久松俊勝
松平広忠や家臣たちと一旦別れて別行動を取る。
私と竹千代は阿古居城の城主である久松俊勝ではなく、その妻に会うことになった。
思い立ったが吉日ですぐに出発したいところだが、留守や都合が悪かったら困る。
なので念の為に移動しながら先触れを出して、少し遅れての訪問となった。
そして久松俊勝は松平家に従っているが、織田家とも仲が良い。
どっちつかずに良い印象はないが、国境沿いの城を任されている。
なので両方と仲良くするのは、家を守るためだというのはわかった。
それはともかくとして、私は現代で言えば愛知県の阿久比町に向かったのだった。
天文十八年の秋が深まってきた頃、阿古居城からほど近い武家屋敷の一室のことだ。
私は、久松俊勝と対面していた。
「まさか、織田と松平が手を取り合う日が来るとは──」
彼は綺麗に整えられた庭を見ながら、感慨深そうに呟いた。
私も秋の紅葉が見事な景色を眺めて、口を開いた。
「織田と松平だけではないわ。
天下統一を成し遂げて、戦乱の世を終わらせるのよ」
嬉しそうな笑顔で頷く久松俊勝は、小競り合いの絶えない国境沿いの城を任されている。
だからこそ、戦の辛さを良く知っているのだ。
ちなみに竹千代だが、別室で母に会っている。
互いに積もる話もあるだろうし、せっかくの親子水入らずだ。
邪魔者である私は、頃合いを見てこっそりと退室させてもらった。
それはともかく彼は、先程の自分の言葉に対して返答してくる。
「しかし、戦がなくなれば困る者も出るでしょう」
久松俊勝は至って真面目な表情だが、私は首を傾げる。
「そうかしら? 私は困らないわよ」
「武士にとって、戦での活躍は誉れでございます。
何より、出世の近道ゆえ」
なるほどと、小さく頷く。
確かに今の世は、戦で活躍した者に多大な恩賞を与えられている。
力を誇示することで出世の道が開けたり、一国一城の主になれるのだ。
かつて美濃攻めは、手柄を立てる絶好の機会だと主張する家臣たちが暴走した結果だ。
ならば私が目指す天下泰平に不満を持つ者も、一定の数存在するのかも知れない。
そんなことを考えていると、彼はさらに言葉を続ける。
「武士だけでなく下々の者にとっても、立身出世や一国一城の主は憧れなのでございます」
確かに出世や褒美、良い暮らしがしたい気持ちはわかる。
だが私は、出世や名誉には興味がない。
「それでも農民は、平穏に暮らせるほうが良いと思うわ。
だから問題は、武士階級じゃないかしら?」
武士の誇りとは何ぞやという様子が伝わったのか、久松俊勝は明らかに苦笑していた。
「自分も武士なので、悪く言いたくはありませぬ。
ですが、美穂殿の申される通りでしょうな」
私は口元に手を当てて、ふむと考える。
今は戦で奪った領地を褒美として与えているので、平和になれば一発逆転の機会が消えてしまう。
さらには他国への侵略を禁止するため、新たな土地が増えなくなって八方塞がりと言える。
「平和になったら、大量の失業者が生まれそうね」
刀や槍で身を立てるつもりの武士は、梯子を外された形になるのだ。
「戦乱が終わるのを喜ぶ者が多い中で、歓迎せぬ者が出るのが世の常でございます」
戦の機会がなければ、武士は内政に務めるしかない。
だが戦いしか取り柄がない者には、とても生きにくい世の中だ。
しかし、そこでふと思った。
「でも、世の中から戦争は決してなくならないわ。
だから、戦える武士はやっぱり必要よ」
「しかし、戦乱の世は終わるのでは?」
言った先から尋ねられたので、久松俊勝の問いに、私は頷きながら返答する。
「確かに国内は平和になるわ」
私は使用人に紙と筆を用意してもらう。
そして大雑把だが、日本と周辺諸国の地図を描いていった。
「尾張がココで、蝦夷は関係ないけど、まあ良いでしょう。
ええと……日の本の国は、大体こんな感じかしら」
