後日談――賀茂月保⑤
「なぁ、朱天。私は月保のように式神をバーンと呼び出したいわけだ」
「主よ、心配なさるな。この朱天、例え十二神将が相手でも負けはしませぬ」
俺たちは神社に戻っているのだが、教祖と酒呑童子の噛み合わない会話を聞いていると胃の辺りに痛みを感じる。
羨ましそうに俺を見る教祖と、憎しげな視線を向ける酒呑童子。
はっきり言っておっかない。
「月保……だったな。見たところ駆け出しの陰陽師といったところか。同じ主に仕える者同士、我が手解きをしてやっても構わんぞ」
「えっ、い、いや、間に合って……なんでもないです」
怖ぇ。
この鬼は視線だけで人を殺せるんじゃないだろうか?
勢い余って「俺はこんな男に仕えた覚えはない!」なんて言った日には、口を閉じる間もなく首を跳ねられそうだ。
「案ずるな。主の配下の中で最強の我が強くしてやる」
「いや、別に……いえ、なんでもないです」
どうやら酒呑童子は教祖の配下の中で序列一位は自分だと示したいのだろう。
配下でも信徒でもない俺にとってはありがた迷惑な話だ。
「思い返せば我の唯一の弟子、安倍晴明にもよく手解きしてやったものよ」
「はぁっ?」
いやいやいや、確かに安倍晴明と酒呑童子の生きた時代は重なるが、弟子とかありえないだろ?
いや、仮にそうだとしてもとにかく話を合わせておいて、二度とここには来ない。
これが最適解だ。
「朱天は陰陽師に詳しいのか?」
「この朱天、1100年の間に様々な陰陽師と戦って来ましたぞ。そんじょそこらの者とは比べ物にならぬほどの、知識と経験を備えております。きっと主の役に立てるでしょう」
教祖の笑みが不気味を通り越して寒気を感じるレベルになっている。
しかしこれは好都合だ。
もう教祖の標的は俺から酒呑童子に変わっただろう。
俺は酒呑童子の肩に手を回す教祖から逃れるように、歩くスピードを早めていった。
神社に戻ってくると、作務衣を着た青山が石の階段にちょこんと座り俺を待っていた。
そしてこちらに気づくと何やら難しそうな顔で眉をひそめる。
「青山、待たせて悪かったな」
「賀茂くん……その服どうしたの?」
「あぁ、これ? 教祖がさ、着替えだって渡してくれたんだ」
「……もしかして賀茂くんって、陸道教の中で偉い人なの?」
立ち上がった青山は俺のそばまでくると、物珍しそうに右から左から服を摘んでは引っ張ってくる。
あぁ、俺だけ作務衣じゃなくて狩衣を着ているからか。
1人だけ違う服を着ていれば、特別扱いされていると勘違いもするだろう。
「いや、たまたまこれしか無かったんだよ。だって俺は陸道教徒じゃないし」
「えっ? 賀茂くんは入らないの?」
「あぁ、入ら――るかもしれないような」
不意に背後から巨大なプレッシャーを感じて言葉を濁す。
いや、これは殺気だな。
青山はというと、青ざめた顔で俺の袖をギュッと握る。
「ね、ねぇ賀茂くん……お、鬼がいるよ」
青山の言葉で振り返る。
もちろん正体を知っているとはいえ、俺には美男子が立っているようにしか見えない。
だが青山はハッキリと鬼と言った。
「ほぅ。浄眼の……巫女か。その目を持つ者に会うのは久しいな」
浄眼。
陰陽の呪法にもある、魔を見破る破邪の力を持った目だ。
俺は青山を庇うように半歩前に出た。
「さすがは主。良き配下をお待ちだ。娘、我が名は朱天。我は同じ主に仕える者、危害を加えたりはせん。そう怯えるな」
「か、賀茂くん」
青山の手が震えている。
理解が追いつかないのだろう。
一連の事件は教祖が誤魔化したのに、目の前に鬼という存在がいる。
もう言い逃れようがない。
そんな中、とぼけた顔で歩いてくる教祖。
こっちは冷や汗ものなのに、能天気な面を見せる教祖にムカムカしてしまう。
近寄る教祖に小さな声で語りかける。
「おい、青山にはあいつが鬼に見えるらしい」
「んっ? あぁ、朱天は鬼だからね」
馬鹿なのか?
