表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/99

策略

 父から殿しんがりを命じられた私は、すぐさま友軍を救出して稲葉山城いなばやまじょうの包囲網から脱出した。


 そのまま最後尾に留まり、追撃してくる敵を迎え撃つ。


 斎藤道三さいとうどうさんには、逃げる者は追わないようにと取り決めをしているが、実際には手柄欲しさに襲いかかってくる者ばかりだった。


(向こうも手を焼いてるのかしら?)


 織田家にも持て余している家臣が居るが、向こうも人材整理の場として使っていると言うことだろうか。

 私はそんなことを考えながらも、襲いかかってくる相手は全て敵なので、情け容赦なくボコボコにしていった。




 私たちは尾張に生きて帰るために、撤退戦を続けていた。

 その途中で林さんが、のんびりと地面を歩いていた私に向かって、心配そうに尋ねてきた。


「お疲れのご様子ですが、馬に乗られますか?」


 私は彼のほうを見ずに、周囲を警戒しつつ口を開いた。


「心配無用よ。徒歩のほうが早いし、疲れないわ」


 腹は減るが。肉体の疲労はないのだ。

 しかし、精神は元女子高生のままなので、夜通し命をのやり取りを続けていれば、気が滅入ってくるのも当然と言える。


 それでも自分はまだマシなほうで、他の者はそうはいかなかった。


 途中で何度か小休止を挟みながら撤退を続けたが、負傷者は増えるばかりだ。


 父が途中の小城や砦の部隊の包囲網を蹴散らして、囲みから逃れた別の織田軍に追いついたので、徐々に周囲の兵が増えて、同時に移動速度も遅くなってきた。




 しかも疲労が限界に達したようで、とうとう負傷兵の一人が足を止めてしまう。

 その場にへたり込んでしまった彼を追うように、それに続いて次々と倒れていく。


 私以外の者は、殆ど気力だけで苦境に耐えていた状態だったのだ。


 なので、これ以上は無理そうだと判断した私は、周りの者に大声で呼びかけた。


「しばらく休憩を取るわ! 負傷者の手当てと食事を準備をしなさい!」

「了解致しました!」


 林さんが元気を良く返事をするのを聞き、私はさらに言葉を重ねる。


「敵は追い払ったから、追撃の心配はないわ!

