三好長慶
天文十九年の冬に京の都に戻った私は、足利義輝と三好長慶の和睦を実現するべく、とにかく情報を集めるように織田忍軍に命じた。
それから数日が経った。
伏見稲荷大社の一室で愛用の座布団に座る私の前に、天井から銀子が音もなく降り立つ。
そして恭しく一礼し、報告を始めた。
「京の都は大樹ではなく、三好長慶が政権を握っています」
銀子には伏見稲荷大社が用意した座布団に座らせて、私は口元に手を当てて思案する。
この情報は前にも聞いたので、やはりそうなのかと納得して口を開く。
「治安維持をしてくれるから、ありがたいと言うべきかしら?」
「京の都は、日の本の国の中心でございます。粗末には扱えません」
未来の日本の首都は東京だ。しかし、戦国時代は京の都なのだ。
それに将軍が居なくとも、朝廷は健在である。蔑ろになど、できるはずがなかった。
「それで、三好長慶は何処に居るの? やはり京の都かしら?」
京の都を押さえているので、そこに留まって全国に覇を唱えてもおかしくはない。
「いえ、今は摂津国の越水城に居るようです」
コシミズと聞いて、パラシュート降下が得意なボクっ娘アイドルを思い出した。
しかしそんなことは関係ないので、気持ちを切り替えて銀子に先を促す。
「そして、細川氏綱も三好政権に協力しているとのことです」
「細川氏綱?」
聞いたことのない名前に、私は首を傾げる。
「征夷大将軍に次ぐ役職、管領の一人でございます」
ようは幕臣の筆頭で、戦いではなく内政に特化した役職だ。
なお私は頭が悪いので、情報量が増えると迷走しかねないため、京の都を支配している三好長慶のみに集中して、他は一旦置いておこうと判断する。
「それで、三好長慶には会えそうかしら?」
これが一番の問題なので、すぐに銀子に尋ねる。
「既に先触れを出しております。
今代の征夷大将軍様から、直々の和睦の誘いだと知れば無視はできぬかと」
銀子は付き合いが長くて忍びの中でも優秀であり、もはや阿吽の呼吸だった。
私の思考は単純明快なので、特別読みやすいのもあるが、それはそれである。
「流石は銀子ね。仕事が早いわ」
「お褒めいただき、光栄でございます」
そしてこれからどうするかだが、個人的には面倒はさっさと終わらせて尾張に帰りたい。
なので、早期に出発するつもりだ。
ちなみに三好長慶は、現在の京の都の実質的支配者であり、畿内と阿波国も統治している。
日の本の国を代表する戦国大名を、あまり刺激するのはよろしくない。
そこで今回も、手勢百名を留守番として残す。
またもや私と林さんと銀子の三人のみで、交渉に挑むことに決めたのだった。
天文十九年の冬、場所は摂津国の越水城である。
私たちは、そこの大広間に通されることになった。
相手は畿内と阿波国を統治している大名、三好長慶だ。
自分が殴り込みをかければ別だが、普通に戦をしたら尾張では逆立ちしても勝ち目がない程の国力を有している。
なので、対面した瞬間から猫を被る。
「尾張の織田信秀の長女、織田美穂と申します」
円座に腰を下ろして、深々と礼をする。
「うむ、遠路はるばるよく来たな。
既に知っておろうが、俺が三好長慶である」
正面の三好長慶だけでなく周りの家臣たちも、私たち三人に注目しているのがわかる。
思えば自分は、少数精鋭で敵地に突撃してばかりであった。
しかしそこで何が起ころうと、無傷で生還できるのは私ぐらいだ。
こういった危険度の高い任務に慣れてしまうのも、仕方ないことと言える。
それはともかくとして、三好長慶は私を射抜くような視線を向けたまま、おもむろに口を開いた。
「大樹様の使者として、和睦を成すために参ったと聞いている。……相違ないか?」
「その通りでございます」
頭を下げてばかりだが、立場的には相手の方が上なのだ。
根っこが元女子高生な私には、武士の誇りや誉れは殆ど持っていないので、特に抵抗はなかった。
