挑戦状
「ふぁうぁー」
思わずあくびが出ると、私につられてソラも歯を剥き出しに、大きく口を開く。
『リク、疲れたにゃ』
『そうだな、疲れた時こそ修行でもするか?』
ソラは小さく首を振るが、私も言ってみただけ。
何を隠そう魔塵粒子が空っぽに近い状態で、体に力が入らないのだ。
原因は容赦なく照りつける太陽のせいだ。
夏は暑いと聞いていたが、ここまでとは。
この世界には冷房と呼ばれる温度調節機器があるらしいのだが、この宿舎にはついていなかった。
海斗は「すぐに業者に手配させます」と言っていたのだが、それを断ったのは私だ。
自動防御には耐熱、耐冷などの効果があるので、気温に振り回されたりはしない。
もちろん海斗や風吹は使えないのだが、そこは私の出番。
魔道が機械文明に遅れをとるわけにはいかないのだ。
月保に習った結界で、宿舎全体を覆ってしまう。唯一出入り用に玄関だけが穴が空いている状態だ。
密閉された空間に氷の魔道を駆使すれば、快適生活の出来上がり。
最近、魔塵粒子の消費量が激しいのはそのせいである。
とはいえ、盛りのついた虫の合唱を聴きながら、冷んやりとした宿舎にいるのは私とソラだけ。
今はお盆という祖先の霊を祀る一連の行事期間らしいのだが、海斗は肉親である祖母のところへ帰っている。
朱天も鬼を纏める者として、大江山に帰京中。
「我は分身体の身。問題はありませんので主とともにいます!」などと言っていたが、最近私にべったりだった朱天に帰れと促した。
分身だから問題ないと食い下がっていたが、この国でお盆というものはかなり特別なものらしく、最後には渋々納得したようだった。
『なに!? 天やん走って帰るんか!? 車に乗らんのやったらワイも行くで!』
と、興味をしめしたのはアカさん。
普段はこの敷地から出ることのないアカさんは、鼻息を荒げて朱天から離れようとしない。
最近漫画も読み飽きていたようだし、いい気分転換になるだろう。
鬼の住処。
魅惑の場所である。
行ってみたい気はしたのだが、いつもべったりとそばにいる朱天から離れたかった私は、天秤にかけた末に諦めた。
そんな朱天とアカさんを見送ったのは今朝のこと。
風吹は「色々買い物してくる」と、昼食の用意をすると出かけてしまった。
「今日は今年一番の猛暑日になるでしょう。西京府での最高気温は38℃を超える予想でーー」
海斗に買ってもらったラジオから流れる恐ろしい情報に、私とソラは耳を疑った。
『聞いたかにゃ、リク』
『あぁ、信じられないな』
元の世界に気温という概念はなかったが、せいぜいが25℃くらいだと考えられる。
年間を通して春のような世界だったのだ。
今まで以上に気温が上がるとなると――これは魔道への挑戦状なのだ!
『ソラ、自動防御を解け! 魔道の真髄を見せてやる』
『ど、どうせあちき達2人だけにゃんだから自動防御でいいにゃ』
逃げ出そうとするソラの首根っこを掴み、取り押さえる。
猫というものは不思議なもので、ここを抑えると力が抜けるらしい。
『私特製の魔塵粒子で自動防御を破壊してもいいんだぞ』
『わ、分かったにゃ! 解くから、もう特製のはいらないにゃ!』
慌てふためくソラを見て、私も自動防御を解除した。
むわっとした空気が包み込み、僅かな間に汗がにじみ出る。
滝行でもすれば、きっと気持ち良いだろう。
『で、どうするにゃ?』
『まずは結界の範囲を広めるぞ』
宿舎だけを覆う結界を、庭まで入る大きさに再度張りなおす。
外にある立水栓からホースを引っ張り、蛇口を最大までひねると、水の軌跡は放物線を描いて地面に吸い込まれる。
その着地点を氷の魔道で冷やせば、みるみる氷の山が出来る仕組みだ。
飽きることなくそのまま30分。
庭の気温はグンと下がり、2m近い氷の山が誕生した。
『これは滑り台みたいにゃ!』
山に登ろうとして滑り落ちるソラは、最初こそはしゃいでいたが、その毛が濡れ出すとぶるぶると震えている。
『くちゅっしゅ! 寒いにゃ』
『当たり前だ。風邪ひくぞ』
仕方なくドライヤーで乾かしてやったのだが、さすがに家の中はまだ蒸し暑い。
宿舎の中も冷やすように、風の魔道を使って空気を循環させる。
冷たい風が室内を通り過ぎれば、肌寒いほどだ。
再び外に出ようとすると、先に駆けていったソラの叫びが聞こえてきた。
『リク、大変にゃ! 氷の山が半分以下の大きさになってるにゃ!』
『くっ、まだだ! 魔道の力はこんなもんじゃない! ソラ、水の用意だ!』
立水栓へと走り、小器用に蛇口をひねるソラ。
勢いよく放出される水を、今度は簡単には溶けないように魔塵粒子を深く練り込む。
表面が粉を吹き始めるころ、私の魔塵粒子は尽きてしまった。
水を止めたソラが駆け寄ると、興味深々で氷の山にそっと触れる。
『なんかさらさらしてるにゃ――ふぎゃ!』
地面に前足を擦り付けるソラを見て、私も触れてみる。
意外と冷たくは――痛っ!
刺されるような痛みを感じて手を引っ込める。
これは危険なものを作り上げてしまった。
それにしても寒い。
少々やり過ぎたようだ。
私は布団を取ってくるとソラと一緒にくるまり、氷の山を見ていた。
太陽の光を受け、鮮やかな煌めきを見せる氷の山。
溶け出た水蒸気が虹色を映し出している。
どれくらいぼーっと見ていただろう。
疲れからかあくびが出てしまう。
つられてソラが不細工な顔を晒している。
『リク、疲れたにゃ』
『そうだな、疲れた時こそ修行でもするか?』
覇気のない会話をしていると、玄関の方から叫び声が聞こえてきた。
「ただいま――って寒っ!」
荒々しい足音が近づいてくると、両手いっぱいに荷物を持った風吹が鬼のような形相をしている。
朱天と今の風吹が並んだら、誰もが風吹こそ鬼と言いそうだ。
「リク! あんたの仕業だろ!おかしな力はあれほど使うなって言っただろ!」
「いやぁ、涼しくしようかなと」
「布団まで引っ張り出してきて! これは涼しいじゃなくて寒いだろうがぁ!」
あまりの剣幕にソラは布団の中に隠れてしまう。
ブルブルと震える風吹の説教を受け、私は結界を解除した。
一気に冷気を解放したので、上昇気流が立ち上り辺りに突風が吹き荒れる。
「リクーー!!」
その後も風吹の説教は続く。
宿舎の中は荒れ、色んなものは湿っていたからだ。
説教がようやく終わり、宿舎の片付けを命じられた私が掃除を始めると、ソラが他人事のように話しかけてくる。
『テキパキ掃除するにゃ。あちきはもうお腹ペコペコにゃ』
『……掃除が終わるまでは飯はあたらないぞ』
『リク、頑張るにゃ。そうそう、疲れたからお肉がいいって言って欲しいにゃ』
『今の風吹に言えるか!』
その時――掃除を手伝ってくれていた風吹が振り返る。
「こんなことをしておいて、リクエストとはいい度胸だな!」
『にゃ!?』
「えっ!?」
私とソラは風吹を見て、そのまま固まるのだった。




