人生の縮図
「そこまで知っているのに、なんで?」
「自業自得よね? 女子高生、大好きさん」
「あのさ。いかがわしいラジオネームみたいな呼び方は止めてくれないか? 本当に誤解だよ。君だけだってわかってるだろう?」
自分で言っておきながら、公開告白のようで恥ずかしくなった。両隣のテーブルは手を伸ばせば届く程の距離だ。周囲の席には、カップルや家族連れもいるというのに。
彼女が嫉妬深いというのはわかっている。会社で顔を合わせている時はサバサバとした印象なのに、ふたりきりになると別人のように甘えてくる時があるから不思議だ。
甘えられるのは嫌いじゃないけれど、そのギャップに戸惑うこともある。僕が好きな三重奏のチョコレートにも苦みと甘みがあるように、誰もが表と裏の仮面を使い分けている。けれど、花蓮はその振り幅が極端に見えて、まだどちらが本当の彼女なのかわからない。
すると花蓮は、穏やかな笑みを浮かべた。
「少し、誠意が足りないんじゃない?」
「ええっ」
僕の想いは儚く散り、女神の裁きは下された。眼下へ、盛大にかき混ぜられた玉子かけハンバーグが出来上がる。
「あの〜。ふたりとも、おのろけは家だけにしてもらえませんか?」
鉄板から顔を上げると、メニューから目元だけを覗かせたハルが僕たちを伺っていた。
「この惨劇が、おのろけに見えるかい?」
「はい。充分に」
こんなにも打ちひしがれているのに、あっけらかんと言い放たれた。なぜかそのまま、メニューのデザートページを差し出してくる。
「二人の甘々ムードにあてられて、甘いものが食べたくなっちゃいました。チョコレートパフェ、追加してもいいですか?」
もう何も言えない。ふと花蓮を見れば、恥ずかしそうに頬を赤らめている。それを目にした途端、なぜか僕まで溜まらなく恥ずかしくなってしまった。
そうして、ハルは追加オーダーを終え、僕がハンバーグへナイフを通す作業に没頭している時だった。
「そうそう。チョコって言えば、あの三重奏って凄くよく出来ていると思いませんか? 卵型で可愛いんだけど、あれって誕生を意味しているんじゃありませんかね? 苦みと甘みがマッチした味も、人生の縮図を表しているような気がするんですよね」
ハルは自身の言葉に深く頷いている。
「チョコレートひとつから、随分と哲学的なことを考えるんだね。君は将来、大物になると思うよ。僕が断言するよ」
その考察に、ハンバーグひとつでうろたえている自分が情けなくなった。
そうして彼女はチョコレートパフェを平らげ、ようやく満足したようだった。食後のティータイムを終えた僕らは重い腰を上げ、一番近い出入口へ向かうことにした。
ハルの記憶は依然として戻らないけれど、今を満喫して笑顔が絶えない。今日は気の済むまで相手をして、明日になったら警察へ相談してもいい。そう思った矢先。
「危ない。出口から離れてください」
前を歩いていたハルが、僕らを庇うように両手を広げて駆け戻ってきた。なぜか顔面は蒼白で、切羽詰まった緊張を帯びている。
「なに? どうしたの?」
体当たりをされるように強く押し戻され、不満の声が漏れてしまった。しかし、彼女の顔は必死で、真剣そのものだ。
その理由はすぐに判明した。僕の目に映ったのは、店舗の入口へ迫って来る一台のトラックだった。運転席へ初老男性の姿が見えるけれど、顔はうつむき、とてもまともな運転をしているとは思えない。
そして文明の利器である鋼鉄製の乗り物は恐るべき凶器と化し、減速することなくショッピング・モールへ突っ込んできた。
凄まじい破砕音。飛び散るガラス片。
トラックは入口に最も近い店舗を破壊し、壁にぶつかってようやく停止した。
倒れた人々の姿と沸き起こる悲鳴。一瞬で地獄絵図と化したその場所は、混乱と喧噪と野次馬たちでごった返した。
「これって……」
こちらへ逃げてくる人波に押され、倒れそうになった体をどうにか立て直した。マネキンのように棒立ちになって、その光景を見つめていることしかできない。
撥ねられた人がいた。下敷きになり、車の底から足が覗いている人もいる。あのまま出口へ向かっていれば、間違いなく僕たちも同じ運命を辿っていた。
視界の端では、警備員や従業員が慌ただしく動いている姿も見える。しかし、今、最も重要なのは眼前のハルだ。
彼女もまた、驚愕の表情で惨状を振り返っている。その背中は恐怖に震えているけれど、無理もない。僕でさえこんな有様なのだ。十代の彼女には、より衝撃的な光景だろう。
「どうしてかわかんないけど、見えた……この光景が、見えた」
「見えたって?」
想像の上をゆく言葉を返され、思考が追い付かない。
彼女はこの光景を予見し、いち早く回避するために僕等を押し下げた。それが事実だとしたら、彼女が恐怖する元凶は眼前の現実ではなく、自身の内にあるということだ。
少女は自らの体を抱きすくめ、震え続けている。彼女にしか見えない未知の恐怖。それを請け負うことなどできるはずがない。
「とにかく、ここを離れましょう」
花蓮に強く腕を引かれて、ようやく現実へ立ち戻った。何にしろ、僕らはこうして助かった。今はその事実だけで充分だ。
「他の出口から、ハルちゃんを落ち着ける場所へ連れて行って欲しいんだ。僕は、怪我をした人たちを助けてから行くよ」
それは決して善意などではない。運よく助けられたという後ろめたさや罪悪感のようなもの。そこから目を背け、逃げ出すように、僕は束の間の救助作業に没頭した。





