忍耐の時
襲撃事件が片付いたあと、急ぎ古渡城へと向かった。
今回は流石に事態が大きすぎるので、丸投げではなく具体的な対応策を聞く必要があると考えたのだ。主に願証寺をボコボコにするためだが、負けず嫌いな性格ゆえに仕方ないことである。
なお稲荷神様の御加護で救われたので、米村の仕事場の裏庭に築いた小さな祠の前で、感謝のお参りをするのを忘れないのであった。
それはともかくとして、私と弟は古渡城へとやって来た。
門番を顔パスで通過して、廊下を歩いていつもの執務室へと通される。
そして簡単な挨拶を行った後に、襖を開けて中に入った。
私は先に敷かれていた円座に腰を下ろして、吉法師も後に続く。
なお、三人の会議にも慣れたものであり、まどろっこしいのが苦手なのでいきなり本題に入った。
「願証寺、浄土真宗、本願寺派をまとめて黙らせる方法を教えてください」
丁寧な言葉ながら、あまりにも歯に衣着せぬ直球な台詞に、父は思わず苦笑を浮かべる。
しかし間を置かずに、私に向かってはっきりと答えてくれた。
「そんなものはない」
「とても辛い!」
予想はしていたが、やはり丸ごと解決という便利な方法はないらしい。
世の中はそんなに甘くなかったことに、私は大きな溜息を吐く。
「寺院を相手に明確な敵対行動を取れば、奴らは民衆を扇動して尾張全土で一揆を起こすだろう」
向こうも黙ってやられるわけがないので、当然反撃してくる。
その方法だが、仏教は昔から日の本の国に広く根付いているため、農民を扇動するのが可能なのだ。
もし一揆を起こされたら大勢の怪我人や死傷者が出て、尾張の治安や発展は大きく低下してしまうので、それは避けたかった。
なので私は若干渋い表情で、父にもう一度尋ねる。
「では、どうすれば良いのでしょうか?」
「ふむ、……そうだな」
正面に座っている強面の父は、顎髭を弄りながらしばらく思案した。
だが、回答を教えてくれるわけでもなかった。
私の顔を真っ直ぐに見つめて、何故か別の話題を振ってきたのだ。
「美穂は素直に教えを請うのだな」
一瞬父が何を言っているのかわからずに、はてと首を傾げる。
「えっ? 駄目ですか?」
もしかしてそれぐらい自分で考えろと、遠回しな苦言だろうかと不安になる。
「いや、駄目ではないぞ」
父は軽く首を横に振って否定したので、私はホッと小さな胸を撫で下ろした。
そして少しだけ柔らかな表情になり、続きを口にする。
「人は誇りや忠誠や信仰、見栄や体裁や利権といった多くのモノに囚われる。
それらに固執し過ぎるあまり、たびたび物を見る目を曇らせるのだ」
私は何のこっちゃと混乱するが、父は構わずに続けた。
「それらは、人が生きるためには必要だ。
しかし時には、より良き未来を歩むための足かせになるのだ」
「はぁ、さようですか」
言っていることは何となく理解できるが、それが私と何の関係があるのかは、全くわからなかった。
だが、書物に記録している吉法師がなるほどと頷いたことで、自分も取りあえず首を縦に振っておく。
父にはバレていたようで苦笑しつつ軽く咳払いをし、話を最初に戻して説明を始める。
「宗教とは、領民の生活の根底にある。さらに他にも、多くの役目を担っている」
つまりは邪魔だから排除しようでは、上手くいかないと言うことだろうか。
「たとえ奇跡的に排除できても、今度は領地経営が困難になるだろう」
私はそれを聞いて、こういうのを八方塞がりと言うんだろうなと、ぼんやり考えた。
「では、泣き寝入りするしかないのですか?」
おずおずと手を上げて尋ねると、すぐに答えが返ってきた。
「美穂よ。今は忍耐の時だ」
父が小さく頷いて肯定したので、私は溜息を吐いた。
