文化祭の残り火
文化祭の喧騒がやっと終わり、校舎は不思議な余韻に包まれていた。
昼間は笑い声や音楽、歓声であふれていた廊下も、今はひっそりと静まり返り、壁に貼られたポスターや飾りの紙花が取り残されたように揺れている。
葵と陽介は、帰り支度をする友人たちに別れを告げてから、なぜか足を止めていた。
「……まだ帰りたくないな」
葵が小さくつぶやくと、陽介が肩をすくめて笑う。
「じゃあ、探検でもするか。夜の学校ってやつ」
二人は人気のなくなった廊下をゆっくり歩き出す。
教室のドアは開け放たれ、机の上には片付けきれない装飾や画材が残っている。
廊下の蛍光灯は半分しか点いておらず、白い光がところどころに島のように浮かんでいた。
「昼間はすごく賑やかだったのに……」
「まるで別の場所みたいだな」
葵は壁に貼られたポスターをそっと撫でた。
そこには大きな文字で「最高の思い出を!」と書かれている。
言葉通り、今日が高校生活最後の、最高の文化祭だったのだ。
二人は教室を順に回り、机や棚に残された装飾を眺めながら歩く。
紙吹雪のように散らばる折り紙の欠片や、色とりどりの糸、乾きかけた絵の具の匂いが鼻をくすぐる。
昼間の喧騒が一気に消えた空間で、静寂がふたりを優しく包み込む。
やがて、ひとつの教室の隅に、古びたノートが置かれているのを見つけた。
分厚く、表紙は落書きで埋め尽くされている。
「なんだろ、これ」
葵が手に取り、ページをめくると、中には歴代の生徒たちのメッセージや絵がぎっしりと書き込まれていた。
友情の言葉、恋の告白、将来の夢……
色とりどりのペンで残された文字たちは、どれも拙くて、でも真っ直ぐだった。
「すごい……まるでタイムカプセルみたい」
「へえ、こんなのあるんだな」
陽介が興味深そうに覗き込み、二人で肩を寄せ合ってページをめくる。
時折笑いながら、「字が汚いな」とか「このイラスト上手いな」と言い合う。
その距離の近さに、葵の心臓は早鐘のように速く打ち始める。
「なあ、せっかくだし……俺たちも何か書こうぜ」
陽介の言葉に、葵は一瞬ためらった。
でも「今しかない」と思い直し、鞄からペンを取り出す。
白い余白に、まず陽介がペンを走らせた。
『ここで過ごした時間、忘れない』
「シンプルだね」
「まあな。葵は?」
差し出されたペンを握り、葵は少し迷ってから文字をつづった。
『未来の私へ。大切な思い出は、ちゃんとここにあるよ』
書き終えると、胸がじんわり熱くなる。
ページに残した言葉が、まるで自分の心のかけらのように見えた。
二人は顔を見合わせ、照れくさそうに笑う。
その視線がしばらく交わるだけで、時間がほんの少し止まったように感じられた。
窓の外には、まだ校庭に文化祭の提灯がわずかに灯っていて、風に揺れながら赤い光を散らしている。
「……残り火、だな」
陽介が呟いた。
「もう終わったのに、まだちょっとだけ燃えてる」
その言葉が、葵の胸に深くしみる。
文化祭も、学校生活も、きっといつか終わってしまう。
でも、こうして残した小さな言葉や記憶は、消えずにここにあり続けるのだと感じた。
夜の校舎を出ると、秋の風が頬をそっと撫でる。
提灯の赤い光が遠ざかっていくのを見送りながら、葵は心の奥でそっと思った。
この時間も、ノートに書いた言葉と同じくらい、大切に残っていくのだ、と。
夜空には星がひとつ、またひとつと瞬き始め、ふたりの影は長く伸びて、文化祭の余韻を抱えたまま、静かに校門を抜けていった。




