して暴れ回り、鉄拳制裁を行った。
雑賀衆という集団が少し面倒だったが、それでも五十歩百歩なので、割とあっさり鎮圧に至る。
最終的には私に忠誠を誓ってくれたし、終わり良ければ全て良しである。
たとえ古くから根を張る本願寺派の追求を避けるために、尾張全土で一揆を起こしたとしてもだ。
ちなみに彼らの言い分としては、俺たちも頑張ったんですけど、美穂様が強すぎて勝てませんでしたと、被害を出さずに上司に言い訳をするようなものだった。
それと並行して、神輿として担がれた織田信行や家臣の戦後処理を、弟の信長に丸投げすることにした。
彼は何だかんだで身内に甘いし、私も最初から罪には問わないと宣言しているので、次はないわよと忠告するだけに留めた。
当主を裏切った者として世間の風当たりは強く、今後は出世に響くだろうが、きっとこれが彼らへの罰だ。
だがそれはそれとして、少々面倒なことが起きてしまう。
長年交流を絶ってきた母から、呼び出しを受けたのだ。
尾張では自分が一番権力を持っていて偉い立場である。
しかし、生みの親を無下にはできないのはいつの世も同じだ。
幼少期はともかく、今は互いに疎遠だったこともあり、何故このタイミングでと厄介事の予感をヒシヒシと感じる。
だがまだ、何か言われたわけではない。
ひょっとしたら、この機会に仲直りできるかも知れない。
それでも尾張の最高権力者が軽々しく顎で使われるわけにもいかず、那古野城下町の武家屋敷に逆に母を呼び出すことになった。
今の自分は気軽に出歩ける立場ではないので、仕方ない措置であった。
少し時は流れて、天文二十年の秋の終わりになった。
護衛や側近が邪魔にならない位置で静かに控える中で、私と母は向かい合って座布団に腰を下ろした。
綿花の生産が順調なおかげで、煎餅の厚さでも気軽に使えるのは良いことだ。
「美穂は大きくなりましたね」
「ええ、私も昔と違って成長したわ」
当たり障りのない発言なのに、何故か空気が重い。
弟の信長や林さんも静かに座っているが、きっと表情を微妙に引きつらせていることだろう。
「しかし実の母を呼び出すなんて、美穂も出世しましたね」
この発言は褒めているように見えて、多分遠回しな嫌味だ。
なので、負けず嫌いの私は反射的に口答えしてしまう。
「直接会って話がしたいと言ったのは、お母様でしょう?
だったらせめて、織田家当主の指示には従ってもらわないと」
実の母を無視するのも心苦しいし、仲直りできる可能性も無きにしもあらずだ。
なので相変わらず多忙だが何とか時間を作り、こうして面会している。
ほんの少しでも良いので理解して欲しかったが、少し話しただけで彼女は昔と変わっていないことに気づいて、この後の展開も容易に察せてしまった。
「とにかく、仕事が山積みなの。
用件は手短にお願いするわ」
何だか早くも疲れてきたので、大きな溜息を吐いてしまう。
「母は、美穂の教育を間違えました。
まさか、ここまで思いやりのない娘に育つなんて」
確かに自分が思いやりがなく、酷いこともたくさんしてきた。
三歳頃にやらかしたせいで母とは疎遠になり、武家屋敷の使用人に面倒を見てもらっていた。
そう考えると、実際に教育された記憶は殆どなかった。
「私はお母様に育てられた覚えはないわよ」
「まあ! 実の母に向かって、良くそんな口が聞けたものですね!」
彼女は顔を赤くして怒鳴ってくるが、私は売り言葉に買い言葉な性格である。
それに戦国時代ではもう成人しているので、いつまでも子供扱いしないで欲しいと、すぐに反論する。
「私も信長も使用人任せだったじゃない!
しかも、顔を合わせれば説教ばかり! 育児放棄も甚だしいわ!」
まさか真正面から口答えしてくるとは思わなかったのか、母は明らかに狼狽えていた。
確かに今までは、口答えはせずに避けてばかりだった。
「そっ、……それは! 美穂たちのためを思って!」
動揺する彼女に、さらに言葉を重ねる。
「褒められずに叱られてばかりな子供が、親を敬うわけないでしょうが!
逆に性格が歪むわよ!」
私はいつも叱られてばかりだったが、根っこの部分は稲荷神様に固定されていた。
おかげで、性格が歪むことはなかった。
だがそれを彼女に言ったところで、きっと馬の耳に念仏だ。
「だっ、黙らっしゃい! 美穂はともかく! 信長は立派に育ったではありませんか!」
確かに彼女の言う通り、弟の信長は姉とは違い、武勇と知略に優れた立派な戦国武将だ。
しかし意見した母には残念なことだが、異議ありと反論させてもらう。
「信長を育てたのはお母様ではないわ! 私よ!」
「なっ、なんですって!?」
母は信行を可愛がるのに忙しかった。
それゆえに、信長は私と同じく放置状態になり、小さい頃からいつも一緒にすごようになったのだ。
そのせいで性格が若干シスコン気味になったが、姉が絡まなければかなりまともである。
だがそれは今はどうでも良いので、私は大きな溜息を吐いた。
「……そろそろ、用件に移ってくれないかしら?」
もはや言葉のキャッチボールではなく、豪速球をぶつけ合うドッジボールをしている気分だった。
「くっ……本当に、親を親とも思わない非情な娘ですね!」
悔しそうに唇を噛む母だが、私はそれを冷たく見つめていた。
「私は敬うべき人は、相応の態度で接するわ」
実際に父親や他国の大名には、猫を被って接していた。
まあすぐに剥がれるが、それはそれとしてである。
「でも、母親だからって無条件に従う気はないわ」
目の前の母は、とても驚いた表情をしていた。
「母を敬う気はないと?」
自分は幼い頃に、他人の命を救うために正体不明の力を使って気味悪がられている。
母はそんな私を嫌っていたが、今は都合良く利用しようとしているのは明らかだ。
「これまでの過去の行動を振り返って、自分の胸に聞いてみたら?」
正直に言えば、どっちもどっちである。
自分が絶対的に正しいとは言えないが、かと言って無条件に従う気もない。
私は大きな溜息を吐いて、多少強引でも話を先に進めようと、気持ちを切り替えるのだった。




