反乱
天文二十年の夏に、大勢の前で啖呵を切った後に、せめて事前に言ってくれと信長に注意された。
しかし、私が行き当たりばったりで行動するのは今に始まったことではないし、尾張を統一しないと天下には届かないことは弟も知っている。
なので彼はすぐに大きな溜息を吐いた。
愚痴りながらも仕方ないと諦めて、来たるべき戦のために段取りを整えるのだった。
時は流れて、天文二十年の秋になった。
私は那古野城の大広間、その一段高い木床に座布団を敷いて、どっしりと構えていた。
そろそろ時間なのでぐるりと周りを見回すと、家臣が何人か抜けていることに気づいた。
「……ふむ」
私は口元に手を当てて、一体誰が居ないのかと思案した。
すると隣に座っている弟が、思いつくより先に答えてくれた。
「織田信行と、その家臣の姿が見えぬようじゃ」
それ以外の親族や家臣たちは皆、那古野城に馳せ参じて平伏している。
取りあえず尾張の者の殆どが、私の指揮下に入ることが確定となったのは良いことだ。
しかし、信長が口にした者は違う。
「神輿にされたのかしら?」
織田信行が、自らの意思で反抗するとは思えない。
なのできっと、誰かに担がれたのだと考える。
「本来の跡継ぎは儂じゃ。しかし、姉上の補佐役をしておる。
ならば、別の候補者を担ぐしかあるまい。
その点、信行は根が真面目じゃからな」
父である織田信秀と正室の血を継いでいるのが、弟の信行だ。
他にも神輿はあるだろうが、彼は家臣に頼られれば嫌とは言えない。
母や部下に大層甘やかされて育ったようで、割と流されやすい性格のようだ。
「一つにまとまってくれたほうが、叩きやすくて助かるわ」
「はぁ、姉上は相変わらずじゃのう」
弟が呆れているが、私は脳筋ゴリ押ししかできない。
それに、反逆しても罪には問わない宣言したのだ。
大なり小なり不満を抱えている家臣や親族は、こぞって信行を担ぎ上げるのも当然である。
もし戦になっても手加減して殺さないようにはするが、きちんとお灸を据える必要がある。
「彼らが稲荷神様の化身を忘れたと言うなら、今一度思い出させるまでよ」
私が戦場に出ることは殆どないし、一年も留守にしていたのだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れると言うが、元々男性が主役の時代である。
女性の身で織田家の当主を継ぐのは身の程知らずだと、馬鹿にする者も出てくるだろう。
しかし、それでも私は当主になる道を選んだ。
弟や親族、家臣や大多数の尾張の民も支持してくれた。
何より、もう織田家を率いる立場になったのだ。
今さら嫌だと言えないし、天下を統一するまで歩みを止めるつもりもなかった。
なので私は口元に手を当てて、信長に尋ねる。
「信行は、末森城に居るのかしら?」
「忍びの報告では、そのようじゃ」
今年亡くなった父の織田信秀の居城である。
私は昔から慣れ親しんでる那古野城のほうが落ち着くため、信行に任せていた。
そして覚悟は決まった。あとは元凶を叩くまでと、内心で気合を入れる。
私はもう一度、この場に集った者たちを視界に収めて、そろそろ出発しようと腰を上げようとする。
だがその瞬間、一人の兵士が慌てた様子で大広間に駆け込んできた。
「美穂様! 一大事でございます!」
「一大事? それは信行が反旗を翻したことかしら?」
末森城で守りを固めるのではなく、打って出ることで反旗を翻したと証明したのだ。
少なくとも、私はそう思った。
「そっ、それもあります!」
だが息を切らした兵士の説明はまだ終わっておらず、すぐに続きを口にする。
「尾張全土で、一揆が起きてございます!」
「……うわぁ」
それを聞いた私は、苦虫を噛み潰したような表情になる。
だが気を取り直して、補佐役の弟に視線を向けた。
