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不協和音の三重奏 〜今もまだ〝君〟への想いが消えなくて〜  作者: 帆ノ風ヒロ / Honoka Hiro
第二楽章 WHITE

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清らかな笑顔


「無理心中? 僕が?」


 にわかには信じられない話だ。たとえ未来に起こる出来事だとしても、自分がそんな行動を取るなど全く現実味がない。


 ハルの口調は穏やかだけれど、その言葉は鋭利な刃となって僕の喉元へ添えられた。そこにほんの少しの力が加われば、いとも容易くこの命を奪うだろう。

 嫌な汗が滲む。僕は暗転した世界へ閉じ込められ、身じろぎすることもできずにいた。


(かける)、大丈夫?」


 永遠にも思える沈黙の中、不意に聞こえたのは花蓮(かれん)の声だった。それが僕の意識を、どうにか現実へ繋ぎ止めてくれた。

 どうやら呼吸をすることも忘れていたらしい。口から荒い息が漏れている。


「ドライブしながら、パパは言ったんだよ。あの時に戻りたい、って。それがこの時だったんだよね。どうして私だけが飛ばされたのかはわからないけど、きっと花蓮さんを助けるのが私の使命だったんだね」


 未来の僕は、花蓮の死をずっと引きずっていたということか。それでも僕は次の恋を見付け、こうして娘を授かった。

 でも、一体どんな気持ちで、どんな顔をして生きていたのだろう。妻と娘を(あざむ)き、自分の心まで偽り続けていたのか。そんな生き様は、家族に対して余りにも失礼だ。


 自分のことなのに、自分でもわからない。未来へ行く手段があるのなら、今すぐに僕を探し出し、思い切り殴ってやりたい。それほどの怒りが自分の中へ充ち満ちている。


 握り締めた拳以上に心が痛い。胸の奥が大きな悲鳴を上げているのがわかった。


 自ら命を断つ。それほど愚かなことはない。ましてや、妻となってくれた女性が命と引き替えに残してくれた大切な娘。そんな尊い存在の未来を奪うだなんて許されない。


 自身の人生に困惑していると、ハルの右手が動いた。その手はコートのポケットをまさぐり、一つの小箱を取り出す。

 それは不思議な現象だった。身に付けている物を含めた全てが半透明だというのに、ハルが手にした箱だけは、はっきりと僕らの前に存在している。


 三重奏。食べ慣れた、欠かせない存在。


「パパから貰ったやつ、食べちゃったから。一足早いバレンタインチョコ。とは言っても、花蓮さんに買って貰ったんだけどね。これしかあげられなくて、ごめんね」


 消えゆく自らの命を嘆くこともなく、無償の愛を振りまくような、清く尊い笑顔。


「そんなこと気にしなくていいよ。なんだかさっきから、君に謝らせてばかりだね」


 その全てが、触れたら壊れてしまいそうに思えた。存在と感触を確かめるように、そっと小箱を掴む。


「ありがとう。本当に嬉しいよ」


「パパ。今度こそ幸せになってね」


 その言葉は、確かな力を持って僕の心へ響いた。消えゆくハルが体内へ宿ったかのように、胸の奥から熱い物が込み上げてくる。

 すると彼女は、その笑顔を花蓮へ向けた。


「花蓮さん。こんなどうしようもないパパだけど、よろしくお願いします。ふたりで幸せになってね」


「ハルちゃん……」


 怒ったような、困ったような花蓮の声。引き留めたいのは山々だけれど、為す(すべ)もない事態に途方に暮れているのだろう。けれど、その歯がゆさを抱えているのは僕も同じだ。


「私のことは気にしないで。この二日間、凄く楽しませて貰ったし。これでも充分、満足しているんだから」


 ハルの姿は半分以上も透けてしまい、いつ消えてもおかしくない。


 けれど、それはまさに不幸中の幸いとでも言うのだろうか。彼女を見守りながら、最も大切なことに気付いた。


「待ってくれ。君が着ているコートは、ママのって言ったよね? じゃあ、遙佳(はるか)っていうのも? 君の、本当の……」


 すると彼女が見せたのは、嘘を見破られたことを誤魔化すような困った笑み。遺恨を残さぬよう、黙って消えるつもりだったのか。


 そんなことは許さない。認めない。このまま別れを迎えるなんて有り得ない。彼女が消える前にその事実に気付けたことは、せめてもの救いだ。


「頼むから、消えないでくれ」


 果たしてそれは、誰に向かってつぶやいた願望だったのだろう。僕の内へ向けたものだったのか。ハルへ向けてのものだったのか。はたまた、存在するかどうかも知れない、神へ向けてのものなのか。


 このまま彼女が消えてしまうとしたら、僕は現在と未来において、二度もその命を奪ったことになる。今の僕の心には、ただただ恐怖という感情しか存在していない。


 するとハルは、元気一杯に微笑んで見せた。全てを許すとでも言うような清らかな笑顔。それを最後に、彼女は綺麗さっぱり消え失せた。痕跡など欠片も許さないとでも言うような、余りにも呆気ない別れ。


「嘘だろ?」


 どうにか言葉を絞り出すと、大きな虚脱感が背中へ重くのしかかった。


 結局、満足に御礼も言えなかった。本当の名前を知るどころか別れの言葉を掛けることもできず、彼女は消えてしまった。


 でも、呆気なく消えてしまった彼女と引き替えに、残ったものもあった。


 僕が手にしている小箱は、彼女の想いを伝える唯一の形ある物として存在している。そして、この心には悲しみと苦悩が、深い傷跡となって確かに刻み込まれた。


 その日、そこからの記憶は曖昧だ。

 気付けば花蓮の姿は消えていたし、僕は明かりも点けずに暗い部屋でひとり佇んでいた。


 どうすればよかったのか。どうすればいいのか。全てを見失い、ただ途方に暮れた。

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