ちなみに三好長慶が書状を読む前に、重臣が一通り目を通している。
その際に、足利義輝の花押も確認して、間違いないと頷いていた。
「しかし、あの足利義輝様が和睦をのう」
三十目前のおじさんが、顎髭を弄りながら呟いた。
しかし改めて見ても、戦国大名は若い人が多い。長生きが難しい環境だからだろうが、何とも世知辛い世の中だと感じる。
やがてもう一度私を真っ直ぐに見つめて、彼は口を開く。
「この和睦、罠ではあるまいな」
「本当でございます」
和睦の使者としてはこう言うしかないので、間髪入れずに言葉を重ねる。
「確かに書状は正式な物だが、……しかしのう」
だが私が本当だと主張しても、三好長慶には判断がつかないようだった。
確かに今までの関係を考えれば、慎重になるのも無理もない話である。
しかし、足利義輝が和睦を命じたのは事実なのだ。
ここで失敗するわけにはいかないと考えた私は、彼に単刀直入に尋ねてみた。
「三好様は、和睦を結ぶ気はないのですか?」
この質問を聞いた彼は、ふむうと唸ってしばし思案する。
「……和睦はこちらも望むところだ。それでも、懸念は残されておる」
顎髭を弄りながら、三好氏はそう返答した。
「懸念の内容って、何かしら?」
うっかり素が出てキョトンと首を傾げる姿を目撃され、三好氏と家臣たちが一瞬ブフッと吹き出していた。
しかし、彼らは慌てて真面目な顔つきに戻る。
そして当主が、懸念について詳しく聞かせてくれた。
「懸念とは、細川晴元だ」
「えっ……ええと」
私が困っているのが伝わったのか、背後に控えている銀子が耳元に口を寄せて、小声で教えてくれた。
「今代の将軍様を庇護している、管領の名です」
助け舟を出してくれた情報に詳しい銀子に、小声でお礼を言う。
その後、私は足りない頭を捻って現状を整理していった。
まず最初に、三好は細川氏綱。
足利は細川晴元。それぞれ別の管領が就いている。
それで彼は、征夷大将軍を庇護している者が懸念材料だと言う。
ここまで考えた私は、三好氏の発言を大凡だが理解した。
「つまり三好様は、細川晴元様が邪魔だと?」
「そうとも言えるな」
はっきり、そうだと宣言したようなものだ。
そしてその懸念材料がある限り、和睦には慎重な姿勢を取らざるを得ない。
私は任務の達成が困難になったことを自覚し、頭を抱えて天井を見上げる。
何か上手い解決策はないものかと、一生懸命考えた。
「林さん、何か良い案はない?」
「むう、すぐには思いつきませぬな」
林さんに小声で尋ねたが、やはりなかなか難しい問題のようだった。
ならばと、隣のくノ一に視線を向ける。
「銀子は?」
「暗殺するのが、手っ取り早いですね」
「なるべく殺したくはないわ」
確かに殺してしまえばあっさり片付くし、細川晴元に二度と煩わされることはなくなる。
それが一番簡単で手っ取り早いのはわかるし、戦国時代には珍しいことではない。
だがしかし、こういうことになると躊躇ってしまう私は、どうにも踏ん切りがつかなかった。
そんな自分を見かねたのか、林さんが横から口を出してくる。
「ですが美穂様。細川殿が生きている限り、懸念は残りますぞ」
林さんは、銀子の案に賛成のようだ。
私も、理屈としてはわかるのだ。
「始末するのが、手っ取り早いのはわかるわ。
状況によっては、暗殺もやむなしかも知れないけど──」
もしここで暗殺に動けば細川家の恨みを買い、三好と細川の権力争いに巻き込まれることになる。
私だけの責任で済めば良いが、十中八九で織田家や他の戦国大名にも飛び火するだろう。
「やっぱり、殺すのは最後の手段にしたいわ」
稲荷神様の御加護があれば、忍者のようにこっそり暗殺は難しいかも知れないが、要人を片付けるぐらい容易いことだ。
だがここで私は、相変わらず行き当たりばったりだが策を一つ思いついた。
それを説明するために姿勢を正して、深呼吸をするのだった。




