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三つの派閥

仁木長政にっきながまさ

 秋が深まり、何処となく冬の気配を感じ始めた頃に、私の居城に遠方からの来客が訪れた。


 織田の者がやって来ることは、最近では珍しくはない。

 なので驚きこそなかったが、いざ面通ししてみると、林秀貞はやしひでさだ殿はまだわかるが、織田信秀おだのぶひでの娘が、お忍びでやって来たのだ。


 尾張のお転婆姫の噂は伊達ではないと、妙に納得してしまうのだった。




 私は広間の上段に座って待ち、織田の使者は一段下に円座を用意して席につかせる。

 そして家臣たちを控えさせる中で、会談が始まった。


「お初にお目にかかります。私は織田信秀おだのぶひでの娘、織田美穂と申します」


 深々と礼をする彼女を見ながら、礼儀を知らない者ではないことを確認し、こちらも名乗り返す。


「遠路はるばるご苦労。私は伊賀国いがのくにの守護代、仁木長政にっきながまさである」


 その後も形式通り、織田の護衛やこちらの重臣を数名紹介して、いよいよ本題に入った。


「前に訪れた織田殿の使者と要求は同じやと思うが、あえて聞こう。

 美穂殿は、何用で我が城に訪れたのだ」


 お忍びとはいえ書状は受け取っているし、向こうの返答はわかりきっている。

 だが万が一という場合もあるため、確認は大切である。


 すると彼女はこの質問を予想していたのか、淀みなく答えていく。


「もちろん伊賀国いがのくにと良好な関係を築き、優秀な人材を雇い入れるためでございます」

「……ふむ」


 織田家の要求は、伊賀いが甲賀こうかの者を諜報員として雇いたい。

 そして良好な関係とは最低限の筋を通すことと、もし良ければ同盟を結んで今度とも良い関係をということらしい。


 普通に考えれば他国の人材を引き抜くのは、敵対行為も甚だしい。

 だからこそ上に話を通すのだが、私としては要求に答えるのもやぶさかでなかった。


 何しろ伊賀国いがのくには周辺諸国と比べれば弱小で、守護代の仁木氏につきしも決して盤石とは言えない。

 こちらに旨味のある契約ならば、むしろ望むところだ。


「前に来られた織田の使者殿も、同じことを言っておった」


 織田家の提示した条件は決して悪くはないし、もし契約を結べば、仁木氏にっきしだけでなく伊賀国いがのくにも、利益を得られるだろう。


 美穂殿は口を開かないが、真っ直ぐにこちらを見つめている。

 返事を聞きたがっているのは、一目瞭然であった。


 なので私は顎髭を弄りながら、どうしたものかと悩む。


「首を縦に振りたいところだが──」


 そう途中まで声を漏らしたところで、広間の外が急に騒がしくなってくる。

 そしてやかましい足音が近づいてきて、廊下に繋がるふすまが乱暴に開け放たれた。


 そこから現れたのは、六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけ、その派閥に属する家臣たちであった。


「殿! 受けてはなりませぬぞ!」

「然り! 織田の甘言など信用できるものか!」


 立場としては伊賀国いがのくにの一部ではあるが、守護代の私とは仲が良いとは言い辛い。


 これは弱小勢力ゆえの宿命で、常に周辺諸国の思惑に左右されてきたからだ。

 他の派閥の家臣たちは、自らの保身と利益などを最優先に考えて動くため、織田との契約を阻止しようと勝手に行動を起こすのである。


 私は何処となく疲れた顔で美穂殿に視線を向けて、小さく溜息を吐いた。


「そこはまあ、ご覧の有様でな」

「はぁ、心中お察し致します」


 静かだった会議の場は、今では鼻息を荒くする六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけの派閥に乱入されて、もはやまともに交渉を進めることが困難になった。


 伊賀国いがのくには、仁木氏につきし六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけの三派閥が存在しており、内乱こそ起きていないが危険な火種がくすぶっているのだ。


