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不協和音の三重奏 〜今もまだ〝君〟への想いが消えなくて〜  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
第三楽章 MILK

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僕たちの未来


「こんな時間まで、どこに行ってたの?」


 スーパーの買い物袋をドアノブへ残し、倒れ込むような勢いで近付いてきた花蓮(かれん)。咄嗟に抱き止めると、ひんやりとした頬が触れた。


 仄かな甘い香りと冷えた体。それらが五感を通じて流れ込んでくる。


「中で待っていれば良かったのに」


 部屋のスペアキーは預けてある。いつでも好きな時に入れるはずなのに。


「約束もしてないのに、勝手に上がるなんて失礼でしょう。そこまで図々しくないわよ」


 申し訳ない気持ちで一杯だ。花蓮の気持ちを考えず、遙佳(はるか)さんを追うことばかりに必死だった自分を情けなく思ってしまう。


 答えを出さなければならない。花蓮の細い体を抱きしめながら、苦い想いが沸き上がってくるのを感じていた。


 部屋へ招き入れてすぐ、花蓮はそれに気付いた。こたつの上へ残された三重奏の箱。


「ごめん。邪魔だよね」


 それを手に取り、サイドボードの上へ移動させた。はっきりとは言葉にしないけれど、互いに気まずい空気が満ちてゆく。


「それ、あの子に貰ったものだよね? まだ食べてなかったの?」


 口調は穏やかなのに、問い詰めるような刺々しさを感じる。思い過ごしだろうか。


「なんだか、開けるのが勿体なくてさ」


「そうなんだ。新しいの、買ってきたのに」


「ありがとう。すぐに食べ切っちゃうし、いくつあっても困らないから」


 身も心も逃げ道がない。

 部屋へ上げたことを後悔したけれど、後の祭りだ。平静を装い、互いの腹を見せ合うようにコートを脱いだ。


 花蓮は一緒に夕飯を食べようと、買い出しを済ませてくれていた。手早く支度が進み、こたつの上へすき焼きが出来上がる。


(かける)、最近は元気がなかったから、奮発していいお肉を買ったのよ。どんどん食べてね」


「ありがとう」


 こうしてきちんと顔を合わせるのは二週間ぶりか。花蓮の顔にも疲れが見えるけれど、それを隠して明るく振る舞う姿が痛々しい。あの少女が消えた瞬間、僕等は互いに傷を負い、恋人同士を演じ続けているだけなのかもしれない。


 花蓮が奮発したというだけあって、肉はとろけるような柔らかさだ。玉子も上等に違いない。赤みを帯びた黄身は濃厚な味わいだし、割り下の味付けも申し分ない。しかし、どうしてこんなにも印象に残らない食事なのだろう。僕は、食べ物を口へ運び咀嚼するという動きを繰り返す、ただの人形と化していた。


 何となく点けているテレビでは、クイズ番組が放送されている。それをぼんやりと眺めながら、ふたりで答えを予想し合った。


 久しぶりに会ったというのに、何を話していいのかわからない。花蓮は、僕からの言葉を待っているようだった。


 淡々と食事が終わり、食器をシンクへ運ぶ。花蓮が洗い物をしている間、僕は彼女が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、こたつの中でぼんやりとテレビの続きを観ていた。


「ねぇ、駆」


「なに?」


 水音に混じって背後から聞こえた花蓮の声。返事をしながらマグカップを口へ運ぶと、コーヒーの苦みをいつもより強く感じた。


「この二週間、ずっと不安だったの……ひょっとしたら駆は、遙佳さんを捜しに行ってるんじゃないかって。そればかり考えてた」


 やはり見透かされていた。驚きよりも気まずさが勝った。

 それはコーヒーへ落としたミルクのように、じわりじわりと奥底へ浸透してゆく。鼓動が早鐘を刻む。


「そのこと、なんだけどさ……」


 もうこのままにはできない。今夜ここで、僕たちの未来に答えを出さなければならない。


 いつの間にか水音は止んでいた。直ぐ後ろに花蓮の気配を感じる。

 振り向かず、短く息を吐いた。心を落ち着け、マグカップを静かにテーブルへ置く。


「僕と、別れてくれないか」


「やっぱり、そんなこと考えてたのね」


 間髪入れずに応える声。背後の気配が一層近付き、柔らかな感触と共に抱きしめられた。

 長い髪が頬に触れ、鎖骨から肩を撫でてゆく。そして、甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「駆は、あの子が急にいなくなったから、不安や責任を感じてるだけなのよ……大丈夫、私が側にいる。何の心配もないから」


 囁きと共に、誘惑するような吐息が鼓膜を伝った。続け様、耳たぶへの優しい口づけ。

 しかし、そんな女神の誘惑でも僕の心は揺るがない。未来は既に決定付けられている。


「花蓮、やめてくれ」


 体を揺すり、その温もりを振り払う。


「本当にごめん。でも、この話にあの子は関係ないんだ。別れるって決めたのは、僕の身勝手な気持ちなんだ」


 マグカップの中でコーヒーが揺れている。それと同様に心へ生まれた波紋は、さざ波にまで膨れ上がっていた。このまま、花蓮が大人しく引き下がってくれるとは思えない。


 隣で四つん這いになっていた彼女は、(おもむろ)に僕の横顔を覗き込んできた。


「あの子が原因じゃないって言うなら何? 理由を教えて。私に原因があるなら直すから」


 無駄に傷付けたくない。それが本心だ。本来なら、宝石箱へしまって大事に保管しておきたい程の大切な人。それを僕は、自ら傷付けようとしている。


 自分で自分が信じられなかった。花蓮以外を好きになるわけがない。彼女以上の人はいない。そう確信していたはずなのに。


 でも、僕は変わってしまった。大澄花蓮(おおすみかれん)夢里遙佳(ゆめさとはるか)。ふたりの女性を同時に想い、同じだけの熱量で向き合おうとしている。そんなことができるはずはないし、許されないとわかり切っているのに。

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