論争
天文十七年の六月、後の豊川稲荷となる三河の妙厳寺で付近の町村の民を集めて説明会を行っていた。
しかし、突然乱入してきた本宗寺の僧たちと言い争いになってしまう。
ちなみに私は負けず嫌いであり、やられっぱなしは我慢ならないので、先程はこちらが主張した。
ターン制ではないが、次は彼らの番だとばかりに、妙厳寺に作った特設舞台の上へと連れて行くのだった。
勝敗を判断するのは、この場に集った民たちだ。
相変わらずの完全アウェーだが、それでも私は負けるつもりもはなかった。
「利益目的の反対ではないと主張したけど。
それについて、言いたいことはあるかしら?」
あまり賢くない私は、出たとこ勝負しかできない。
それでも、気持ちだけは負けていないつもりだ。
舞台の上で不敵に微笑み、本宗寺の僧たちと対峙する。
「我々は悪魔の教えに耳を貸すなと忠告しておるのだ!」
私の発言に対して、一人の僧が反撃に転ずる。
するとここぞとばかりに、次々と口を開いていった。
「さよう! 断じて私利私欲などではないわ!」
「仏の教えを守れば、死後は極楽に行けるのだ! 」
「稲荷神様の化身と偽る者に従うなど、自ら地獄に落ちるようなものだ!」
何とも支離滅裂で言いたい放題であった。
その後も彼らの主張を聞いたが、意見が変わることはなかった。
なので息切れして一区切りついたところで、今度はこっちからおもむろに口を開いた。
「全ては御仏の思し召しなのね」
「然りよ!」
他の者も深々と頷いている。
どうやら彼らはそれで通すつもりらしい。
しかし私は、そんな主張を認めるつもりは毛頭なかった。
「ならば貴方たちに、私をとやかく言う権利はないわ」
「「「……は?」」」
僧たちは誰もが理解できないとばかりに、驚いた表情に変わる。
だが躊躇うことなく、ここぞとばかりに堂々と告げた。
「私は御仏が取りこぼした民を救済しているのよ!」
動揺する僧たちではあるが、私はなおも口を動かす。
「教えに従えば死後は極楽に逝ける?
馬鹿を言わないでちょうだい! だからって、現世が生き地獄で良いはずがないわ!」
修行僧はあえて苦しい目に遭うことで悟りを開くらしいが、そんなのは一部の者がやれば良い。
「私は誰もが心安らかに生きられる世界を築こうとしてるのよ!」
努力目標だが、言っていることは間違っていない。
しかし僧たちには全く通じず、口々に反論してきた。
「馬鹿な! それこそ神の所業ぞ!」
「夢物語だ! 人の身で為せるわけがあるまい!」
一蹴されてしまったが、現段階では絵に描いた餅なので仕方ない。
ならばどう切り崩したものかと足りない頭で考えて、まずは身近なものに焦点を合わせることにした。
そして民衆たちは、私の次の言葉を待っていた。
「ならばまずは、三河の民が飢えないようにするわ!」
はっきりと言い切ったことで、僧たちが私を驚いて見つめているのがわかる。
「そのような甘言──」
「来年よ!」
「は?」
こういうのは勢いが大切なので、一歩も引かないとばかりに大声を出す。
「来年には成果が出るわ!」
泣いても笑っても期限は来年の収穫期だ。
スケジュール管理が非常に厳しいが、続いて私は笑顔で僧たちに声をかけた。
「あと一年と少しで、私は三河から居なくなるわ」
今ここで重要なのは、彼らに邪魔をさせずに大人しくしていてもらうことだ。
人生綱渡りの私に退路などないし、成功しようが失敗しようが役目を終えれば三河から居なくなるのは確かなのだ。
「むっ……むう」
それを聞いて僧たちは低く唸り、何やら思案し始めた。
だが彼らが何かを口にするよりも先に、集まった者たちの一人が手を上げた。
「我らは、どちらが正しいかは判断がつきませぬ」
この発言に僧たちは大層驚いたようで、顔を真っ赤にして叫んだ。