 美穂殿の前にたびたび訪れていた織田の使者も、これは手に負えないと判断して、逃げるように尾張に引き返すことになった。




 私はきっと美穂殿も諦めて帰るのだろうなと思い、苦笑しつつ彼女に視線を向ける。

 すると何故か、美穂殿は微塵も動揺しておらず、涼しい顔をしていた。


「美穂殿は怖くないのか?」


 少し驚いたような表情で尋ねると、すぐに答えが返ってきた。


「はい、全く怖くありません」


 彼女の側には、興奮気味に罵詈雑言を浴びせてくる家臣たちが居るのだ。


 六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけにとっては、織田家は邪魔な存在であるため、いくら織田信秀おだのぶひでの娘とはいえ、いつ刀を抜かれて斬り捨てられてもおかしくない。


 だと言うのに、当人は平気な顔をしたままだ。

 普通の女性ならば、恐怖で悲鳴の一つもあげるところである。


「どのような条件であろうと、織田に手を貸すなどありえぬ!」

「その通りよ!  諦めて、即刻尾張に帰るが良いわ!」


 私としては、六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけの主張は置いておいて、条件の良い織田家に協力したいところだ。


 しかしこの場ではっきりと口にすれば、今度は伊賀国いがのくには三つに分断されて、互いに争うことになる。

 なので美穂殿には申し訳ないが、首を縦に振るわけにはいかない。




 私は説明していないが、後ろに控えている林秀貞はやしひでさだ殿が何やら小声で耳打ちしていたので、こちらの事情はわかってくれたはずだ。


 しばしの時間が経って、彼女は小さく頷いた。


仁木にっき様の事情は、大凡おおよそですが理解はできました」


 しかし美穂殿は、交渉を断念して帰りますとは言わなかった。

 何故だかわからないが、思いもよらない言葉を口にし始めたのだ。


「ですがこのまま引き下がれば、私はお使い一つ果たせぬ役立たずです。

 尾張の者たちに、笑われてしまうでしょう」


 家臣たちは、そのようなこと、我らには関係ないわと吐き捨てるが、美穂殿は無視してさらに言葉を重ねた。


「そこで一つ、提案があるのですが」

「提案だと?」


 今度は家臣たちが何か言い出す前に私が言葉を挟んで、強引に遮った。

 彼女の目は全く諦めていないので、何を言い出すのか興味を惹かれたのだ。


「話し合いで決まらなければ、遊戯を持って決めましょう」


 美穂殿は一体何を言っているのだと、この場に居る者は誰一人としか理解できない。

 しかしすぐに、六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけの派閥の者が騒ぎ出した。


「織田には協力せぬと、言ってもわからぬか!」

「遊戯など行う必要はないわ!」


 だがそれでも、美穂殿は全く動じずに説明を進める。


「私が負ければ、諦めて引き返します。

 さらに織田は、伊賀国いがのくにに立ち入らぬとお約束しましょう」


 この発言に対して、私や家臣たちは驚愕する。


 美穂殿の噂は数多あるが、その中に決して嘘はつかないというものがあった。

 つまりそれが真ならば、彼女は本心で宣言したのだ。


 とても正気とは思えなかったが、下手をすれば命さえも投げ捨てる発言に誰もが息を呑んで、気づけば大広間は美穂殿の独壇場になってしまっていた。


「そっ、その言葉が嘘偽りないという証拠は?」

「稲荷大明神様に誓いましょう。

 何でしたら、証書をしたためても構いません」


 私は横目で家臣たちの表情を窺うと、誰もが彼女の覚悟に飲まれていた。


 そしてこの場の皆が口を開けずに傍観者となる中で、美穂殿は真面目な表情で続きを口にする。


伊賀国いがのくにに立ち入らないだけでなく、多額の迷惑料をお支払いしても構いません」


 こちらに有利過ぎる提案に、誰もが何か裏があるのかと勘ぐり始めた。


 しかし私は、あえて彼女に尋ねる。


「ならば、遊戯で美穂殿が勝利したら如何いかがする」

「もちろん、伊賀国いがのくには織田と雇用契約を結んでもらいます」


 何の捻りもなく最初に言った通り、遊戯の結果で契約するか否かを決めるということだ。

 勝ち負けに左右されるとは言え、これはどちらにも利益がある。


(頭の悪さも噂通りならば、真面目に考えてこれなのだろう)


