砂の城
そうして食後のコーヒーを堪能していると、世良はテーブルへ正方形の包みを出した。ピンクの包装紙には赤いリボンが巻かれている。
「未希ちゃん。お待ちかねの誕生日プレゼントだ。僕たちからは絵本だよ」
「開けてもいい?」
言うが早いかリボンを解き、包装紙を破りかねない勢いで手を掛けた。
「未希。待ちなさい」
せっかくのプレゼントを乱暴に扱いたくはない。娘の手を止め、一緒に包装紙を開封すると、現れたのは仕掛け絵本だった。
ページをめくる度、女の子や動物、お城など、様々なペーパークラフトが飛び出した。
未希は悲鳴のような歓声でそれに応える。
「おじさんからは、クマのぬいぐるみだ」
岩見は、仕掛け絵本を一通り流し見たタイミングを見計らい、ぬいぐるみをテーブルへ座らせた。未希でも抱きかかえられる、程よい大きさだ。
すると、それを見た世良が笑いを漏らした。
「クマみたいな奴が、クマをプレゼントだって。そういえば、去年もぬいぐるみじゃなかったっけ? 芸がねぇなぁ」
「馬鹿野郎。去年はウサギだ。それに、こういうのは気持ちが大事なんだ。気持ちが」
何にしろ、未希がとても喜んでくれている。その笑顔を見るだけで幸せな気持ちになる。
すると視界の端で、美咲さんが身を乗り出してくるのがわかった。
「未希ちゃん。パパたちはお話があるから、あっちのテーブルで一緒に絵本を見ようか」
美咲さんと手を繋ぎ、嬉しそうに歩いて行く未希。反対の手には、貰ったばかりの仕掛け絵本とぬいぐるみをしっかりと抱えている。
世良夫婦とは一緒に出掛けることも多く、家族ぐるみの付き合いをさせて貰っている。
未希は母親の愛情に飢えていたのか、あっという間に美咲さんへ懐いてしまった。親離れへの寂しさと、娘への申し訳なさという複雑な心を抱えたまま、その付き合いは今もこうして続いている。
美咲さんが子ども好きということもあるけれど、その人懐っこい笑顔は遙佳を連想させた。肩までのショートヘアは清潔感が漂っていて、落ち着いた雰囲気と気さくな性格はとても付き合いやすい。世良には本当に勿体ない奥さんだ。学生時代からの付き合いだという話だけれど、ようやく結婚してくれたことが自分のことのように嬉しい。
「やっぱり、女の子は可愛いよなぁ。うちも子どもを作るなら、女の子がいいんだけどな」
「そればっかりはどうにもならないよ。授かり物なんだし、流れに任せるしかないって」
世良は未希に会うと、よくその言葉を口にする。彼の世話焼き癖を受け継いだとしたら、気立ての良い女性になると断言できる。
「世良に父親が勤まるのかどうか。俺は、そっちの方が心配だけどな」
「ったく、岩見はいつも一言多いんだよ」
世良は顔をしかめて文句を放った矢先、店内へ素早く視線を巡らせた。そうして、浮ついた様子で笑みを零す。
先程までの不機嫌さはどこへやら。感情表現の豊かな男だ。
「そういえばさ、さっき注文取りに来た子、可愛いよな。この店に来る時は、あの子に会うのが楽しみなんだよ」
「おい、そこの新婚。奥さんだって側にいるのに、くだらないこと言うなよ」
すかさず指摘を飛ばすと、隣の岩見からも呆れたような溜め息が聞こえてきた。
僕たちの反応に納得がいかないのか、世良は明らかな不満を顔に浮かべている。
「くだらないことないだろ。いくつになったって、恋をしたい気持ちは変わらねぇって」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんだ」
岩見の言葉に、力強く頷き返している。
「だからって、新婚でその発言は問題だよ」
世良は明らかに落胆の色を浮かべているけれど、彼の頭の中が理解できない。
「守時。おまえはどうなんだよ。未希ちゃんだってまだ四才。母親が必要だろ。再婚するつもりはねぇのかよ?」
僕に話を振られても困ってしまう。
「遙佳の両親も、未だに凄く良くしてくれるんだ。いい人がいればいつでも、なんて言ってくれるけど、どうしても気が引けてさ」
「お互いの実家も近いんだったよな。車で一時間くらいって言ったっけ?」
「そうなんだよ。やっぱり男手ひとつって大変でさ。二十四時間制の保育園には預けてるけど、お互いの両親が定期的に様子を見に来てくれるんだ。助けられてばかりだよ」
未希には寂しい想いをさせ、互いの両親には迷惑をかけてばかり。親として、男として、こんなに情けないことはない。
確かに、娘のことを第一に考えるのなら、再婚をして一緒に支えてもらうというのは必要なことかもしれない。けれど、また一から恋を始めるような気力はなかった。
僕が築き上げていたのは砂の城。それはとうに、荒波を受けて崩されてしまった。僕たちの胃へ収まったケーキと同じく、目の前から跡形もなく消え去ったのだ。
それでも甘い記憶だけが微かに残り、今でも時々、胸の奥へ開いた虫食いの穴をすり抜けて来る。二度と戻ることのない日々の記憶が、僕の心へ寂しさを植え続けている。
コーヒーカップへ視線を落としていると、ふたりからの視線を強く感じた。沈黙に耐えかねたように、岩見の咳払いが漏れる。
「今夜もお互いの親を呼んで、未希ちゃんの誕生日パーティをするって言ってたよな?」
そう言った岩見をまじまじと見てしまう。
「世良じゃあるまいし、そんな細かいことまで覚えてるなんて意外だよ。仕事一筋の係長が、どういう風の吹き回しなの?」
「そりゃあ、やっぱり気になるだろ。それでなくてもウチの会社は残業が多いんだ。守時にできるだけ負担を掛けないように、これでも気を遣ってるつもりなんだ。一応な」
恥ずかしそうにしている岩見が可笑しくなってしまう。
いつもはぶっきらぼうな感じだけれど、心根は優しい奴だ。思っていることを表に出すのが苦手なんだろう。
「ありがとう。ふたりにはいつも助けられてばかりだ。感謝してるよ。こんな半端な仕事ぶりだから出世は諦めたけど、今は娘と一緒にいる時間が何よりも大切なんだ」
岩見は、こつこつと仕事に打ち込んできた成果が表れていた。僕と世良は未だに平社員。同期の中では岩見が一番の出世頭だ。相変わらず仕事熱心で女性の気配はないけれど、彼なりに毎日が充実しているという。
活き活きとした岩見を見て、羨ましいと感じることもある。でも、これからの僕の人生は、娘を中心にすると決めている。
世良は、僕たちの会話を不安そうな表情で聞いていたけれど、口元へ笑みを覗かせた。
「まぁ、外野がとやかく言ってもしょうがねぇよな。決めるのは守時だ。つい、いつものクセで余計なことまで言っちまった。悪い」
「いいんだ。気に掛けてくれてる人がいると思うだけで、十分に心強いよ」
「困ったことがあれば、遠慮なくいつでも頼ってくれ。一人で抱え込むなよ」
背中へ触れた岩見の手を、とても温かく感じる。
気付けば僕等の間にも、しっかりと三重奏が生まれていた。世良は調子の外れた音を奏でるし、岩見は物凄い低音ばかりのような気もするけれど、これはこれで上手く調和しているんだろう。
そうして話し込むうちに、日が傾き始めようとしていた。娘の誕生日パーティが迫っていることもあり、僕等は慌ただしく解散した。