「おっ、お前たち! どちらが正しいかは一目瞭然だろうが!」
「さよう! 仏の教えに従わぬつもりか!」
さらに口々に喚いているが、訴えた民はなおも言葉を続ける。
「もちろん御仏は信じております。しかし──」
民衆の殆どが申し訳なさそうな顔をしていたが、それでも彼は淀みなく言葉を重ねていった。
「美穂様が、辛く苦しい生活から逃れる術を知っておられるのなら、教えていただきたく存じます」
勇気を出して、良く言ってくれたものだ。
私は民衆に語りかけるために口を開こうとしたが、それより先に僧たちが舞台から身を乗り出した。
そして顔を真っ赤にして、怒鳴り散らす。
「愚か者が!」
「悪魔の甘言に惑わされおって!」
「恥を知れ! 御仏もお怒りだぞ!」
口々に民衆を愚弄し始めた姿を見た次の瞬間、私はとうとうブチ切れて大声を出す。
「黙らっしゃい!」
「「「ひえっ!?」」」
右足で特設舞台を容赦なく踏み抜き、もはや議論など関係ないとばかりに怒り狂う。
「苦しむ民に救いの手を差し伸べるのが、御仏の役目でしょうが!」
本当に救いの手を差し伸べるのかはわからないが、アニメや漫画に出てくる仏には、そういうイメージがあるので、ぶっちゃけその場のノリであった。
「御仏の教えを受けた僧が頼りにならないから、稲荷神様の化身がわざわざ出張って来てるのよ!」
とんでもない暴言だし、彼らにそこまでの責任がないのはわかっている。
だが一度心の内を外に出してしまうと、もう止まらなかった。
「私だって本当は今すぐ仕事を投げ出して、尾張に帰りたいわよ!」
気づけば、もう何ヶ月も那古野に帰っていない。
しかも、あと一年以上も三河に留まり、多忙な毎日を送ることが確定している。
休日なしで徹夜が当たり前の単身赴任生活を、元女子高生が体験するとは思わなかった。
戦国時代の生き地獄とは微妙にズレているが、苦行には違いない。
そのまましばらくブチ切れたまま、私は内心の辛みを暴露し続けた。
だが、しばらく大声で叫んでスッキリしたのか、周囲がしんと静まりかえる中でおもむろに口を開いた。
「ごめんなさい。つい本音が出ちゃったわ」
私はいつも本音なので何のフォローにもなっていない返答だが、実際にその通りなので間違ってはいない。
「とにかく、泣いても笑っても来年の収穫期までが勝負よ。
文句なら、結果が出てから言ってちょうだい」
そう言って、青い顔をしている僧たちを睨みつける。もはや本宗寺の僧など何処吹く風だ。
そして彼らには、特設舞台から退場してもらった。
一段落した所で、元の流れに戻すために私は後ろに下がって、あらかじめ呼んでいた関係者に交代した。
「ここからは、尾張で実際にあった体験談を語ってもらうわ」
「「「えっ!?」」」
いきなり雰囲気がガラリと変わったので、集められた町村の民は何事かと驚いている。
だが私は全く気にせずに、尾張から呼び寄せた指導員に顔を向けて優しく微笑んだ。
「あとは任せたわよ」
「お任せください!」
取りあえず役目は済んだので、すっかり蚊帳の外になっていた竹千代を連れて、特設舞台をゆっくりと下りていくのだった。
ちなみにこれは、信長の手紙に書かれていた策だ。
一言で表すなら、溺れる者は藁をも掴むである。
三河は敵地であり、民衆たちが指示に従う保証はないし、下手をすれば一揆を起こされるかも知れない。
なので、教えを守れば大成すると、嘘でも何でも信じ込ませるのだ。
まるで何処かの悪徳商法だが、今は非常事態ゆえに致し方なしである。
どのような結果になっても、私は来年には三河から立ち去るのだ。
なので、あとは野となれ山となれで、たとえ失敗しても当事者が居なくなれば勝手に鎮火するだろうと、楽観的に考えるのだった。




