計略への備え
天文十二年の秋、尾張全土は例年に類を見ない大豊作となった。
周辺諸国も好調だが、それを大きく引き離す程である。
吉法師は加減しろ姉上と釘を差したが私は頭が良くないし、収量を決定付ける要素の多くが天候次第で、少ないよりは多いほうがいいに決まっている。
だが他国に警戒されてしまったことは、もう取り返しがつかないし仕方ない。
ならば今は、敵の内部工作に備えて、対策を講じるのだ。
吉法師は興奮を抑えるために白湯を飲んで一息ついたあと、正面に座っている私に諦めたように声をかけてきた。
「それで、姉上はどうするつもりなのじゃ?」
これには私は予想していなかったので、逆に質問する。
「内部工作の対策案を立てるのは、吉法師やお父様の仕事じゃないの?」
私は知識はあっても、基本的には脳筋ゴリ押ししかできない。
しかし吉法師とお父様は、頭の回転が早くて機転が利く。
どちらが作戦を立てるのに適しているかは、言うまでもなかった。
「儂や父上も対策を講じてはおる。
しかし、守ってばかりでは状況は好転せぬ」
確かに敵の内部工作に対抗するとしても、内紛の火種なんてそこら中に散らばっている。
最悪の展開は、周辺諸国と領内の寺院が手を結ぶことだが、それさえ阻止すれば大丈夫というわけではない。
領民の全てを監視することなど不可能なため、不平不満を煽るのはさほど難しくはないのだ。
「それで、姉上は何か思いつかぬか?」
そう言っても、自分はあまり頭が良くない。
作戦立案には向いていないが、せっかく弟が頼ってきたのだ。少しは姉らしい所を見せてやりたかった。
それに敵の執拗な嫌がらせを何とかするには、今の時代の常識に縛られない自分ならワンチャンあると、二人は期待しているのだろう。
ぶっちゃけ自信はあまりないが、悩み抜いた末にあることを思いついた。
「一つだけ策があるわ」
相変わらず行き当たりばったりだが、期待の表情を浮かべる吉法師が声をかけてくる。
「それはどのような策なのじゃ?」
勿体ぶる趣味もないので、私はすぐ口を開いた。
「お祭りをするのよ」
「祭じゃと?」
弟は今いちピンとこないのか、真面目な表情で腕を組んで考えている。
しかし適した説明の言葉が思い浮かばないので、私もうーんと唸りながら口を開いた。
「例えるなら、収穫祭かしら?」
「それが何故、策になるのじゃ?」
私も結構適当なので、頭の中で考えながら説明を続けた。
「領民の連帯感を強めるからよ」
「本当にそんなことで、敵国の内部工作に抵抗できるのか?」
連帯感を強めても不満が解消されるとは限らないので、吉法師が疑問に思うのもわかる。
だが幸い、美穂協同組合は上手くいっている。
お祭りをして飲み食い騒いで、領民と喜びや苦しみを分かち合えば、多少は不平不満の解消になると考えたのだ。
「自分でもそこまで良い策じゃないのは、わかってはいるけどね」
もしかしたら失策だったかもと思い直して、何となく視線をそらす。
すると弟が、大きな溜息を吐いた。
「うむ、神事や祈祷を行うのは悪くはないが、劇的な改善に繋がりにくいじゃろう」
彼の言葉を聞いた私は違和感を覚えて、思わず首を傾げた。
「あれっ? ちょっと待ちなさいよ」
そこで初めて、吉法師と私の考えが食い違っていることに気づいた。
なので、頭を押さえて愚痴をこぼす。
「確かにお祭りは、本来そういった行事だったわね」
尾張で行われている祭りは、神事が中心になっている。
食事も振る舞われたり賑やかではあるが、未来と比べれば娯楽性は低く、地味で退屈なことが多かった。
「吉法師」
「何じゃ、姉上」
相変わらず深い考えもなしに、弟に声をかける。
「尾張全土のお祭りなんだけど。今年からうちが、全面的に支援して開催するわ」
「……は?」
弟が唖然とした表情になったが、私は構わず言葉を続けた。
「神事にも支援はするけど、少しだけよ」
足りない頭を働かせて考えたことを、一つずつ口に出していく。
「屋台料理や娯楽で一年の苦労をねぎらって、領民は存分に飲み食い騒いでもらうの。
祭りが終わるまで全てが無料なら気楽でしょうし、不平不満の解消になるわ」
織田家の支援で行われるので、領民が感謝してくれることを期待したい。
手の平くるっくるするのが今の時代だが、台所を圧迫してでも面倒を見てくれる領主を、嫌いになったりはしないだろう。
「ふうむ、なるほどのう」
吉法師もこれには一理ありと思ったのか、小さく頷いた。
これまでのように、厳かに神事を執り行うのは変わらない。
だがそれは本命ではなく、たとえ一日だろうと羽目を外して飲み食い騒いで遊び、また来年も頑張ろうという前向きな気分にさせるのが目的だ。
尾張の領民の誰もが、希望を持って明日を迎えられるためにも、祭りは重要なことである。
「領民には姉上が必要と思い込ませて、不満を解消するのじゃな」
吉法師が何やら真面目な表情で、小声で呟いている。
私は到底理解できなかったので、はてと首を傾げてしまった。
しかし弟はそれには答えず、話を次に進める。
「祭りは毎年行う必要があるゆえ、負担は大きいが一日だけなら悪くない。
仕事の効率が上がり、一揆も防げるのならば安いものじゃ」
納得したのか何度も頷いている弟を眺めて、私は本当に賢い子供だなと思いながら白湯を飲んで、ようやく一息つく。
(もしかして、これって私が稲荷神様の化身として崇められる流れかしら?)
そこでようやく弟の言っていたことに気がついたが、もはや時既に遅しだ。
吉法師は良い策であり、やってみる価値ありますぜ状態になっているし、私は他に何も思い浮かばなかった。
なので代案を出すこともできずに、黒歴史がまた一つ増えそうだと、何処か遠くを見つめながら白湯に口をつけて、乾いた喉を潤すのだった。




