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不協和音の三重奏 〜今もまだ〝君〟への想いが消えなくて〜  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
第一楽章 BITTER

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子犬


 そうしてショッピング・モールの最寄り駅へ下車するなり、ハルは物珍しそうに辺りを見回し始めた。


「うわぁ。オシャレなお店がいっぱいですね」


 なんだか、初めて都会へ来たようなはしゃぎ方だ。ひょっとしたら地方出身の可能性もあるけれど、あのコーディネートを見るに、都会的な暮らしをしている印象は否めない。


 ハルは嬉しそうに町並みを眺めていたけれど、急に首を傾げて僕を振り返ってきた。その顔にはなぜか、困惑の色が滲んでいるようだった。


「よくわからないんですけど、なんだかこの風景が自分の中でしっくりこないんですよね。うまく説明できないけど、ど忘れしたときの感覚に似ているかも。ちょっとだけ、ひとりで見て回ってきてもいいですか?」


「構わないよ。お店の場所は覚えてるよね? 入口で待ってるから」


 人波に飲まれてゆく彼女の後ろ姿を眺めていると、隣へ花蓮(かれん)が並んだ。右手を取られ、即座に指を絡めてくる。手の平から彼女の温もりが伝わり、思わず鼓動が高鳴ってしまった。


「ねぇ。ハルちゃんって、誰かに似てると思わない?」


 僕を試すような視線と、口元へ浮かんだ笑みが心をモヤモヤさせる。


「有名人とか? テレビはあまり見ないから、見当も付かないけど」


「顔立ちもだけど、ちょっとした仕草とか、雰囲気とかね……」


 誰に、という僕の問い掛けを無視した花蓮は、繋いでいた手を解いた。そして鼻歌を交えながら、ひとり歩きだしてゆく。


「投げっぱなしは勘弁してほしいんだけど」


 僕はそんな彼女の背を眺め、首を捻ってコートのポケットへ手を入れた。


「そうだった」


 目的のチョコレートがないことを思い出し、激しい落胆に襲われた。


守時(もりとき)?」


 苦笑して頭を掻いていると、不意に横手から声が掛かった。そこには、スーツ姿でアタッシュケースを提げる同僚の姿があった。


岩見(いわみ)。今日も仕事か? 頑張ってるな」


 なぜか、僕の言葉に顔をしかめている。嫌悪というより、怒りに近い形相だ。


「打ち合わせの帰りだ。これから社に戻って、提案書作り。忙しいったらありゃしない」


 苛立ちを滲ませた顔で詰め寄ってくる。


 元が(いか)つい顔をしている上に、学生時代は柔道で鍛えたという体格の良さだ。威圧感が凄まじい上に、今にも殴られそうな迫力に気圧されてしまう。


「そっちは休みを満喫か? 余裕だな。うちみたいな中堅ゼネコンは、ガツガツ仕事を取らないと生き残れないぞ」


 側にある喫煙所で一服していたんだろう。スーツだけでなく、口臭からもタバコの匂いが漂ってくる。


 胸の内から込み上げてくる不快感は、苦手な匂いを浴びたせいなのか。それとも、隣へ立つ岩見に対するものなのか。


「余裕も何も、働き詰めじゃ体が保たないよ。リフレッシュも大切だろ」


「リフレッシュ? 呑気に遊んでる間に、美味しい話も逃げちまう」


 休日を楽しむのは悪、とでも言うような顔だ。仕事一筋で生きている岩見とは、絶対に価値観を分かち合うことはできない。


 でも、そんな彼も入社直後から花蓮へ言い寄っていたひとりだ。もしも彼女が岩見を選んでいれば、この仕事人間でさえ、もっと違った生き方をするようになったかもしれない。


守時(もりとき)。おまえ、変わったよな」


「なにが?」


 呆れていると言うのが正しいだろう。なぜか、妙な物を見るような目を向けられた。


世良(せら)はともかく、入社当時のおまえは違っただろ? 早く上に行きたいって、仕事に飢えた狂犬みたいだったのによ」


 岩見は溜め息交じりにつぶやくと、あらぬ方向へ視線を逃がした。その先には、こちらを伺う花蓮(かれん)とハルの姿があった。


「それが今じゃ、飼い慣らされた子犬か。つまらない男になったな」


「子犬って、酷くないか?」


 確かにここ最近は、仕事よりも花蓮との時間を優先してしまっている。耳に痛い話だ。


「俺たちも入社三年目だぞ。仕事もある程度馴れてきて、一番気が緩む時期かもな。そこに大澄(おおすみ)のダメ押し。あれだけの女だ。のめり込むのも、ほどほどにしろよ。男なんざ、仕事ができてなんぼだ。仕事が」


 岩見の言うことは間違っていない。ようやく恋が実り、今はふたりの時間が楽しくて仕方ない。口では否定しながらも、子犬という表現もあながち間違いじゃない。


 乾いた笑いを漏らすと、隣に立つ岩見の口からは大きな溜め息が聞こえた。


「まぁいいや。おまえがデートを楽しんでる間に、俺は一歩も二歩もリードするからな。同期の中で、一番の出世頭になってやるよ」


 岩見は時間が惜しいとでも言うように、足早に改札へ向かう。そうして聞こえてきたのは、ICカードを読み取る電子音。その音は、僕と彼を識別するための特別な音のように聞こえた。


 どちらの生き方が正しいだなんて、そんな優劣を決めることはできない。けれど、岩見の後ろ姿を素直に格好いいと思ってしまう僕がいるのも確かだ。


「子犬、か……」


 陰鬱(いんうつ)な気分は溜め息に乗せて流した。気持ちを切り替え、花蓮の元へ走る。


 誰にどう言われようと僕は僕だ。今は花蓮との時間を存分に楽しめばいい。それに、ハルの問題を解決してあげたいという重大な目的もある。


 岩見の姿を頭の中から追い払い、今の状況を楽しむことにした。心のどこかで、三人で過ごす時間を心地良く感じ始めている。


☆ ☆ ☆


「花蓮さん。これ、凄く可愛いですよ」


「本当。ねぇ、こっちも素敵じゃない?」


 ふたりは気楽なもので、ウインドウ・ショッピングを楽しみながら店内を練り歩いている。


 結局、ハルが感じていた違和感の正体はわからないままだった。わからないことをあれこれ思い悩んでも仕方ないという花蓮の言葉に従い、今は買い物を楽しもうという思考に切り替えた。


 花蓮はハルに不安を感じさせないよう、終始明るく振る舞っている。行動的になった時の彼女は、頼れる姉御のような存在だ。


 そして僕らは目的地であるチョコレート専門店へ。バレンタインに向け、僕にくれる手作りチョコの材料を仕入れるのだという。


(かける)はここで待っていてね。覗かないでよ」


 どんなチョコを作るのかは秘密らしい。まるで、鶴の恩返しの主人公になった気分だ。

 そう言われては期待してしまうし、荷物を持たされることも(いと)わない。僕はフロアの中央へずらりと設置された長椅子に腰掛け、ふたりの買い物が終わるのを待つことにした。


 持て余した時間を潰すため、スマートフォンへ映し出された情報の海へ飛び込んだ。深く潜ってゆくほどに意識は外界から隔離され、自分の内なる世界へ籠もってゆく。

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