贖罪
「でもさ、岩見が言うことも最もだと思うよ。あいつは仕事一筋の性格だから、半端なことをしてる僕に腹が立つんだろうな。音和建設は大口顧客のひとつだしさ」
「それはわかるけど、あいつのやり方が気に入らねぇんだよ。体は大きいクセに、やることがセコいよな。なにかとおまえに張り合おうとしてるみたいだけど、仕事なら実力で勝負してみろって話だよな?」
吐き捨てるように言った世良は、その口元へいやらしい笑みを浮かべた。
「あいつが花蓮ちゃんに振られた時は、ざまあみろって思ったけどな。未だに笑えるよ」
「その話は忘れてやりなよ。岩見だって、いつまでもほじくり返されたくないだろうし」
「守時君は大人の対応だねぇ。人がいいというか何というか……そんなおまえが、何を悩んでんの? 仕事絡みじゃないんだろ?」
こちらの心を解きほぐしてくるような柔らかな笑み。つい、弱音が零れそうになる。
「大丈夫。大したことじゃないよ」
「誤魔化すなよ。仕事に支障が出るくらいのことが起きてんだろ? 話せばスッキリするって。花蓮ちゃんとも社内でギスギスしてるし、こっちまで気まずいんだよ」
世良は、僕と花蓮のことをいつも応援してくれている。そんな彼に向かって、本当のことなど言えるはずがない。
花蓮と同じか、それ以上に気になっている人がいるだなんて。
ふたりの女性を同時に好きになる。そんな経験は初めてだし、そんな時が来るとは思っていなかった。大学時代には複数の女性と付き合っている友人もいたけれど、そんな奴でも必ず本命の相手がいたというのに。
でも、この三日間で改めて思ったこともある。夢里遙佳。僕は、彼女を本当に好きなのだろうかということ。
消えてしまった少女の姿を求めて、遙佳さんを好きだと錯覚しているだけなのではないか。少女を救えなかった贖罪の気持ちを、恋愛感情と誤認しているのだとしたら。
ふたりが結婚しなかった未来もあったのかな、という少女のメッセージが頭を巡る。僕はいたずらに、花蓮と遙佳さんの人生を振り回そうとしているだけなのかもしれない。
とにかく、この議論をするには僕自身、頭の中の整理が追い付いていない。
「花蓮と喧嘩してさ。向こうが謝ってくるまで無視することにしただけだから」
「その程度ならいいんだけどよ。ふたりとも深刻そうな顔だからさ。ただな……」
世良は腰を上げるなり、僕を見下ろすような形で正面に立ってきた。
「おまえら、絶対にお似合いだって。花蓮ちゃんを悲しませたら許さねぇぞ。春になったら花見のダブルデート。忘れてないよな?」
「もちろん覚えてるさ。世良も、彼女……美咲ちゃんだっけ? 大事にしなよ」
僕の答えに満足したのか、笑みを残して歩き去ってゆく。背中を向けたまま大きく振られた右手が、やけに印象的に映った。
☆☆☆
そして僕はどうにか日々をやり過ごし、ようやく迎えた金曜の終業。休日を迎えるというのに、憂鬱な気持ちで一杯だった。
いつもなら社外で花蓮と待ち合わせ、外食後に僕の部屋へ泊まる。それが恒例になっていたけれど、とてもそんな気分じゃない。それどころか一方的に連絡を絶ってしまった僕は、今更どんな顔をして彼女に会えばいいのかわからなくなっていた。
〝連絡をください。大澄〟
デスクの隅へ、書き殴られた付箋が貼られていた。その筆跡だけで、花蓮が怒っている様が容易に把握できる。
どうやら彼女も、僕が連絡を取るまでは動かないと決めたようだ。その証拠に、火曜日以降は一切メッセージが届いていない。
溜め息をついて、付箋を握り潰した。それを足下のゴミ箱へ放り、鞄を手に立ち上がる。
「守時。ちょっといいか?」
声のした方へ顔を向けると、上司である愛澤課長の姿があった。
「どうしたんですか?」
「たまには付き合え」
右手でグラスを持つ形を作り、口の前でそれを傾けるジェスチャーを見せてくる。
三十半ばの愛澤課長。先日に怒られたばかりだけれど、普段は変に威張っている所もなく、気さくで接しやすい人だ。
「いいですね。是非」
せっかくの誘い。ここは素直に応じることにした。何より、このまま部屋に帰ったところで陰鬱な気持ちのまま時間を浪費するだけだ。酒でも飲んで忘れたい。そんな想いが過ぎったのも事実だった。
駅前の居酒屋へ入り、ビールとつまみを注文。愛澤課長は珍しく、会社や取引先の文句を口にして、面白おかしく聞かせてくれた。いつもながら、課長の話術は巧みだ。ついつい引き込まれ、聞き入ってしまう。
そうしてどれくらいの時間が経っただろう。ビールの注文が五杯を数える頃にはほろ酔ってしまい、心地いい気分に浸っていた。
「なぁ、守時。何か悩みごとでもあるのか? 大澄と喧嘩でもしたか?」
「え?」
思いも寄らない問い掛けに、頭の中が真っ白になった。僕は余程おかしな顔をしていたのだろう。愛澤課長は小さく吹き出した。
「そんなようなことを耳にしてな。俺なんかの話で良ければ、参考にしてくれて構わない」
「ひょっとして、世良ですか? あいつめ」
「気晴らしに、飲みにでも連れ出してやってくれと頼まれてな。家庭を持つ、大人の男の話を聞かせてやってくれとさ」
僕と花蓮の交際は、社内にも伝わっている。そもそも僕たちが急接近したのは、課長が休日に催してくれたバーベキューのお陰だ。
「おまえたちの付き合いにとやかく言うつもりはないが、仕事に支障をきたすのは社会人失格だからな。公私を混同するなよ」
「すみません。気を付けます」
「守時、おまえには期待してるんだ。大澄だって課内の華だし、彼女が暗いと全体のムードまで沈んで、居心地が悪いんだよ」
焼き鳥を頬張り、苦笑する愛澤課長。
頼りがいのあるこの人になら、相談してもいいと思えた。それが果たして、酔いのせいなのかどうかは僕にもわからない。
「課長のお子さん、おいくつでしたっけ?」
「なんだ、急に。小学一年の娘がいるが、それがどうかしたか? まさか、おまえら」
「いやいや。誤解しないでくださいよ」
グラスを持ったまま固まっている愛澤課長へ、すかさず否定の笑みを向ける。
「将来の参考として聞いているんです。目に入れても痛くない、なんて言いますけど、やっぱり課長も同じ気持ちですか?」
あの少女の姿が頭を過ぎった。突然に娘だと言われても、成長過程も知らないだけに実感がない。子を持つ父へ、実際の感想を聞いてみるのが一番だと思ったのだ。