 私だけでなく家臣たちも、裏も表もない話だと一応の納得はする。


 しかし提案を受けるかどうかは、私の一存で決めるのは難しい。

 六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけの派閥が反対と主張すれば、容易に覆るのだ。


 すると家臣の一人が鼻を鳴らして、美穂殿に声をかける。


「どうせその遊戯は、何をしてもお前が勝つようになっているのだろう」


 彼が言っていることはもっともで、向こうから持ちかけた遊戯ならば、美穂殿が有利なのは明らかであった。


「確かに遊戯は私が選びますが、必ずしもそうとは言えません」


 彼女の気迫に飲まれていた家臣たちはすっかり立ち直り、ならば言うだけ言ってみろと告げる。

 話が意外な方向に進んだためか、先程の怒りは何処かに飛んでいったようだ。


 美穂殿は姿勢を正して呼吸を落ち着け、遊戯の内容の説明を始める。


「離れた的に小石を投げて、当たれば私の勝ちです。

 当然外せば負けになり、一回勝負とします」


 ここで一度言葉を切り、続きを話した。


「的を何処に置くかはお任せしますが、必ず投げる位置から目で見える場所に。

 あとは、動かないように固定をお願いします」


 他にも何かあるのかと思ったが、彼女が口を開くことはなかった。

 なので私だけではなく広間に集まった者たちは、皆戸惑うことになる。


「それだけか?」

「はい、それだけです」


 これで遊戯の説明は終わったようで、子供でもわかる簡単な遊びだ。


 しかし私は、本当にこんな勝負で良いのだろうかと疑問が浮かんただめ、おもむろに尋ねた。


「本当に、それで良いのか?」

「構いません」


 美穂殿は自分に有利だと言っていたが、どう考えても不利にしか思えない。


 目に見える場所ということは、豆粒程度にしか認識できなくて良いのだ。

 いくら噂通りの尾張のお転婆姫でも、女の力では届かない位置に置かれれば、その時点で敗北が決定する。


「はははっ! これはいい!」

「然り! 然りよ! とんだ笑い話よ!」


 しかし彼女は、家臣たちの嘲笑ちょうしょうも何食わぬ顔で聞き流している。

 さらに織田家の護衛も何故か可哀想な者を眺める表情になり、馬鹿にしている彼らを見ていた。


 何故私たちに憐れみを向けられているのかが理解できないが、今は美穂殿の遊戯を受けるかどうかが重要だ。


 なので私は頃合いを見て、大声で発言した。


「私は美穂殿の遊戯を受けようと思う! 異議のある者はおるか!」

「異議なし!」

「面白い! 受けてやろうではないか!」

伊賀国いがのくにの勝利は揺るがぬ! 織田家が赤っ恥をかくだけよ!」


 誰もが美穂殿を嘲笑あざわらっているが、私はここでふと思い出した。


 それは尾張の淺間神社せんげんじんじゃで、大岩を真っ二つにしたという噂だ。


 いくら何でも誇張しすぎだと、誰もがそう思い、求心力を高めるためとはいえ、良くやるものだと小馬鹿にしていた。


(しかし、もし大岩を割った話が事実ならば──)


 この遊戯が美穂殿に有利で、敗北が確定しているのは我々の方になる。


 だが家臣たちは、誰も信じていない。


 それどころか、もし美穂殿が勝った場合には、仁木氏にっきしだけでなく、六角氏ろっかくし北畠家きたばたけけの派閥も織田家と雇用契約を結ぶことを稲荷神様の前で誓うと、証書に記載させられていた。


 この判断が吉と出るか凶と出るかは、まだわからない。


 しかし勝とうが負けようが伊賀国いがのくにの利益にはなるので、反対する理由はない。

 だが私は心の中でもしかしたらと、美穂殿の勝利を期待するのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 34/34 ・勝ち確! 頭のいい脳筋。 [気になる点] よくぞこんなゲームを思いついた。すごいっ!
[一言] >「離れた的に小石を投げて、当たれば私の勝ちです。 >当然外せば負けになり、一回勝負とします」 あ―、キタナイ。 流石は闇黒神「稲荷神様」の大幹部兼使徒。 世紀末覇王と稲荷神のチート力を使…
[一言] 美穂様!?小石ですよね?小石を投げるんですよね?それ小石じゃなくて大い… あーっ!空が!空が落ちて来る!!!
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