手加減
天文二十年の秋、於多井川から程近い平野での合戦中に、私と柴田勝家は三メートルほどの距離を保ったまま、互いに構えて隙を伺っていた。
その間は両陣営の全ての者が動きを止めて、一騎討ちの結末を固唾を呑んで見守ることになった。
ちなみに亀仙流の構えを取った私は、長槍を向けた柴田勝家を前に、どうにも攻めあぐねていた。
(困ったわ。全然隙がない)
今まで数々の強者と戦ってきたので、ある程度の経験は積んできた。
だがそれは、相手の射程外から高速の投石で倒すか、正面からやり合っても私を女だと見下し、強者ゆえの余裕や慢心によって舐めてかかる。
もしくは逆に、恐怖に身を震わせてろくな抵抗もできなかった。
なので自分はその隙を突いて、苦戦することなく一撃で仕留めることができたのだ。
しかし、柴田勝家は違った。
彼は油断も慢心もしておらず、格上である私に勝つために全力を尽くしている。
まだ打ち合ってさえいないが、身に纏う気迫で理解できてしまった。
「美穂様! 来られぬでござるか!」
柴田氏から声がかかるが、私は元々頭が良くないうえに、格闘技を習っていない自己流だ。
彼のような者とはまだ戦ったことがないが、考えても仕方ない。
そこで、いつも通りに行き当たりばったりで対処することにした。
ようは相手の挑発に乗って、一直線に突撃したのだ。
「受けなさい!」
私は目測で三メートルの距離を、一瞬で詰める。
そして長槍を構えた姿勢で驚いた表情を浮かべる柴田勝家の顎を狙い、下から上へと振り抜くように高速で拳を繰り出した。
「……あら?」
だが柴田勝家は、こちらの攻撃を咄嗟に身を引いて避けた。
しかも後方に下がりつつ、長槍で私の足元を刈り取ろうとしてきたのだ。
「もらったでござる!」
別に直撃しても痛くはないが、衝撃でバランスが崩れて転倒するかも知れないし、衣服や草履が傷つく。
それに私はプロレスのようにあえて、相手の攻撃をあえて受ける気はない。
なので最低限の動きで、軽く後方に跳躍して避けた。
「危なっ!」
結果的に、再び互いの距離が開き、構えて隙を窺う展開に戻る。
「私の一撃を避けたのは、貴方が初めてよ」
「それは光栄でござるな!」
不敵な笑みを浮かべる彼は、確かに強かった。
だが、稲荷神様の御加護を受けた私はそれ以上のはずだ。
しかし何故か攻撃を避けられて、反撃までもらってしまった。
その原因を足りない頭でしばし考えて、やがて一つの推測を導き出した。
(きっと攻撃が単純だったのね)
真っすぐ行って右ストレートでぶっ飛ばす。ぶっちゃけ、そういった脳筋ゴリ押ししかできないのが私である。
相手からすれば、攻撃の軌道を予想するのは容易だろう。
それでも一撃で勝利し続けてこられたのは、相手の油断や恐怖、または初見の高速戦闘に対処しきれなかったからだ。
しかし、柴田勝家は違った。
自分は武道を習っていないので、達人の技など知らない。
さらに敵の誘いには簡単に引っかかるし、行動予想も容易だ。
彼は林氏のような油断はしておらず、初見殺しの高速戦闘も見ていて、ギリギリでも対処を可能にしている。
そして柴田勝家も、私が不利だと理解したのか堂々と宣言した。
「美穂様! 勝敗は明らかゆえ、降参したほうが良いでござるぞ!」
彼は私を傷つけたくないので、降参するようにと忠告してくれたのだろう。
しかし自分は、それが何だとばかりに不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「いいえ、降参するのは柴田勝家! 貴方のほうよ!」
できれば、この手は使いたくなかった。