少しは状況や流れを考えてくれ。
俺がぶん殴りたくなって拳を握ると、教祖は青山のおでこにトンと指先を当てた。
「なっ、ちょっ――!?」
突然体から力が抜け、倒れそうになる青山をとっさに支える。
俺は教祖を睨みつけた。
「どういうつもりだ!」
「大丈夫、眠らせただけだ。青山さんをおぶって建物に入っててくれ。朱天はこっち」
教祖は何食わぬ顔で酒呑童子を連れてどこかに行ってしまう。
どうすることも出来ない俺は、腹を立てながらも青山を背に担ぎ、神社の拝殿へと入るのだった。
冷んやりとした床に青山を寝そべらせ、頭に枕がわりのバックを置く。
眠っているのは本当のようで、胸が上下に揺れ、口からは寝息が聞こえる。
「青山……」
ここに来たのは失敗だ。
酒呑童子はもとより、せっかく鬼や陰陽師と無関係になった青山を引き戻してしまった。
俺は他と違う世界を見る人間の苦悩を嫌というほど知っている。
短い付き合いでしかないが、活発で無邪気な女の子。
今まで住んでいる世界が違うと誰とも仲良くしなかった俺に、普通を感じさせてくれた。
青山には普通の女の子でいて欲しい。
床が鳴り、教祖が1人歩いてくると「月保、話がある」と、手招きする。
俺は理不尽な怒りだと分かっていても抑えられず、教祖に詰め寄り胸ぐらを掴んだ。
「せっかく青山は無関係になったんだぞ! あいつはこっちの世界に来ていいやつじゃないんだぞ!」
「落ち着け月保。とりあえず座れ。なっ」
どれだけ睨みつけようとも教祖は諭すような柔らかな表情を崩さない。
根負けするように俺は、ドカリと腰を下ろした。
それを見て教祖も対面に座り胡座をかく。
「朱天から話を聞いたが、少し確認したい事がある。彼女は月保が付けていた小鬼には気付いてなかったんだよな?」
「……あぁ。何度か青山を見ていたがそんな素振りはなかった」
「そうか。私も初めて彼女に会った時は気づいてないと感じていたから間違いないだろう。で、だ、おそらく今の彼女はその小鬼が見えるだろう。朱天から聞いたが、あの擬態は月保が小鬼に使った姿隠しの呪法を超えるものらしいぞ」
「意味が分かんねぇよ! 青山の力が急に増したとでも言うのか!」
教祖は寝ている青山を一瞥すると、左の掌を腹の前で上に向ける。
微かな青い光の粒が掌の上で舞っていた。
「月保、見えるか? これは魔塵粒子と呼ばれる魔道の力だ」
「……その青い光がか?」
「そうだ。今日ここに来るまでの月保なら見えなかったものだ。彼女の浄眼と呼ばれる力が何故急に伸びたのかは分からない。智徳法師に接近したからなのか、ここで魔道を体験したからなのか、はたまた月保と触れ合う時間が多かったからなのか」
滝行の時から見えていた青い光。
以前は見えなかったと言われても信じられない。
だが教祖が嘘を言ってるとも思えなかった。
「だからって、青山はこれからどうなるんだ? この教団の巫女にでも仕立てようってつもりか?」
「そんなつもりはない。朱天にも聞いたが、浄眼があるからといってそうそう鬼といった存在が街中にいるわけじゃない。だが、まったく関わらないという保証はない」
「――っ! じゃあどうするんだよ!」
教祖を責めるのが筋違いなのは分かっている。
だが行き場のない苛立ちの向かう先がそこにしかなかった。
「これから彼女の能力がどうなるのかは分からない。だが、何かあった時は護ればいい。鬼のこと、陰陽師のことを話した上で、月保、君が護ればいい」
「……俺が……守る?」
「智徳法師の時だって月保が守ったんだろ? 教えることが得策ではないとしても、知らないよりは知っていた方がいい時もある。違うか?」
確かに俺の存在はともかく、鬼がそこらにいるわけじゃない。
むしろ俺と一緒にいなければ確率はぐっと下がるだろう。
でも、また智徳法師のような奴が青山を見つけたら……。
俺に守れるのか?
