粗悪品
天文十二年の冬に、私は古渡城に呼び出された。
父から話を聞いた限りでは、他国に流出した尾張の技術や道具に関してのことだった。
「技術や道具は秘匿し、他領への持ち出しを禁じておる」
そこはまあ、当然の規則と言える。
制限をかけないと、現時点での尾張の優位性が失われるのは明らかだからだ。
「だが、技術や道具が他国に出回るのは避けられぬ」
改革を急いだこともあるが、遅かれ早かれ秘密は暴かれるものだ。
一応、私が管理している村で実験や試作してから尾張に広めているが、影響範囲が広くなるほど情報漏洩の危険は高まる。
「しかし道具は過去に類を見ない程の精巧さで、複製は困難なようだ」
美穂協同組合を尾張に広めてから、国内限定の道具の販売を許可した。
だが裏では高額で取り引きされているのが、忍びからの情報である。
しかし現状では量産化どころか複製すら困難で、粗悪品ばかりしか製造できないらしい。
結果、物資や銭を投資した分だけ溶かしている。
それは技術も同じことで、他領ではなかなか上手くはいっていないようだ。
私はそれらを父から聞かされて、ふむと思案する。
「各部品や構造の役割を把握しなければ、完全な複製は困難でしょう。
これは農法や技術に関しても、同じようなことが言えます」
遠い未来の知識を持った私が付きっきりで指導して、現場の職人と何度も打ち合わせを行ってきたのだ。
試作からの失敗はいくつも出てきたし、十日程度で完成する物もあったが、それでも改善の余地はある。
精巧な道具は一定の効果を見込める試作品でさえも、数ヶ月の時間がかかる場合もあった。
それだけ長い時間をかけて、多くの人材や物資を投入することで、ようやく期待通りの効果を発揮するのだ。
現物を見てすぐ複製が可能なのもあるが、そんなのは極一部だけである。
「ここに来て、美穂の規格の統一が生きてきたな」
父が満足そうに頷いた。
尾張の全ての規格は、私が新しく一から作り出して統一させた。
そして今もズレを最小限にするために、基盤を元に専門の職人が製造しているし、公式販売店以外の購入や他所の場所で勝手に増やすのを禁止した。
代わりに、格安で領民に提供しているおかげで、あらゆる工程の精度が増した。
それに、十や百単位で記号が変わるので計算もしやすい。
新たな単位を覚えたり慣れるには少々手間取るが、民衆の評判は悪くなかった。
ぶっちゃけその場のノリで決めたミリ、センチ、メートル等の新規格だが、他国に漏れても複製や再現を困難にするといった、副次的効果があったらしい。
父は顎髭を弄りながら、さらに言葉を続ける。
「だが、新たな単位と規格統一は、本来ならば不可能だ」
私としては、尾張は上手くいっているので、天下を統一したら日本中がそうなるかもと思っていた。
だが父が言うには、どうやら違うらしい。
「人は束縛や強制を嫌うゆえ、単位の規格統一は民衆の反発を招く。
長らく続いた慣習を変えるのは、容易ではない」
確かに言われてみれば、明日から全ての単位を変更すると言われても、民衆が受け入れるとは思えない。
何故今まで慣れ親しんだ寸や尺を、わざわざ変えなければいけないのか。
それらのズレを手直しするだけで、十分だと反対するだろう。
「尾張や民が反発なく受け入れたのは、美穂に従えば生活が豊かになる。
誰もが、そのような夢を見たからだ」
父から褒められるのは嬉しいが、あまりに直接的でアタフタしてしまう。
実際には織田信秀の政治手腕と、稲荷神様の御加護の賜物なのは明らかだ。
「わっ……私は、そんな大したことはしておりません」
天候不良や、農具の作成が思うように進まず、収量が減る可能性もあった。
人生の綱を落ちずに渡りきったのは、奇跡のようなものだ。
しかし安堵する暇もなく、父が改めて尋ねてきた。
「最近は道具の複製だけでなく、新農法も真似し始めたようだ。
これに関しては、美穂はどのように考えている?」
いきなり真面目な質問で不意打ちを受けた私は、口元に手を当てて少しだけ思案する。
戦国時代には馴染みのない農法に変更した尾張は、大豊作となった。
ならば、それを真似れば収量を増やせると考えるのも無理はない。
しかし、世の中そんなに甘くないと考えた私は、おもむろに口を開く。
「他国に広まった新農法は失敗するでしょう」
「それは何故だ?」
父がすぐに尋ねてきたので、私は頭の中で順序立てて考えながら説明していく。
「正条植えに変えれば、収量の増加は確かに見込めます。
しかし、農民の負担も激増するでしょう」
他にも色々な試みがあるので、それらを順番に口にする。
「塩水選は秘匿していますし、農具が粗悪品ばかりとなれば──」
新農法で表に出ているのは、正条植えだけだ。何よりあれは外から丸見えなので、隠しようがない。
そして塩水選だが、種籾を選別すれば収量の増加が見込める。
こちらは美穂協同組合の施設内のみで行っているので、今の所は秘匿できている。
「作業効率が悪ければ収量の低下に繋がり、そうなれば自然に元の乱雑植えに戻るでしょう」
正条植えを支えるのが新しい農具であり、それがあって初めて、収穫量を増やすことができる。
そうでなければ時間と効率が悪すぎて、手間をかけた割には効果は今ひとつになってしまう。
「つまり、心配はいらぬと?」
「一朝一夕で、尾張の優位性が失われることはないでしょう」
現時点では、周辺諸国よりも一歩どころか、十も二十も先に進むことができている。
もし尾張に追いつこうと考えたら、父のように分の悪い賭けをするしかない。失敗したら家が没落しかねない危険な行為なので、余程切羽詰まらなければ実行には移さないだろう。
何より上辺だけを真似ても効果は十全に発揮されないため、未来の知識を持っている私が居ないと、調整は困難を極めるのだ。
「美穂が居る限り、尾張は揺るがぬな」
「何故そこで、私なんですか?」
父が深く頷いて納得したが、同時に変なことを言い出した。
「今の豊かな尾張は、美穂が築き上げたようなものだ。
ゆえに、屋台骨が折れれば──」
大役を果たしているのは自覚しているが、面と向かって言われたくはなかった。
こうなったのも自業自得で、戦乱の世を終えるためには尾張の国力を高めることこそ第一だ。
分不相応な評価の高さで羞恥心に悶えて、何処かの親善大使のように、師匠がやれって言ったんだと責任を放棄したいところだが、今になってはそんなことはできない。
なので、取りあえず両耳を押さえて大声で叫ぶ。
「あー! あー! 聞こえませーん!」
危機的状況を打開するには、未来知識を使って尾張を発展させるしかなかった。
しかし相変わらず、周辺諸国は虎視眈々と隙を伺っていて油断できない。
早いところ天下統一を叶えて普通の女の子に戻りたいと、心の中で大きな溜息を吐くのだった。