 それでも念の為に私が周りを警戒しておくから、今は安心して休みなさい!」


 そう発言すると、皆の表情が明らかに安堵したものに代わる。


 そして、意気揚々と食事の準備に取りかかる。

 さらに衛生管理や家庭の医学を広めているため、傷口に尿や馬糞を塗りたくるなどということはせずに、負傷者の汚れを落とした後に、清潔な布を巻いていく。




 火を起こすと敵に見つかる恐れもあるが、彼らは私が一方的にぶっ飛ばしたのだ。


 一対多数でも傷一つ与えられず、逆に怪我人が続出するだけだと体でわからされた。

 おかげで今では追撃も止んで、道中の小城や砦に立て籠もり、入り口を固く閉ざしている有様である。


 兵たちが簡易のかまどを作っているのを眺めながら、私は万が一に備えて耳を澄ませて警戒していた。

 今の所は動物や虫の声しか聞こえないので、大丈夫そうだ。




 やがて、簡易のかまどに火が付いて、鍋の中に水と味噌、干し野菜と肉、乾燥米を入れて煮込まれていく。

 辺りに良い匂いが広がり、兵たちだけでなく、自分の腹から虫の音が聞こえる。


 そんな時に、こちらに近づいて来る微かな足音を捉えた。

 相手は一人だけらしく正体に気づいた私は、さり気なく茂みに寄る。

 そして近くの大木に背中をもたせかけたまま、おもむろに口を開いた。


「銀子、何かあったの?」


 私が小さく呟くと、背後の茂みが微かに動いた。

 そして百地三太夫ももちさんだゆうの右腕的存在にまで出世した、陽炎銀子かげろうぎんこの声が聞こえてきた。


「美穂様に、報告があります」


 声の調子から、銀子が緊張している様子が伝わってくる。

 思わず私も動揺しかけたが、ここで狼狽えても事態は好転しない。


「……手短にね」


 何とか呼吸を落ち着けて、続きを促した。


斎藤道三さいとうどうさんが、木曽川きそがわの上流に堤防を築いておりました。

 濁流で織田軍を押し流す策と思われます」


 斎藤道三さいとうどうさんとの間には情報を流す見返りとして、逃げる織田軍には追撃は行わないという取り決めがされていた。


 だが前々から感じていたが、向こうは織田軍を殲滅する気満々なのは明らかだった。




 そこでふと思い出したが、行きに渡った木曽川は歩いて向こう岸に渡れるほど、水かさが減っていた。

 橋や渡し船を使わずに済むので、運が良いと思っていたが、もっと怪しむべきであった。


 稲葉山城まではトントン拍子に行けたので、こちらの油断もあったのだろう。


 わざと奥まで誘い込んで挟撃で叩いた後に、敗走した織田軍を濁流で押し流す。

 そんな二段構えの、情け容赦のない策略を仕掛けていたのだ。


「お父様は無事なの?」


 その質問に対して銀子は一瞬返答できなかったが、一呼吸置いて震えながら答えてくれた。


斎藤道三さいとうどうさんに、追手を大勢差し向けられました。

 ゆえに確実に情報を持ち帰るため、部隊を分けて逃走しました」


 織田の忍者がそう簡単にやられるとは思わないが、斎藤道三さいとうどうさんにも、同じような手勢を持っているのだ。


 しかも備えは万全だと考えれば、今はかなり不味い状況かも知れない。


「他の忍びの、その後はわかりません。

 無事ではあるでしょうが、足止めされている可能性が高いと思われます」


 敵の重要拠点なので、当然警戒は厳重だ。

 特に水攻めが阻止されるのは避けたいだろうし、美濃攻めで参加した織田忍軍の中で、報告に来たのは銀子一人だけだった。


「与えられた任務も満足に果たせず! 申し訳ございません!」


 茂みの向こうから、銀子の恐れや震えが伝わってくる。

 だがしかし、私は全く怒っていなかったので、穏やかな表情で口を開いた。


「謝る必要はないわ。貴女たち忍びは、本当に良くやってくれているもの」

「……美穂様」


 実際に彼女たちはとても優秀だし、織田家のために尽くしてくれている。


 もし他勢力に引き抜かれたら、内部情報を漏らされてこっちの手の内が全て丸裸になる。

 考えうる限り、最悪の事態が置きてしまう。


 それは置いといて、とにかく銀子たちに過失はないことを、私は堂々と告げる。


「銀子は私に、重要な情報を伝えてくれたわ」


 茂みの向こうの銀子の顔は見えないが、聴覚で潜んでいる場所に見当をつける。


 なお、内心では棟梁とうりょう百地三太夫ももちさんだゆうも連れてくれば良かったと後悔したが、彼はとても優秀なので織田忍軍のまとめ役を任せており、容易には現場に出られない。


 なので仕方ないと言えるし、今さら嘆いても状況は何も変わらない。

 そこで私は銀子を安心させようと、静かに微笑みかけた。


「だから、後は任せなさい」


 せっかく届けてくれた貴重な情報を、無駄にするわけにはいかない。


「美穂様! 私もお供致します!」

「駄目よ。銀子はこの場に残って、遅れて来た忍びと合流するの。

 そして、皆を守ってちょうだい」


 今の所は大人しいが、敵がまた襲撃してこない保証はない。

 それに追手を振り切った他の忍びも、集合するだろう。


 ならば銀子に伝言役として残ってもらうのは、悪い判断ではない。


(銀子に合わせてたら、間に合わないかも知れないしね)


 いくら優秀な忍びとはいえ、私のほうが足が速い。

 父の元に他の忍者が辿り着けば、心配は杞憂に終わるしそれが一番良い。だが、可能性は低いと思った。


 そして大きな溜息を吐き、この策によって被る被害を考える。


「濁流で織田軍は倒せるでしょうけど。

 下流域も甚大な被害を受けるなんて、本当にやってられないわ」


 どれ程の水量で押し流すのかは知らないが、織田の大軍を飲み込むことを前提にして準備しているのだ。


 ならば、下流域も酷い有様になるのは容易に想像できる。


 私が心の中で嘆いていると、少しだけ元気を取り戻した銀子が声をかけてきた。


「やはり、豊穣の美穂様でございますね」

「だから、その名で呼ぶのは止めなさいって」


 味方の損害だけでなく、民衆や領地も一緒くたに考えてしまう。

 そんなちょっと変わった発言をするたびに、豊穣の美穂様とからかわれる。


 正直照れ臭いったらないので、両手を軽く叩いて話題を変える。


「私は必ず生き残るし、斎藤道三さいとうどうさんの策を阻止して、お父様と織田軍も救うわ」


 決意表明のようなものだが、これから取るべき行動を口に出して考えを整理する。


「だから銀子、また後でね」

「はい! 美穂様! どうかお気をつけて!」


 私は小さく頷いて、全力で駆け出した。

 幸い織田軍は撤退中なので、それを追っていけば道に迷うことはない。




 だが、曲がりくねった山道を駆けるだけでは、きっと間に合わない。

 何となくだが、父の本隊は木曽川きそがわに到達する間際だろう。


 私は走りながらそう考えて、半ばヤケクソ気味に大声で叫んだ。


斎藤道三さいとうどうさん! 織田美穂を舐めんじゃないわよ!」


 稲荷神様の御加護によって強化された五感を活用する。

 曲がりくねった山道は通らずに、織田軍本隊に向かってほぼ一直線に、山の斜面を突っ切っていく。


 立ち塞がる茂みや木々などお構いなしに、とにかく走り、飛び、転がり、全力で駆け抜けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 美穂姫様「銀子?彼女は置いてきた。これからの戦いにはついていけそうにないからな」 というセリフが頭をよぎった(笑) まぁ【これからの戦い】についていけるのは稲荷()様くらいでは?
[一言] これが終わったら、稲葉山に昼夜問わず岩か丸太をぶちこんで、裏切りの報いがどうなるか蝮に叩きつけたいですね!
[一言] >「斎藤道三が、木曽川の上流に堤防を築いておりました。 濁流で織田軍を押し流す策と思われます」 いや―、流石は蝮。 斎藤家の『要らない子を絶対に殺す』作戦に『織田家の主力も絶対に潰す』とア…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