それなりの陰陽師だという自負は、智徳法師や酒呑童子にへし折られた。
いつだって無茶な戦いをしてきたが、とても敵わない存在がいる。
「月保が望むのなら、強くなる手助けはしてやれる」
「……俺を強く、青山を守れるほど強くしてくれるのか?」
教祖は静かに頷いた。
何が最善なのかなんて分からない。
でも俺に守る力があれば、青山だって普通の生活が送れるような気がしてしまう。
「信じていいんだな? 分かった、青山に全部話す。だから、俺を……青山を守れるように」
まだ頭が混乱したままだが、俺は教祖に頭を下げた。
すると白い紙が床を滑って視界に入ってくる。
「じゃあ、これにサインをしてくれ」
「――!? はぁ? 陸道教入信届け?」
がばりと顔を上げると、ニマニマとした教祖の顔。
さっきまでの真面目な話はなんだったんだ?
しかも用紙をよく見れば小さな文字で『※入信するにあたり魔道の発展のために体をもって貢献します』などと、あからさまに怪しい文面が載っている。
「ほら、強くなりたいんだろ? そこにサインするだけだよ」
「くっ!」
いつの間にか教祖の横には酒呑童子が立ち「サインしなきゃ……分かるよな?」とプレッシャーをかけてくる。
ヤクザな手口だ。
もはや逃げ道はなく、サインをした俺は陸道教信徒となった。
青山が目を覚ましたのは日も傾き夜になってから。
一通りの説明を終えた頃には、不思議なことに不安げな表情はなりを潜めていた。
「なぁ、青山。ごめんな」
「どうしたの賀茂くん。謝ることなんてないよ」
青山の家まで車で送ってもらう最中、後部座席で俺は謝った。
不本意ではあるが巻き込んでしまったこと。
もしかしたらこれから非日常の世界に足を踏み入れてしまうこと。
なのに青山は笑顔だった。
「不安じゃないのか?」
「えっ、だって賀茂くんが守ってくれるんでしょ? 賀茂くんなら信じられるもん」
こう真正面から言われると、なんとも気恥ずかしい。
うん。だからこそ青山を守ってやりたいと思うんだ。
青山の家に着くと海斗さんは「また次のセミナーの時に迎えにきますね」と爽やかな笑顔を見せて帰っていった。
俺も自分の家に戻ろうとすると、青山が呼び止める。
「あのね、賀茂くん。そのね」
そこまで言って大きく深呼吸する青山。
あまりに大きな声だったので近くに寄ると、ジッと俺の目を見つめてくる。
「この前は助けてくれてありがとね。きっと賀茂くんは私の白馬の王子様なんだって……思うの」
しりすぼみに声が小さくなると、外灯に照らされた青山の顔がみるみる赤らむ。
「わ、私も、賀茂くんのこと……す、好きです」
「はぇ?」
し、しまった。
鬼や陰陽師のことは一通りは説明はした。だが俺が青山に気があるって話が教祖の作ったものだと説明していない。
――これって……告白だよな?
恥じらいながらこちらを見る青山。
よく見なくたって可愛いと思う。
いつの間にか青山に惹かれているのは気付いてる。
ただ、陰陽師だからとか、鬼のこととかと逃げていただけだ。
「あ、青山」
うるさく鳴り響く心臓の音。
ゆっくりと目を閉じる青山。
吐息が当たるほどに顔を近づけた時だ。
「こらーっ! 今、何時だと思ってるんだ!」
玄関の扉が乱暴に開けられ、飛び出してくる青山のお父さん。
そしてそれを羽交い締めして抑えながら「もうお父さんったらいいところなのに」と嬉しそうな青山のお母さん。
「お、遅くまですいませんでした。あ、青山、また学校でな」
「あっ、う、うん。またね賀茂くん」
俺はお父さんの叫びを背中に浴びながら駆け出した。
あれだけモヤモヤしていたのが嘘のように体が軽い。
その後、陸道教で地獄の鍛錬を受けるハメになるとは知る由もなく、俺は初めて感じる青春ってやつを噛み締めていた。




