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不協和音の三重奏 〜今もまだ〝君〟への想いが消えなくて〜  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
終演

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20/23

僕はまだ飛べる


「未来を守る責任……か」


 誰に言うでもなくつぶやき、蓋を閉めた三重奏をボディバッグへ押し込んだ。

 ベンチの背もたれに体を預けた途端、僕の重さに耐えかねたのか、軋んだ悲鳴が上がる。


「叫びたいのは僕の方だっていうのに」


 ぼやきながら、深い溜め息が漏れた。


 結局、僕の力程度では未来を変えることなどできなかった。無力さに腹が立ち、悔しくてたまらない。

 この怒りは一生消えることはないけれど、それでも遙佳(はるか)と結婚するまでは、穏やかで満ち足りた日々が続いた。


 自分でも本当に不思議だった。公園で初めて会った時の、一目惚れのような感覚。夢里遙佳(ゆめさとはるか)に出会うのなら、それがあの子への罪滅ぼしになると覚悟していた。それこそ、親に無理強いされた政略結婚へ臨むような気持ちでいたというのに。


 でも、彼女の穏やかな人柄と包容力に触れる内、すっかり虜になっていた。そうして、花蓮(かれん)を傷付けた辛さと心に負った罪は、次第に癒やされていった。けれども次はそれらと引き替えに、彼女を失う恐怖と戦わなければならなくなった。


 あの子を産まなければいい。そんな選択も頭を過ぎった。でも、その道を選んでしまえば元も子もないばかりか、花蓮まで裏切ってしまう。胸の内で激しい葛藤が続いた。


 結婚後、それとなく健康診断を勧め、脳のCTスキャンも試みた。しかし、その時の検査では腫瘍などカケラもなく、ただの取り越し苦労だと笑い飛ばされただけ。


〝未来のことがわかれば、便利なのにね〟


 出産を間近に控えた遙佳が、ぽつりとそんな言葉をつぶやいた。

 何気ない一言のつもりだったのかもしれないけれど、それは僕の心へ深く浸透した。聞き慣れた音楽のように不意にリフレインしては、今も僕を苦しめ続けている。


「このまま、何も変えられないとしたら」


 現実へ返ると、耐えがたい程の恐怖が襲ってきた。暖かな午後の陽射しが降り注いでいるというのに、体の芯から薄ら寒さを覚える。口の中へ残ったチョコの苦みがやけに強調され、不安だけを煽り立ててきた。


 頭を振るい、弱い心を遠ざけた時だった。耳へ届いた幼子の声と共に、僕の前を三人家族が通り過ぎてゆく。両親に挟まれ、手を繋いで幸せそうに笑う女の子。


 そんな彼等の後ろ姿に嫉妬を覚え、力を込めて奥歯を噛み締めた。掴みたくても掴めなかった憧れの光景。それを目の前で見せ付けられ、胸の奥が酷く痛んだ。


「情けない。僕がこんなじゃ、君はいつまで経っても成仏できないよね」


 伸ばした両腕をベンチの背もたれに乗せ、青空を仰いで瞼を閉じる。


 普段はおっとりしていた遙佳だけれど、怒った時は本当に怖かったことを思い出す。口では勝てないとわかっていたから、嵐が過ぎるのを待つように彼女の言葉を浴び続けた。それが過ぎ去った後は、許してもらえるまでひたすら謝り続けるという苦行。ふたりの喧嘩でさえそうなのだから、娘の将来に関わるとなれば、ハリケーンのような大災害が降りかかるに違いない。


 彼女の姿が瞼の裏へ蘇り、口元が緩んでしまう。失われた日々を取り戻すことはできないけれど、僕が忘れない限り、彼女は心の中で永遠に生き続けている。


「大丈夫だ。僕はまだ飛べる」


 今も僕を見ているはずの遙佳へ宣言して、両拳に力を込める。

全身へ降り注ぐ柔らかな光を感じていると、聞き慣れた声が届いた。


「パパ」


 瞼を開け、仰いでいた顔をそちらへ向ける。そこには四歳になった娘が、満面の笑みで駆け寄っていた。

 彼女を迎え入れるため、ベンチを立った僕は中腰に身構える。


「頑張れ、もう少しだ」


 ゴールテープを切るように、僕の胸へ飛び込んで来た尊い存在。狂おしいほど愛しく、かけがえのない彼女。でも、数年後にはその命を奪おうというのだ。自分が信じられない。


「パパ、見て。よつ葉のクローバー」


 僕の葛藤など知る由もない娘は、純粋無垢な笑顔を見せてくれる。


「凄いなぁ。よく見付けたね」


 娘には、未希(みき)という名前を付けた。あの子の本名を知ることはできなかったけれど、これ以外には考えられなくて。彼女の未来へ希望が訪れるよう、精一杯の願いを込めた。


「保育園に行ったら、先生にあげるの」


「え? やっと見付けたんだろう?」


「未希ね、先生が大好きなんだもん。よつ葉は、また探せばいいよ」


「そうだね。先生も絶対に喜んでくれるよ」


 娘に微笑み返し、その頭を優しく撫でた。幼い顔へ、少女にまで成長した姿が重なる。


「未希、そろそろ行かないと。みんな、待ってると思うよ」


 突然に寄り道を始めてしまった娘の手を取り、公園の南側を目指して再び歩き始めた。


「みんな待ってる?」


「もちろん。未希が寄り道しちゃったから、待ちくたびれてるかもしれないよ」


「未希、ごめんなさいする」


「大丈夫。誰も怒ってないよ」


 そうしてやってきた南口。大通りを挟んだ対面に、カフェの外観を認めた。


 遙佳と初めて出会った時にも訪れたけれど、あの時のカフェは数年前に閉店してしまった。その後間もなく、居抜き物件として設備を再利用され、新たなカフェが入った。今は、カフェ・ルポゼという看板が掲げられ、本を備えたブック・カフェとして運営されている。


 こんな所にも時の流れを感じて、酷く寂しくなってしまう。遙佳との想い出がひとつずつ失われてゆくことに、言いようのない悲しさと切なさが込み上げてくるのだ。

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