丹前と布団
天文十九年の冬、堅田の武家屋敷で尾張が日本で一番栄えていることを示すために、林さんと銀子に指示を出して、外の手勢と一緒に色とりどりの葛籠を運んでもらった。
そして大広間に持ってきて、床の上に順番に並べていく。
「織田家からの献上品よ。受け取ってくれるかしら?」
自信満々に足利氏に告げる。
「うっ、うむ、確認しよう」
若干キレて素に戻ったが、目上の者なので頭だけは丁寧に下げた。
すると今代の征夷大将軍は家臣に命じて、たった今運び込んだばかりの葛籠の蓋を開けさせた。
「こっ、これは!?」
手近な葛籠の中を覗き込んだ家臣が、驚きの声をあげた。
「如何した!?」
周りの者たちも、興味津々な表情へと変わる。
そして彼は征夷大将軍のほうに顔を向けて、恐る恐る口を開いた。
「いっ、いえ、これまで見たことのない物ばかりでございます。
ゆえに、某では何が何やらわかりませぬ」
これには大広間の者たちは皆一様に、呆れ顔に変わって思わずズッコケそうになった。
なので今度は別の家臣が席を立ち、葛籠の中身を確認した。
だが、一目見ては首を振ってしまう。
ようは、品物がわからないのでお手上げということだ。
足利氏も埒が明かないと感じたのか無言で私に視線を向けたため、コホンと咳払いをする。
「よろしければ、私が説明しても?」
「頼む」
許可が出たので、私は運び込まれた葛籠の前に静かに移動する。
そこで大広間の者に見えるように銀子や林さんに中身を外に出してもらい、わかりやすく広げた状態で説明を始めた。
「こちらは、冬用の防寒具一式よ」
「……見たことのない服だな」
足利氏や周りの者が興味を示した。
なので私は小さく頷き、すぐに解説を行う。
「中に木綿が入っているわ。普通の服よりも軽く、柔らかで温かいわ」
こういうのは実際に使ってみるのが一番なので、大広間の者たちをぐるっと見回す。
「誰か、丹前を着てみる人は居ないかしら?」
先程まではあまり良い雰囲気ではなかったし、何より初めて見る服だ。
そんな物を着るなど御免だと顔に出ていたので、どうしたものかと小さく息を吐く。
「ならば、我が着よう」
「将軍様!?」
「たかが服だ。何も起こらぬ」
家臣たちが動揺する中で、彼は迷いなくそう言い切った。
「美穂殿、着付けを頼めるか?」
しかしこれには私のほうが驚き、わざわざ着付け人を指定する意味がわからない。
「着付けは銀子のほうが上手いわよ」
「美穂殿に頼みたいのだ」
征夷大将軍に失礼があっては不味い。
着付けは、そういった仕事に慣れている銀子に任せるつもりだった。
「まあ、別に良いけど」
流石に二度も頼まれて断るのも何なので、私は諦めて受けることにした。
未来の日本ではドテラのほうが馴染み深い丹前を持ち、言われた通りに足利義輝の元へと向かう。
周りの家臣たちが刀に手をかけているが、そんな物では私は殺れないので、全く気にせず丁寧に着付けをしていく。
「……こんなものかしら?」
元々、普段着の上から羽織れるようになっている。
元女子高生の時にも着用していた経験もあるため、着付けはすぐに終わった。
すると征夷大将軍は立ち上がって、自分の体を様々な角度から観察しだした。
「ほほう、これは確かに温かい! それに軽くて着心地も良いな!」
足利氏は嬉しそうな表情になり、子供のようにはしゃいでいるのがわかる。
「どうだ? 似合うか?」
「ええ、良くお似合いよ」
未来でも日本人が着用しているので、私から見ても違和感は全くない。
社交辞令のように聞こえるだろうが、彼には本当によく似合っていた。
「この丹前をかけて寝れば、冬の夜も温かいであろうな」
無邪気に喜んでいた彼の姿を見て、私はあることを思い出した。
そのせいで何となく申し訳なくなり、おずおずと口を開いた。
「あの、将軍様」
「何だ?」
彼がこちらに顔を向けて声をかけてきたので、続きを話した。
「実は、寝具は別に用意してあるの」
「えっ?」
私はそう告げると、別の葛籠を出すようにと指示する。
すぐに林さんと銀子が煎餅布団を取り出して、それを大広間の床に丁寧に広げていく。
一通りの準備が終わったところで、呼吸を整えて説明を始める。
「敷布団と掛け布団よ。夜はこの中に入って眠るの」
「なっ、……何と!?」
征夷大将軍は、二の句がつげないようだ。
それに他の家臣たちも、初めて見る布団に唖然としている。
「試してみる?」
「無論だ!」
いつの間にかノリノリの足利氏に、私は手取り足取りで布団の使い方を教えた。
未来の日本と比べれば、縫い目が荒い煎餅布団だ。それに枕もセットだが、こちらはそば殻を再利用している。
だが、着物をかけるよりは温かくて快適に眠れるのは間違いない。
そして。実際に征夷大将軍が試す段階になった。
彼は丹前を脱いで敷布団の上に寝転がり、私がそこに掛け布団を優しくかけていく。
「……どうかしら?」
しばらく経った後に声をかけても、返事はなかった。
不安になった私は、もう一度口を開く。
「あの、将軍様?」
周りの者たちも一体何が起きたのかと困惑して、不安が広がり始めた。
慌てた私はあることに気づき、慌てて彼の顔を近づけて耳を済ませる。
「……寝てるわ」
「「「えっ?」」」
着物をかけるよりも快適なのは間違いない。
それでも普通は、心身共に安らいでいないと眠れないはずだ。
興奮や緊張状態では目が冴えたり、少しの物音でもすぐに起きてしまう。
「初めて体験した布団が、快適すぎたのかしら?」
大声は出していない、全然反応しないので熟睡しているのは間違いない。
良く眠れるのは良いことだが、これからどうしたものかと頭を悩ませると、銀子が私に声をかけてきた。
「あの、美穂様」
何のこっちゃと彼女を見つめて、おもむろに尋ねる。
「何かしら?」
「いっ……いえ、何でもありません」
彼女は何かを言いかけたが、露骨に視線をそらした。
さらに林さんや尾張の者、そして征夷大将軍の家臣たちも、何とも言い辛い表情で私を見ている。
「言いたいことでもあるの?」
しかしこの件については、何故か誰も口を開かなかった。
そして、このままでは時間が過ぎるだけで埒が明かない。
ついでに、足利氏はせっかく熟睡しているのだ。起こすのは申し訳ないし、寝起きは不機嫌になりやすい。
なので私は、他の葛籠の説明は別室で行うことを提案するのだった。