一筆書きでつらつらと描いていくが、昔と違って書類仕事を毎日こなしているので、筆の扱いも慣れたものだ。
「こうして見ると、小さく感じますな」
久松俊勝は興味深そうな表情で、現在加筆している隣国の明と見比べている。
「ちなみに明は大国だけど、世界の一部でしかないわ」
私は世界地図を描きながら、彼の顔を見ずに答えた。
「確かに海の果てには、南蛮もありますからな」
「それも、ほんの一握りに過ぎないわ」
現在、日本と交流している国はあまり多くないので、それだけで世界の全てを知った気になるのは早計だ。
そのまましばらく筆を走らせて、私は世界六大陸をかなり適当な一筆書きで描いたところで、まあ良いだろうと適当に切りをつけた。
そして一応完成した世界地図を、久松俊勝に見せる。
「これが全世界よ」
「こっ、ここまで広大でございますか!?」
日本は最初に示したので、彼は世界の広大さを理解したはずだ。
それを私は、小さく頷いて肯定した。
「井の中の蛙、大海を知らずよ。
でもいつか、誰もが世界の広大さを知ることになるわ」
だがそれは、今ではない。
まずは戦乱の世が終わらなければ、国外に目を向けられないのだ。
「つまり、外国に備えるために武士は必要ってことよ」
「確かにこうして見れば、小さな島国ですからな」
外の備えをするのは、天下統一した後になる。
とにかく現状でもやることが多すぎてヒーヒー言っているため、まずは目の前の仕事を一つずつ片付けていくしかない。
説明が終わったので、私は適当に書いた地図を丸めて片付けようとした。
すると久松俊勝が、慌ててそれを止める。
「お待ちを!」
「どうしたのかしら?」
「その世界地図を、私にいただけませんか!」
彼の申し出に、私は少しだけ考えて口を開く。
いくら簡略化した世界地図でも戦略を練る時に使えるし、もしこれが日本ではなく外国に渡ったら非常に不味いことになる。
「できれば処分したいんだけど」
「決して悪用はせぬと、誓いまする!」
ふむと考えて、即興の世界地図にもう一度視線を向ける。
四国や北海道は歪な四角という適当さ加減で、各大陸はもっと酷かった。
大雑把な場所と大きさが掴めれば良いだけの、何ちゃって世界地図だ。
詳細な世界地図は、織田家が厳重に保管している。
悪用しないと約束したし、こんな子供の落書きを渡したところで、大した問題はないだろう。
「良いわ。世界地図をあげましょう」
「ありがたき幸せに存じます!」
彼は私から恭しく世界地図を受け取り、とても嬉しそうだった。
そして用途が気になったので、興味本位で尋ねてみた。
「でも、その地図を何に使うのかしら?」
「我が家の家宝として、大切に保管致しまする!」
「……えっ?」
それっきり、私は何も言えなくなった。
子供の落書きレベルの世界地図を家宝にするのは、予想外だったからだ。
「この世に二つとない! 美穂殿が描かれた世界地図でございますぞ!」
「そりゃまあ、そうだけど」
彼が持っているのは、殆ど一筆書きで描いた適当な物だ。
そういう意味では、世界に一つだけなのは間違いなかった。
「もしよろしければ、地図の空欄にお名前をお書きいただけませぬか!」
「別に良いけど、……何だかなぁ」
結局言われるがままに、世界地図の海の部分に織田美穂の名前と今の年月を記入した。
本当にこんな落書きを家宝にするつもりなのかと、微妙な表情になってしまうのだった。
そして竹千代は、生き別れになった母と無事に再会を果たした。
久松家での夕餉の席では、これから定期的に手紙のやり取りをするそうだ。
そう満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに報告してくれた。
そんな彼を見ていると、骨を折ったかいがあったと嬉しくなる。
なので、自らの黒歴史を家宝にされたことを、少しだけ忘れることができたのだった。