その後、今はという言葉が気になったので、続けて質問する。
「今は、と言うのは?」
「泣き寝入りで終わるかどうかは、美穂の働き次第と言うことだ」
何と言うか言葉では言い表せない嫌な予感がする。
しかし、やられっぱなしは我慢ならないので、寺院をギャフンと言わせる手があるなら、ぜひとも教えてもらいたい。
「私次第と言うのは?」
私は黙って次の言葉を待っていると、父は真面目な顔をして口を開く。
「美穂の名声が高まるほど、寺院は力を失うであろう」
言っていることはわからなくもないが、それはもしかしてと、頭の悪い自分でもすぐに合点がいった。
「お父様は、私に神になれと?」
稲荷神様の御加護はあるが、天候を変えたり死者を蘇らせるといった、本物の奇跡は起こせない。
「そこまでは望んでおらんが、稲荷神様の化身は寺院を追い詰めるにはもってこいだ」
ようは偽物の神様を演じて、領民の信仰を寺院から奪えということだ。
理屈としてはわかるが、実際にやりたいかと聞かれれば、小市民の自分は絶対に拒否したい。
「娘を使い潰すつもりはない」
「そうは言われましても──」
父は私を利用してはいるが、決して無理強いはしないどころか、色々と便宜を図ってくれている。
自由にやらせてもらってるだけ、恵まれた環境なのは確かだ。
「まあ、……理屈はわかりますけどね」
成果を出して名声や信仰を集めて、稲荷神様の化身として有名になる。
すると浄土真宗の信者は、念仏よりも衣食住を提供して生活を豊かにしてくれる豊穣の女神(偽)に乗り換える。
たとえそこまでいかなくとても、寺院の力が衰えるのは間違いない。
「ゆえに今は忍耐の時で、焦りは禁物よ」
結局、願証寺を今すぐギャフンと言わせる都合の良い作戦はないと言うことだ。
「はぁ、今は泣き寝入りするしかないんですね」
「うむ、さもありなんよ」
父が深く頷いたことで、世の中の世知辛さを実感させられてしまった。
だが私がやってられねーとばかりに大きく溜息を吐くと、強面の織田信秀は優し気に微笑みかけて、諭すように声をかけてきた。
「しかし、美穂の働きで尾張国は豊かになっている」
新しい道具や家畜、作物の栽培を行っているので、もし成功すれば尾張はさらに豊かになる。
「天下統一は、成さねばならぬ大望だ。
それでも足元を疎かにはできぬゆえ、自領の安定は必須よ」
父の言っていることは正論である。
天下を統一を成し遂げるためには、何よりも織田家が力をつけなければならない。
あらゆる障害を跳ね除ける国力を有するのは、必須条件と言っても良い。
「しかし、尾張の台所は火の車ですが?」
「はははっ、それは仕方あるまい」
分の悪い賭けが嫌いでない父は、豪快に笑い飛ばす。
そして似たりよったりな娘は、つい溜息を吐いてしまう
「私に期待してくれるのは嬉しくても、重圧が酷いです」
父だけでなく領民も期待しているので、御加護がなければ胃に穴が開いてもおかしくない。
「だが、儂は信じておるぞ。信じてさえいれば、美穂は必ず成し遂げるとな」
何処の分解が得意なフェイスレスだと思ったが、結局天下統一を成し遂げるためには、稲荷神様の化身に祭り上げるのが手っ取り早いのは確かだろう。
「美穂は今まで通りに動けば良い。
むしろ変な知恵をつけぬほうが、物事は上手く行くものだ」
遠回しに私が頭が悪いことを馬鹿にされているような気がするが、父が言うなら本当に成功しそうだ。
何だかんだ愚痴を言いつつも、自分は織田信秀のことを信じているのかも知れない。
そして、自分のやることは変わらない。
ここまで来たら、悩むだけ無駄だと気持ちを切り替える。
私は用件が終わったので席を立って古渡城を出発し、米村へと戻るのだった。




