今川治部大輔義元
何処かの面接会場のように熱弁を振るった結果、今川と松平の両勢力から織田家は嫌いだが美穂は好きだという変わった評価を受けることになった。
まあそれ自体は良かったし太原雪斎も説得できたので、無事に今川義元に合わせてくれることになった。
その途中で知ったことだが、何も考えずに追いかけてきた私を遅滞させたり、織田軍が来たら大打撃を与える策を用意していたらしく、どれだけ策略を巡らせてたんだと溜息を吐きたくなる。
いざとなったらブチ切れて盤面ごとひっくり返せるが、できればそれはしたくないし、私も大勢の血が流れずに済んで良かったと思っている。
何はともあれ、まだ同盟を結ぶには至っていないが、個人的な知り合い程度にはなれた。
そして当初は、数日程度で帰れるだろうと楽観的に考えていたが、あちこちたらい回しにされて、今川の領地に長期滞在をするハメになったのは想定外であった
時は流れて天文十七年の四月、明日にはいよいよ今川家の現当主にお目通りが叶うことになった。
一方で今現在の私は何処に居るかと言うと、駿府城の近くにある武家屋敷のとある一室だ。
そこで誰もが寝静まった丑三つ時に、何者かの気配を感じて目が覚めた。
そして天井をじっと見つめながら、おもむろに口を開いた。
「銀子が居てくれて、本当に助かったわ」
「お褒めいただき、光栄でございます」
今川家も忍びを雇っているので簡単には侵入できないが、うちの銀子は百地三太夫の右腕と称される程に優秀だ。
時間さえかければ大抵の場所へは潜り込める。
「今川は、何処まで私の情報を掴んでるのかしら?」
交渉が成功するか不安だったので、少しでも事前情報を得るべく、優秀な忍びに尋ねた。
「尾張の剛力無双、嘘がつけない正直者。
安祥城の防衛で活躍をされた等でございます」
人の口に、戸は立てられない。
尾張ほどではないが、今川の領地でも広く知られているので知名度抜群だ。
美濃攻めで濁流を押し返したという情報も、知られてはいるはずなのに口にしなかった。なのできっと、噂止まりなのだろう。
そうでなければ安祥城に連合を組んで攻め込むなど無謀なことを、考えるはずがない。
何にせよ個人的には恥ずかしいので、過分な評価だと溜息を吐いた。
「私としては、もう少し地味に生きたいんだけど」
「それはご冗談でしょうか?」
稲荷神様から御加護を授かっても、極力使わずに生きて行きたいのは変わらない。
「本気よ」
「……さようでございますか」
少々間があったので、銀子にとっては受け入れ難い発言のようだ。
だが、織田忍軍のおかげで敵地でも連絡を取ることができるのは、本当に助かっていた。
「明日は今川義元と交渉するわ。
お兄様に啖呵を切った手前、同盟を締結しないと立つ瀬がないわ」
銀子は主従関係ではあるが、私とは年齢が近い同性だ。
向こうは常にかしこまっているものの、親しい間柄で片意地張らずに会話できる。
「大丈夫です。美穂様なら、きっと成し遂げられます」
「過大評価しすぎよ」
父や弟だけでなく、家臣や領民の信頼も厚い。
どうしてこうなってしまったのかと考えたが、結局良くわからなかった。
なのでそういうものだと、あるがままを受け入れることにした。
「でも、上に立つ者としては、期待に応えないわけにはいかないわ」
今川と同盟を結ぶだけではなく、三河の解放も成し遂げなければいけない。
荷が重いが、戦場で血が流れるよりはマシだ。
それはたとえ大勢から馬鹿にされたり、公衆の面前で赤っ恥をかいたりしてもだ。
「まあ、案ずるより産むが易しよ」
あれこれ考えるのは苦手だし、どうせ行き当たりばったりになる。
「美穂様、ご武運を」
戦場に出るわけではないが、ここは敵地で総大将と一対一の場はない。
いわば敵城であり、家臣団や兵士の真っ只中に飛び込むのだ。
相手が首を跳ねようとしても刀のほうがへし折れるため、命の危険はないが面倒には違いない。
「生き残れても、交渉の結末だけはわからないわ」
またもや大きな溜息を吐いて、銀子に話しかける。
「まあ、……最善は尽くすわ」
父や信長のように知略に長けていれば、もっと良い案が浮かんだのだろうが、頭の悪い私には到底不可能であった。
「それじゃ、夜も遅いしもう寝るわ」
結局は、成るように成れだと開き直る。
「お休みなさいませ。美穂様」
「銀子も、お休みなさい」
彼女が何処で休息を取るのかは知らないが、きっと駿府城下町の何処かだろう。
私は尾張産のフカフカ布団ではなく、厚めの着物をかけて、目を閉じて体を休める。肉体疲労は感じなくても、心は疲れるのだ。
あまり深く考えない性格のためか、精神的な負荷は最小限で済んでいる。
それでも明日は、久しぶりの正念場だ。
万全を期すために心身を深く休めるに限ると、深呼吸をして気持ちを落ち着けるのだった。
天文十七年の四月の早朝、私は駿府城の大広間で今川義元と対面した。
だが、二人っきりではなく、周りには家臣団が勢揃いしている。
しかも知っている顔は太原雪斎しかおらず、あとは全員が初見であった。
ここが那古野城なら、負ける気せーへん。ホームやしと豪語できる。
それでも今は、完全に敵地だ。
元々織田家の代表として一人で交渉するつもりではあったが、いざ現実になると、何とも複雑な気分である。
何はともあれ既に賽は投げられたので、私は小さく頭を下げた。
「私は織田信秀が長女、美穂よ。本日は交渉を受けてくれて、感謝するわ」
この場においては、どちらが上でも下でもない。
本来ならば同盟を頼む織田側が下手に出るが、言われるがままに譲歩していては、きっとろくな結果にならない。
「では、我も名乗り返そう。今川治部大輔義元だ」
一瞬名前の判別が付かなかったが、私の中で面倒なので今川氏か義元で良いかと勝手に解釈する。
とにかく断固とした態度で交渉をしないと、捕らえた人質を全員返還するだけで終わってしまう。
同盟締結と三河の解放という無理難題を成すためには、とにかく強気に出なければいけないのだ。
少なくとも私はそう考え、すぐバレる猫をかぶるの止めて、自然体で交渉に臨むのだった。