「何故今になって、一揆が起きたのかしら?」
これには弟も困ったような顔になったが、すぐに答えを導き出した。
「恐らくだが、本願寺派が煽動したのであろう」
本願寺派は尾張に深く根を張っている宗教の一つだ。
だが別に悪政を敷いているわけではないのに、何故今になって一揆を起こすのかが、わからなかった。
「どうして煽動を?」
これには信長も予想済みとばかりに、堂々と答えを口に出した。
「姉上が邪魔だからに決まっておろう」
そして彼は、さらに続ける。
「美穂協同組合は、確かに民の生活を豊かにした。
だがその代わりに、寺院や特権階級の利権を奪っておる」
納得の理由であったが、信長の説明はまだ終わっていなかった。
「それに神輿を担いで秋に一戦交えるのは、ほぼ確定しておった。
奴らにすれば、一揆を起こす千載一遇の好機に見えたのじゃろう」
確かに秋の収穫が終わった後と公言したし、こっちも反乱が起きるのは予想していた。
当然戦には備えていたが、まさか一揆も同時に起きるのは想定外だ。
幸いなのは、同盟を結んでいる周辺諸国が静観してくれたことだ。
もし仲が悪かったら、絶対に領地を切り取りに介入してきたはずである。
「それで、どうするのじゃ?」
弟が尋ねてきたので、私は堂々と答えを口に出す。
「当然、信行派と一揆の両方をぶっ飛ばすわ」
「さもありなん」
信長も返答はわかっていたらしく、特に驚きもせずに受け止める。
「むしろ浄土真宗を潰す口実ができたわ。
感謝したいぐらいよ」
前から寺院のくせにやけに力を持っているので、改革の邪魔だと感じていた。
ならば状況証拠を突きつけたり一揆を鎮圧して、ここぞとばかりに力を削ぐ良い機会である。
「しかし姉上、大坂本願寺が黙っておらぬぞ」
「その時はその時に考えるわ」
完全に開き直った私は、浄土真宗に制裁を加える気満々だ。
中には善良な者もいるのでそれは例外として、少なくとも民を扇動したり苦しめる神仏はこの世に必要ない。
大坂本願寺がなんぼのもんじゃいと言いたいが、もし強大な勢力なら困るので、取りあえず一揆を鎮圧してから考えることにした。
とにかく、信長は苦笑していても姉を止める気はないようだ。
それは、この場に集った家臣たちも同じだった。
これこそが織田美穂であり、仕えるべき当主だと良くわかっていた。
「まずは統率の取れた信行派を叩いてから、一揆を鎮圧するわよ!
両方一度は対処が面倒だわ!」
不測の事態や被害を抑えるためにも、戦力を分散させるのは避けたかった。
「対処はできるのじゃな」
弟の質問に答えるために、すぐに口を開く。
「確実に勝てるけど、私の体は一つしかないのよ。
あっちこっちに出向くのは面倒なのよ」
とにかくやることが決まったので、流れに乗った私は堂々と宣言した。
「稲荷大明神の加護ぞありよ! 皆の者! いざ出陣!」
「「「おおー!!!」」」
座布団から立ち上がる私に続いて、弟や家臣たちも大声をあげた。
その際に、万が一の備えとして那古野城に守備隊を残しておく。
あとは各地で発生した一揆を私が鎮圧するまで、命を大事にしつつ時間を稼いでもらう。
念の為に駄目で元々だが、今すぐ降伏すれば許すと稲荷大明神様の化身が公言していたと、尾張に広めておくようにと命令を出した。
そして、一通りの準備を整えた私と信長は、信行派が居る末森城に、兵士二千で進軍を開始する。
何しろ、大軍を動かすには銭がかかるのだ。
弟と裏切った家臣の人数から考えて、たとえ真正面からぶつかったとしても十分勝てると信長は判断した。
戦国時代は銭や米、人材を持っている国が強いのだから、無駄に浪費するのは好ましくない。
なので私が素肌よりも脆い鎧はつけずに、武家の娘の普段着のまま戦場に向かうのは、何もおかしくはないのであった。




