後日談――賀茂月保③
樹々のひらけた場所まで来ると、教祖は立ち止まりカバンを下ろす。そしてチラチラとこちらを見ながらクナイを刺した護符を手に持つと、四方に投げつけた。
護符の文字が輝きを帯び、空気が圧縮されたような感覚を受けると世界を隔絶する光の壁に囲まれた。
「マジかよ」
俺が見たことがないほどに鮮やかな結界。
この教祖はいったい何者なんだ?
「見ての通り結界は出来るようになったんだが、式神の召喚が分からないんだ。教えてくれ」
「はぁっ? 陰陽術を教えろってこと?」
「そうだが、まずいのか?」
おいおい。
そもそも陰陽術は式占、暦占、相地、天文占などの占術、鑑定を勉強して、初めて法術、呪術、式術を覚えるものだ。
まぁ、俺も色々すっ飛ばしてきたところはあるが、ある程度は幼い頃から教え込まれている。
「いやいやいや、式神とか法術とかは色々勉強しないと出来ないから。やり方だけ教えて出来るもんじゃない」
「この前習った結界は張れたんだ。出来るだろ?」
って、この教祖は、俺が前に少し教えた情報だけでこの結界を張ったってことか?
だが百歩譲って結界が張れたとしても、式神はそんなに甘いもんじゃない。
結界は自分の力だけで張れるが、式神となると相手が必要。
契約と同じだ。
自分の呪力を捧げる対価として、鬼や神霊から力を借りる。
膨大な訓練と様々な知識が揃って、ようやく召喚できるんだ。
俺だって血の滲むような修行を終えて、ようやく十二天将の1柱である『白虎』と契約を結べるようになった。でも生半可な努力では小鬼を呼ぶことさえ出来ない。
……無理だと実感してもらうのが一番か。
「教えはするけど出来ないからって荒れないでくれよ」
「そんな子供ではない」
自信満々で言い切っているが、大丈夫だろうか?
俺はバッグから1枚の形代を取り出した。
「これは形代って物だけど、依代と同時に契約書でもあるんだ。中に文字が書いてあるだろ? 簡単に言えば呪力を渡す代わりに力を貸して貰うって契約書だ」
「なるほど。とにかく力を渡せばいいんだな」
うーん。
間違ってはいない。
この教祖が呪力とは別の、何か不思議な力を持っているのは知ってる。
俺の傷も治したし、アホみたいな身体能力も持っていた。
「一回だけ実演するからな。唵阿毘羅吽欠娑婆呵、唵阿毘羅吽欠娑婆呵」
人差し指と中指で挟んだ形代に呪力を込め空中に投げ出すと、地面に落ちるまでに鬼へと姿を変える。
正式な契約とは違い俺の呪力に食いついただけの存在だが、それでも力を貸してくれる鬼だ。
「おおっ! すごいな、私にも1枚貸してくれ!」
「あっ、あぁ」
俺は1度鬼を還して、バッグから新たな形代を取り出した。まるで待ても出来ない犬のようにすかさず奪っていく教祖。
まだ何ほども説明してないんだが……やって出来なきゃ納得するだろう。
結界の中心に移動した教祖は俺のポーズを模倣して呪文を唱える。
「はっ!」
投げ出された形代は、ヒラヒラと空中を泳いで地面に舞い落ちた。
当然何も起こらない。
起こったのは2匹の猫の爆笑だけだ……。
猫の笑い転げる姿は初めて見た。
教祖は顔を引きつらせながら形代を拾うと、何度も何度も繰り返す。
軽く50回は超えただろうか。
両手両膝をつき、「なぜだ」と項垂れる教祖の肩にキジトラ猫が飛び乗る。
猫がニャーニャー鳴いていると、むくりと立ち上がり、俺に詰め寄ってきた。
「智徳法師は形代を使わずに鬼を呼び出していただろ? あれはどうやるんだ?」
「あれは邪法だし、式神じゃなくて鬼を受肉させる術だから」
形代を使わない簡単な術に見えたのかもしれないが、式神と違って簡単に還すことも出来ない危険な術だ。
理論は知っているが試してみようとは思わない。
呼び出した鬼が言うことを聞かない例も聞いたことがあるし、智徳法師だって呼び出せただけで受肉が定着せずに拒否反応を起こしていた。
「迷惑はかけない。やり方だけ、やり方だけ教えてくれ! 教えてくれたら教祖を譲ってもいい!」
……いらない。
なりふり構わない熱願を見ていると、なんだか俺が悪者のような気になってしまう。
まぁ、式神より遥かに難度の高い術だ。
さすがにこれで諦めるだろうと……俺はタカを括っていた。
「はぁ、これでダメなら諦めてくれよ」
まったく諦める気のない顔で頷く教祖。
「やることはシンプルなんだ。自分の血で右手に千手観音を表す【キリーク】。左手に薬師如来を表す【ベイ】の文字を書くんだ」
俺は地面に梵字を書いて示した。
「あとは血に呪力を込めて地面に写し、鬼を呼び出せばいい。でも鬼の体を作るほどの呪力がなきゃどんな下っ端の鬼もやってこない。多分俺がやったところで小鬼がいいところだ」
この術が邪法とされている理由がそれだ。
大量の呪力を消耗してしまえば呼び出した鬼の方が強くなってしまい、そのまま殺されてしまう可能性がある。
鬼より優位に立とうと力の出し惜しみをすれば、呪力が足らずに呼び出せない。呼び出しに成功しても智徳法師のように受肉に失敗してそのまま崩れ去ることも多い。
元々この術は自分の命と引き換えに、強力な鬼を召喚するもの。
式神の方が安全なので、誰も使わない術だ。
この教祖は呪力を持ってなさそうだから血を出すだけ無駄な術になる。
教祖はなんの躊躇いもなくクナイで腕に一文字の傷を作ると、嬉しそうに両手に梵字を書いていく。
見てるこっちが引くほどだ。
「呪文はいらないのか?」
「呼び出したい鬼のイメージを膨らませて、さっきと同じ唵阿毘羅吽欠娑婆呵でいい」
イメージを言葉にする必要は無いのだが、「鬼! 鬼! すごい鬼! こいつらをギャフンと言わせる鬼!」と心の声が漏れまくっている。
すると教祖の両手から青白い光が立ち昇る。
あれは呪力じゃないと自分に言い聞かせるのだが、冷や汗が止まらない。
そして教祖の両手が地面に押し当てられると、地を這う放電が空気を震わせ、螺旋を描く風が巻き起こる。
俺は両腕で顔を庇い、隙間から信じられないものを目にする。
光が集まり凝縮されると人を形取り、ヤバイ何かがこの世に現れようとしていた。
全身が震え、少しでも気を抜けばそのまま座り込んでしまいそうになる。
光が収まると、教祖の前に美丈夫が立っていた。