しかし現状の私がどのような攻撃を繰り出しても、彼には紙一重で避けられてしまうだろう。
体力切れを待っても良いが、尾張全土で一揆が起きている以上、時間的な余裕はあまりなかった。
なので私は構えを解いて姿勢を正し、深呼吸をしてから大声を出した。
「八門遁甲を開くわ!」
「はっ、八門遁甲でござるか!?」
柴田氏だけでなく、周りで見守っている両陣営まで動揺が広がる。
それでも私は、構わず説明を続ける。
「安心しなさい。開くのは一門だけよ」
周囲の誰もが全く理解できないのか、明らかに困惑しているのがわかる。
なお、実際に喋っている私も上手く説明できない。
相変わらずの行き当たりばったりなので、ある意味当然である。
「八門遁甲! ……開!」
取りあえず言ったもん勝ちだとばかりに。堂々と声を出した。
だが、それで何かが起きるわけではない。
白い煙が立ち上ったり、何だが良くわからない気を纏ってシュインシュイン音はしないのだ。
それでも何か凄いことをしていると、周りが錯覚するので一応宣言した形になる。
しかし、あまりにも硬直状態が長く続くと、私が羞恥心に耐えられなくなる。
なので、この技に時間制限は別にないが、もはや一刻の猶予もなかった。
「行くわよ!」
私は柴田勝家に、先程と同じように馬鹿正直に突撃した。
「はっ、速い!」
だが、攻撃の速度が先程よりも明らかに上がっているのだ。
「遅いわ!」
驚愕に顔を歪める柴田勝家に肉薄した私は、真正面に掌底を繰り出して、触れる直前でピタリと止める。
いわゆる寸止めであり、彼の腹部に直接ダメージを与えてはいない。
だが、それで問題はなかった。
ようは攻撃に移る瞬間を悟られても、避けられない技を叩き込めば良いのだ。
威力は速さと重量で決まるし、布団を打ち抜く修行もやっていないが、漫画に出てくる古武術の再現は、御加護のゴリ押しで可能になるのだ。
「受けなさい! 虎ほ──」
つい漫画の技名を叫びそうになったが、これ以上黒歴史を生み出すの不味いとギリギリで思い留まる。
しかし彼が、一子相伝の格闘術を受けたことに変わりはなかった。
柴田勝家は鎧に拳の跡をくっきりと残して、大きく吹き飛ばされたのだ。
「ぐわっ! ……ぐふうっ!?」
ちなみに八門遁甲を開くと言ったが、それは手加減をほんの少し緩和しただけだ。
もし私が抑制していなければ、日常生活は不便極まりなかっただろう。
何しろ普通に接触するだけで物が壊れたり、人が死にかねない力を常時出せてしまうのだ。
(やっぱり人に向けて振るうには、危険すぎる力だわ。これは一生禁酒ね)
伊賀国で酒を飲まされたせいで、手加減して小石を投げても正門を突き破ったことを思い出した。
そして今は、柴田勝家を大きく吹き飛ばした。
さらに、十メートル近くも地面を転がったのだ。
その後はうつ伏せに倒れたまま、ピクリとも動かない。
だが苦しそうに呼吸しているので、息があるのはわかった。
しかし、何はともあれ一騎討ちの勝敗は決した。
私は倒れたままの彼に近づき、呼吸がしやすいように仰向けにする。
そして柴田勝家が落とした長槍を回収して、それを天に掲げて堂々と勝鬨をあげた。
「柴田勝家は、この織田美穂が討ち取ったわ!」
「「「うおおおお!!!」」」
こっちの陣営は、沸きに沸いている。
空気を震わせる程の大歓声で伝えられる。
だが信行軍は、まるで通夜のように顔を青くして静まり返っていた。
しかし、たとえ弟が神輿として担がれただけだとしても、主を討ち取らなければ戦は終わらない。
私は信行が居ると思われる敵陣を見据えて、次はお前だとばかりに長槍の穂先を向けるのだった。




