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不協和音の三重奏 〜今もまだ〝君〟への想いが消えなくて〜  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
第二楽章 WHITE

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恨みの刃


 ひとりきりになった夜の部屋は、どうしてこんなにも孤独で寒いのだろう。心の芯まで凍えてしまうような寒さを抱きながら、こたつの中でコーヒーを口にする。


 昼間の夢のような時間は瞬く間に過ぎた。遙佳(はるか)さんとのんびり歩き、日々の出来事から趣味に至るまで、あれこれと他愛ない話を続けた。公園を一周した後は、南口の対面にあるカフェで休憩。お茶を飲み終えた頃には三時間が過ぎ、互いに驚きの声を上げたのだ。


 今日は休暇日で、休みになるとあの公園を散策するのが趣味だと言っていた彼女。

 また会えるだろうか。別れ際には、そんなことを考えていた。


 そうして自宅へ向かっていると、直面していた問題が鎌首をもたげて蘇ってきた。


 少女から届いていたメッセージ。その中身を確認するべきか否か。右手へスマートフォンを握ったまま、その決断が下せずにいる。


 結局、僕は臆病で、ずるい人間なんだろう。それをまざまざと思い知らされた。


 夢里遙佳(ゆめさとはるか)。一度会っただけの彼女に惹かれ始めている。これは紛れもない事実だ。

 花蓮(かれん)以上の女性はいない。昨日までの僕は確かにそう思っていた。それなのに、この様は何だ。激しい自己嫌悪に(おちい)っている。


 テーブルの上には、少女に貰ったチョコレートと、今朝に買ったチョコレートがある。


 三重奏。僕と花蓮と少女で奏でた旋律は、僕と花蓮と遙佳さんへ置き換わろうとしている。でも、調和なんてできるはずがない。


 そして僕は、未来に起こったはずの出来事を無視することができなくて。欲求に飲み込まれ、少女からのメッセージへ目を通した。


☆☆☆


 パパの身に起こったことって言っても、教えられるのは最後のドライブで聞いた話だけ。


 とても好きだった彼女が事故で亡くなっていたこと。その辛そうな顔を見て、パパがどれだけその人を想っていたかわかったの。

 大澄花蓮(おおすみかれん)さん。綺麗でスタイルもよくて、優しくて気さく。本当に素敵な人だね。


 だけど、事故で入院したパパを看護したのはママだからね。パパの傷付いた体と心を癒やして、生きる希望を与えたママは本当に凄い。私は心から尊敬しているんだから。


 退院したパパは、花蓮さんの想い出を引きずらないために、会社も辞めたんだって。でも、それだけは今でも後悔してる、って言っていたよ。これからのパパに何があっても、今の会社は絶対に辞めたらダメだからね。


 その後にパパとママは結ばれたけど、そこからは大波乱。私を妊娠したとわかった時、ママの脳に悪性の腫瘍が見付かったんだって。


 ふたりで悩みに悩んで、化学治療を諦めた。それはつまりママの命も諦めて、私を産むと決心したってこと。幸せの絶頂から、不幸のどん底へ真っ逆さま。本当に酷すぎる。


 私は初めて聞かされた話に愕然とした。ママは脳の病気で亡くなったとしか聞いていなかったから。まさか助かる道があったなんて思いもしなかった。私さえ産まれなければ。


 パパにとっては苦渋の決断だったよね。いっそ、私のことなんて切り捨ててくれたらよかった。ママの命を奪ってまで生きている私を、パパはどう思って育ててくれたんだろう。

 その気持ちを思うと涙が止まらなかった。そこまでしてくれたのに、こんな体になっちゃうなんて、申し訳ない気持ちで一杯だよ。


 パパがあれだけ熱弁を奮ってくれた学生生活。それを謳歌できないのは凄く残念。


 それに、ママも心苦しかっただろうね。パパは前の彼女を事故で亡くしたから、先に逝ってしまうことを何度も謝っていたんだって。

 悲しい話のはずなのに、パパはその時だけ穏やかな笑顔を見せてくれたよね。花蓮さんといる時と同じ、嬉しそうな笑顔だったよ。


 プロポーズを思い出したって。僕の最期を看取ってください、って言ったらしいよ。


 それがママの心残りだったんだね。脳の腫瘍がもっと早くに見付かっていたら、ふたりが結婚しなかった未来もあったのかな。


 車窓から見上げた空の青さが眩しかった。雄大な山脈にかかる綿菓子みたいな大きな雲も見事で、ママの名前の通り、遙か先から私たちを見守ってくれている気がしたの。


 生まれ変わったら、鳥になりたい。いつからか、私はそんなことを思うようになっていた。自由の効かなくなってきたこの体を捨てて、目一杯、大空の下を羽ばたいてみたい。


 そうしたら急に、パパは私の話をしたの。


 落ち込んでいたママを元気付けるために、私の名前は、パパがこっそり考えたんだって。

 この子の未来に希望がありますように、って意味を込めたって。私も自分の名前が凄く好き。素敵な名前をありがとう。


 でも、楽しいはずのドライブが、まさかあんなことになるなんて思わなかった。山道を加速して、ガードレールへ突っ込むなんて。


 パパは最後に、こう言ったんだよ。


〝本当にすまないと思ってる。でも限界なんだ。これ以上、今の状況には耐えられないし、もしもひとりになったら生きていく自信がない。一緒に遙佳を迎えに行こう〟


 パパが限界だってことは感じていたから、それでもいいかって納得しちゃった。どのみち、動かなくなってきたこの体じゃパパを止めることもできないし、これで本当に鳥になれるかも、って思ったんだ。


 でもわからないのは、どうして私だけがこの時代へ来たのかってこと。車が山道を落ちた時、眩しい光が見えたの。あれは神様だったのかもね。パパに恩返しをする機会を与えてくれたんだと勝手に納得するね。


 とにかく、今までありがとう。十七年の人生だったけど、私はとても幸せでした。パパの大好きなチョコレートみたいに、これからは花蓮さんと甘い生活を送ってね。


 パパがビターチョコ。花蓮さんがホワイトチョコだとしたら、中心にあるミルクチョコが赤ちゃんかな。一番外側のパパがふたりを大切に守って、幸せな家庭を築いてね。


☆☆☆


 鬱屈(うっくつ)とした気持ちが、溜め息へ変わる。


 喉の渇きを覚えたけれど、マグカップのコーヒーは温もりの大半を失っていた。それはまるで、心の片隅へしがみついていた、花蓮への愛の温度を現しているように思えた。


 もう一度、深い溜め息が漏れる。同時に、少女からのメッセージを読んでしまったことを激しく後悔していた。心のどこかで、僕と花蓮のこれからを応援する言葉だろうと高をくくっていた。


 でも、現実は決して甘くない。彼女が残してくれたひとつひとつの言葉に傷付き、苦しみ、考えさせられ、これからの自分が進むべき道を完全に見失ってしまった。


 彼女は、僕と花蓮を救うためにやってきた。それは残されたメッセージからも充分に伝わってきた。けれど、彼女の本心は生きたいと願っていたのではないだろうか。


 優しさの裏に隠された、恨みの刃を向けられているようだ。それは視覚を通じて体内へ入り込み、心臓を目指して突き進んで来る。雨のように途切れることのない無数の刃は、僕の心を粉々になるまで切り裂くだろう。


 ひとりきりの薄暗い部屋。刃が擦れ合う、耳障りな金属音を聞いた気がした。

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